第2話 七番の選択
登場ガーディアン:アリシア(CH003)/一番(CH029・レオナ)/二番(CH030・ミーナ)/三番(CH031・セレス)/四番(CH032・フィアナ)/五番(CH033・メイ)/六番(CH034・クラウディア)/七番(CH035・アデリーナ)/シルヴィア(CH036)
七番は、一呼吸おいて目を開いた。
「私も、スパイです」
「いいね」
主人公はそう言うと、五番に回していた腕を解いた。
五番は、そのまま動けなかった。
「どうやってそれを言う判断をしたの?」
七番は一度、息を整えた。
「最初は、私にスパイだと自供させるために、先ほどのやり取りそのものを用意したのではないかと考えました」
主人公はわずかに頷いた。
「ですが、違うと判断しました。主様が六番の嘘を指摘された瞬間、一番から五番まで、全員の空気が変わりました」
殺気そのものは、珍しいものではない。
選抜訓練の中で何度も浴びたし、自分自身もまた、それを抑える訓練を受けている。
感情を殺し、殺意を隠し、相手に悟られないまま動く。
だからこそ、あの瞬間の異質さが分かった。
「私たちは、自分の殺気を抑える訓練も受けています。それでも、あの瞬間は全員が明確に感情的な殺気を発していました」
冷静に作ったものではない。訓練のために見せたものでもない。
主様の指摘に反応して、自然に漏れた殺意だった。
「少なくとも、あの反応まで含めて演技だったとは考えにくいと思いました」
主人公は何も言わず、続きを待った。
「それと、もう一つあります。選抜訓練です」
戦場。潜入。護衛。救出。人質。交渉。敵国。自国。裏切り。
想定されていない状況を探す方が難しいほどだった。
「アルヴェリス王国についても、驚くほど正確でした。王都も、軍も、貴族も。国王陛下まで」
口調も、思考も、価値観も、判断も。
本人を知っている七番ですら、時折、本物と話しているような錯覚を覚えるほどだった。
「それほどの訓練なのに、私の家族を害する状況だけは、一度もありませんでした」
主人公の表情は変わらない。
「人質を救出する訓練はありました。仲間を失う状況も、守るべき者が傷つく状況もありました。でも、父や母、兄弟が害される訓練はなかった」
それは、ずっと引っかかっていた。
「一番動揺するはずなのに。訓練として考えれば、そこを突くのが一番効果的だと思っていました」
なのに、ない。
あれほど容赦のない選抜訓練で、そこだけが不自然なくらい存在しなかった。
「だから、もしかすると、優しさなのではないかと……少しだけ思っていました」
確信があったわけではない。ただ、そうだったらいいと、どこかで期待していた。
「でも、先ほどの六番とのやり取りを見て、そうだったんだと思いました」
六番は、敵対する目的で入り込んでいたことを自ら明かした。
それでも主人公は、まず事情を聞いた。そして、家族を助けると言った。
七番が選抜訓練の中で感じていた小さな違和感。
その答えが、ようやく一つにつながった。
主人公は、ほんの少しだけ頷いた。
「それに、六番が疑われていたのであれば、私も既に疑われている可能性が高いと思いました」
同じアルヴェリス王国から来て、同じ選抜を受け、置かれている状況も近い。
「その状態で、この先も隠し続けるのは難しいと思います」
見つからない。
最後まで欺き切れる。
そう考えられるほど、主人公を甘く見ることはできなかった。
「なら」
七番は主人公をまっすぐ見た。
「私は、自分が感じた主様に賭けようと思いました」
理屈だけではない。
「六番が助かったのを見て、私も助かるかもしれないと、思ってしまいました」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなった。
主人公は少しだけ七番を見つめ、それから尋ねた。
「対応は六番と同じでいい?」
「はい」
迷いはなかった。
主人公が七番の前まで歩き、手を伸ばして頭に触れる。
そして、ゆっくりと撫でた。
「今までよく頑張ったね」
七番は何も答えられなかった。表情も姿勢も崩れない。
けれど、頬を涙が伝った。
一筋。
そして、もう一筋。
「……はい」
ようやく出た声は、わずかに震えていた。
七番の事情は、六番とよく似ていた。
領民を守ることを第一に考える父。
そのために王側と対立し、家族を押さえられ、本人の意思とは関係なく娘を送り出すことになった。
アルヴェリス王国側も、通過率の低いガーディアン選抜へ一人だけ送り込んでいたわけではない。
成功率を上げるために複数の手を打った。
ただし、互いの存在は知らせない。
一人が発覚しても、もう一人へつながらないように。
六番と七番は、互いが同じ命令を受けていることすら知らなかった。
主人公は七番の話を聞き終えると、シルヴィアへ目を向けた。
シルヴィアは、六番を講堂近くの別室へ案内し、救出対象と状況を確認していた。
六番を別のガーディアンに引き継ぎ、講堂に戻ってきたところだった。
「じゃあ、お願い」
「承知しました。両名とも、母君とご兄妹は王都。父君はそれぞれ自領におられるようです」
一拍。
「一日で戻ります」
「よろしく」
それだけだった。
救出作戦は、その数秒で決まった。
シルヴィアは救出の手配を仲間に伝えると、一番から四番と七番へ声をかけた。
「一番から四番。それと七番。こちらへ」
七番が主人公を見る。
主人公は軽く手を振った。
七番は一礼し、一番から四番とともにシルヴィアの後を追った。
講堂を出ると、一番から四番と七番は別室で待機していたガーディアンに引き継がれた。
シルヴィア自身は、救出作戦へ向かうことになる。
講堂には五番だけが残った。
主人公が数歩進んでから振り返る。
まだ、同じ場所に立っている。
「メイ?……何してるの?」
五番の肩がわずかに動いた。
「いえ、その……」
「こっち」
主人公はそれだけ言って、自室へ向かった。
五番は少し遅れて、その後を追う。
主人公の部屋の前。
中へ入る直前、五番はほんの少しだけ自分の襟へ顔を近づけ、匂いを確かめた。
大丈夫。
たぶん。
唇を細く結び、少しだけ緊張した面持ちで部屋へ入る。
扉が閉まった。
*
窓から差し込む朝日が、シルクのシーツの上を滑っていた。
五番はゆっくりと目を開き、ぼんやりと瞬きをする。
意識が戻るまで、少し時間がかかった。
ようやく自分がどこにいるのかを思い出し、シーツを引き寄せながら、ゆっくりと起き上がる。
ベッドの脇に、一枚の書き置きがあった。
その上に、指輪が一つ。
五番の動きが止まった。
選抜訓練の中で、薬指に指輪をつけたガーディアンを何度か見たことがある。
その意味までは教えられていなかった。
ただ、特別なものなのだろうということだけは、なんとなく分かっていた。
五番は指輪と、その下の書き置きを見た。
数秒、動かなかった。
そして、ようやく意味がつながった。
「……こういうことだったんだ」
掴んでいたシーツから力が抜ける。
それにも気づかないまま、五番は指輪へ手を伸ばし、薬指へ通した。
すっと、何の抵抗もなく入る。
五番は少し驚いて、自分の指を見た。
緩くもない。
きつくもない。
初めてつけたはずなのに、まるでずっと前からそこにあったように、驚くほど自然に馴染んでいた。
しばらく、その指輪を見つめる。
もう一度、書き置きに目を落とした。
そして、その紙をそっと手に取り、大切なものを包むように静かに胸へ当てた。
*
時を前日に戻して、
アルヴェリス王国、七番の父が治める領地。
領主は執務室で仕事をしていた。
その時、遠くから聞き慣れない音が近づいてきた。
低く、規則的で、しかも急速に大きくなっている。
領主は手を止めた。
何だ、この音は。
やがて窓が僅かに震え始める。
領主は立ち上がり、外を確認しようと窓へ近づいた。
その頃には、音は轟音へ変わっていた。
庭木が猛烈な風に煽られている。
領主は窓の外を見上げた。
上空に、見たことのない巨大な飛行物体が浮かんでいた。
何なのか分からない。
だが、分からないからこそ、頭の中に浮かぶ国は一つしかなかった。
この世界で、こんなものを当然のように使える国。
「あの国か……」
飛行物体は、まだ地上へ降りてきていない。
それなのに、庭では既に異変が起きていた。
王側から送り込まれていた監視員が、突然倒れる。
一人。
さらに一人。
剣を抜き、周囲を見回す。
だが、何もいない。
少なくとも、領主の目には何も見えない。
次の瞬間、その男も倒れた。
誰かに襲われている。
それだけは分かる。
でも、何に。
どこから。
全く分からない。
監視員たちだけが、恐ろしい速さで次々と無力化されていく。
領主は窓辺に立ったまま、その光景を見ていた。
飛行物体は、まだ着陸すらしていない。
その時。
「領主殿」
後ろから声がした。
執務室の入口。
領主は振り返る。
女が一人、立っている。
いつ。
どうやって。
そう思うよりも先に、答えが出た。
「エン王国か」
「はい」
女――シルヴィアは、穏やかに答えた。
「驚かせて申し訳ありません。主様のご命令で参りました」
領主の顔から、わずかに血の気が引いた。
「……露見したか……」
娘を送り込んだこと。
その目的。
王命。
どこまで知られている。
しかし、すぐに別の疑問が浮かぶ。
「いや……早すぎる」
娘を送り出してから、まだほとんど日が経っていない。
それでも、エン王国の手の者が、もう目の前にいる。
領主は小さく息を吐き、背筋を伸ばした。
「まあいい。娘は無事か?」
答えを待つ前に、わずかに口元を歪める。
「……無事なわけがないか」
拳を握った。
「ここにいる者たちは無関係だ。命じられたとはいえ、娘を送り出した責は私にある」
一歩前へ出る。
「私の首一つで許してほしい」
「娘さんは無事です」
領主の動きが止まった。
「……何?」
「現在、ご家族も含め保護に向かっております。事情は、すべて把握しています」
シルヴィアは変わらず穏やかな口調だった。
領主は何も言えなかった。
轟音はまだ続いている。
けれど、その瞬間だけは不思議なほど遠く感じた。
目の前の女の声も、風に揺れる窓の音も、何もかもが一度に薄れていく。
「娘は……本当に?」
「はい」
領主はゆっくり目を閉じた。
ほんの一瞬。
そして開いた時には、もう表情が変わっていた。
「何をすればいい」
「ここを離れていただきます」
「使用人は?」
「全員です」
即答だった。
領主は頷き、執務室の扉を開いた。
外には、何が起きたのか分からない使用人たちが集まっている。
「全員、最低限の荷物をまとめろ」
ざわめきが起こる。
「旦那様?」
「説明は後だ。メイドも、使用人も、一人残らずだ」
その声に迷いはなかった。
「急げ」
一方、王都では、ほぼ同時に人質の救出が始まっていた。
アルヴェリス王国の中心部で管理されている両家の母親と兄弟姉妹を保護するための任務だった。
王都の中枢で管理されている人質だけあって、警備は厳重だった。
政治的な利用価値を考えれば当然のことだろう。
しかし、ガーディアンたちにとっては、日頃の訓練よりも遥かに簡単な任務だった。
王国が鉄壁と考えていた警備網は、彼女たちの進行を遅らせることすらできなかった。
その日のうちに、二つの家族は主人公の国へ移送された。
*
六番は母親の姿を見つけた瞬間、走った。
抱きつく。
母親も娘を強く抱きしめ返し、兄弟たちもそこへ集まった。
言葉にならない声が、いくつも混じる。
父親は少し離れた場所にいた。
六番を見る。
娘も父親を見る。
六番はゆっくりと父親の前まで歩いていった。
「お父様」
父親の唇がわずかに震えた。
何かを言おうとした。
でも、言葉になる前に。
六番が、そっと父親を抱きしめた。
父親はしばらく動かなかった。
やがて、震える手が娘の背中へ回った。
七番の家族も、よく似た再会だった。
母親が娘を抱きしめ、兄弟たちが集まり、父と娘は言葉もなく互いの無事を確かめた。
その後、六番と七番はそれぞれの家族へ話した。
自分たちに何が起きたのか。
主人公と何を話したのか。
何をしてもらったのか。
そして、これから自分がどうしたいのか。
*
翌日、六番と七番は主人公の執務室を訪れた。
六番が扉をノックし、返事を待ってから開けた。
中には主人公と、アリシア(CH003)がいた。
建国当初から主人公に仕える、「始まりの三人」の一人。
どうやら、少し前まで二人で何かを話していたらしい。
六番と七番が中へ入る。
主人公が二人を見て、柔らかく笑った。
「決まった?」
「はい」
二人の声が重なる。
主人公はまず、六番へ目を向けた。
六番はその意味を理解し、一歩前へ出る。
「私は、ガーディアンになります」
迷いはなかった。
「私だけでなく、家族も。家人たちまで救っていただきました。この恩を、言葉だけで返せるとは思っていません」
一度、深く息を吸う。
「私のすべてをもって、この恩を返します」
主人公は小さく頷いた。
次に、七番へ目を向ける。
七番も一歩前へ出た。
「私も、ガーディアンになります」
昨日までとは違う。
誰かに命じられたからではない。
家族を人質にされたからでもない。
今度は、自分で選んだ。
「私も、私のすべてをもって、この恩を返します」
少しだけ間が空く。
主人公が、もう一度微笑んだ。
「そっか」
そのガーディアンは、何も言わずそのやり取りを見守っていた。
主人公が立ち上がり、二つの首輪を手に取る。
「六番」
「はい」
六番が前へ進み、少しだけ髪を持ち上げる。
主人公の手が首元へ回った。
冷たい感触。
カチリ。
小さな音を立てて、首輪が閉じる。
「七番」
「はい」
七番も前へ出て、髪を上げる。
主人公が自ら首輪を回し、首元で留めた。
カチリ。
ごく小さな音だった。
その瞬間。
七番は理解した。
説明されたわけではない。
誰かに教えられたわけでもない。
ただ、分かる。
どう使うのか。
何ができるのか。
自分が、何につながっているのか。
今まで存在すら知らなかった感覚が、最初から自分の身体の一部だったかのように馴染んでいく。
通信。
情報。
自分自身の状態。
周囲。
魔力。
防御。
兵装。
それらが何なのかを、一つずつ覚える必要すらない。
知っている。
ただ、知っている。
七番は無意識に、情報へ手を伸ばした。
アルヴェリス王国。
それだけを思う。
膨大な情報が開く。
王都。
軍。
兵站。
領地。
貴族。
王宮。
政治。
外交。
王の周囲。
王に従う者。
反発する者。
六番の父。
自分の父。
そして、今回の計画。
七番の思考が止まる。
そこに、自分自身の情報がある。
六番の情報も。
アルヴェリス王国から送り込まれたこと。
何を目的としていたのか。
確定していない部分もある。
けれど、十分だった。
十分すぎた。
「……そういうこと」
隣で、六番が呟いた。
同じところまで辿り着いたらしい。
七番は理解する。
一番。
二番。
三番。
四番。
五番。
自分たちより先に首輪を与えられた彼女たちは、この情報へアクセスできた。
つまり少なくとも、首輪を受け取った時点で、六番と七番がアルヴェリス王国から送り込まれた存在であることを、ほぼ確定的に知っていた。
あの時、五番が即座に動いた理由まで。
今なら分かる。
知らなかったからではない。
知っていた。
その上で見ていた。
自分たちが、主人公の前で何を選ぶのかを。
七番はさらに深く、自分に与えられたものを探る。
そして、言葉を失った。
今なら。
アルヴェリス王国を、たった一人で壊滅させることすらできる。
誇張ではない。
比喩でもない。
そう判断できるだけの情報と、そう実行できるだけの力が、既に自分の手の中にある。
けれど、それをしようとは思わなかった。
もう、その必要がない。
七番はゆっくり顔を上げ、主人公を見る。
先ほどと何も変わっていない。
いつも通り、そこに立っている。
自分は変わった。
見えるものが増えた。
触れられるものが増えた。
昨日までとは比較にならないほど。
世界が広がった。
いや。
違う。
広がったのではない。
初めて、世界がどれほど大きかったのかを知った。
それまで自分が見ていたものが、どれほど小さな世界だったのかを知った。
そして。
これほどのものを与えられてもなお、主人公に近づいたという感覚がまるでなかった。
むしろ、見えるものが増えたからこそ、その距離が以前よりはっきりと分かった。
七番は無意識に首元へ触れた。
主人公から与えられた首輪は、既に自分の一部のように馴染んでいた。




