第10話 俺の物
二人の少女に抱きしめられたまま、三人目の少女は少しの間、泣いていた。
周囲に集まった子供たちも、心配そうに声をかけたり、小さな子が顔を覗き込んだりしている。
主人公は少し離れたところで、その様子を眺めていた。
やがて少女の呼吸が落ち着いてきたところで、声をかける。
「さて、そろそろ動けそう?」
三人目の少女は目元をこすりながら顔を上げた。
「……はい」
まだ少し鼻声だったが、しっかりとした返事だった。
左右にいた二人も立ち上がり、彼女に付き添いながら主人公を見て頷いた。
主人公は軽く頷いた。
ポンチョの下では、右手でライフルのチャージングハンドルを少し引き、左手で薬室の状態を確認する。
弾が入っていることを確認すると、ハンドルを戻して、フォアードアシストでボルトの閉鎖を確実なものにする。
続いてハンドガンも、手探りで薬室の状態を確認する。
何かあるたびに装備の状態を確かめるのは、いつしか主人公の癖になっていた。
準備を終えると、路地の入口へ顔を向けた。
「出て来いよ。つけてたんだろ?」
それまで和やかだった路地に、再び緊張が走った。
少女たちが主人公の視線を追う。
通りに面した建物の陰から、一人の男が姿を現した。
大柄な男だった。
厚い胸板に太い腕。腰には剣を下げ、腕から顔にかけて黒い刺青が入っている。
奴隷商会の入口に立っていた男だった。
その後ろからも、四人の男たちが現れる。いずれも武器を持っていた。
三人目の少女が、その顔を見てわずかに身を強張らせた。
大柄な男は主人公と、その背後に集まる子供たちを見比べた。
「……気づいてやがったのか」
「まあね」
主人公は軽く答えた。
男は鼻を鳴らし、ゆっくりと近づいてきた。
「で、何の用?」
主人公は続けた。
「僕がいなくなった後、ここにいる子供たちを攫うつもりだったとか?」
男は面白そうに笑った。
「はっ。なんだ、分かってんじゃねえか」
背後にいた男たちも笑い始める。
「こいつら、身寄りのねえガキばっかりだろ? 何人か連れてったところで、誰も文句なんざ言わねえよ。街のゴミ掃除してやってんだからむしろ感謝してほしいね」
男は主人公を見下ろし、さらに続けた。
「まさか、ガキどもを連れて行くなとか言わねぇよな? ボンボンは家帰って今日買ったガキとよろしくやってな」
主人公は黙って聞いていた。
ポンチョの下では、右手が既にアサルトライフルのグリップを握っている。
セレクターをセミオートへ切り替えようとしたところで、ふと、背後にいる子供たちのことを思い出した。
まだ一桁の年齢と思われる幼い子供たちが何人もいる。
「……小さい子もいるし、やめとくか」
「おい、もし口出すんだったら怪我じゃ済まねぇぞ?」
男が凄む。
主人公はそれに答えず、ポンチョの下から両手を出し、一度打ち合わせた。
パンッ。
次の瞬間、男たちの姿が消えた。
大柄な男も、その後ろにいた四人の仲間たちも。
まるで最初から誰もいなかったかのように、路地の入口には建物と石畳だけが残っていた。
「……え?」
子供の一人が小さく声を上げた。
ほかの子供たちも、何が起きたのか分からない様子だった。
アリシアは、消えた男たちの姿を見て目を見開いた。
そして、ゆっくりと主人公へ視線を向ける。
ギルドで起きた出来事が頭に浮かんでいた。あの時も、目の前にいた男が突然消えた。
主人公は少女の視線に気づくと、軽く笑いかけた。アリシアもぎこちなく笑った。
三人目の少女は、まだ路地の入口を見つめている。
主人公は少女三人へ向き直った。
「さて、出かける準備しておいてくれる?」
「……はい」
アリシアが答えると、ほかの二人も頷いた。
「街の掃除屋さんがいなくなっちゃったみたいだから、代わりに少しお掃除してくるね」
主人公は三人を見つめ、にやりと笑った。
三人は主人公を見つめ、「はい、分かりました」と頷いた。
主人公は軽く手を振り、路地を後にした。
*
奴隷商会へ戻る道を、主人公はゆっくりと歩いていた。
大通りから離れるにつれ、建物は古びたものが増え、道幅も狭くなっていく。
先ほど訪れたばかりの石造りの建物が見えてきた。
主人公はそのまま扉を開け、中へ入った。
奥の机に座っていた中年の商人が、物音に気づいて顔を上げる。
「もう終わったのか?」
そう言いかけた商人は、入ってきた人物を見て表情を変えた。
「いやいや、これはこれは! 先ほどのお客様ではございませんか!」
主人公は無言で左手を軽く上げた。
商人は椅子から立ち上がり、愛想のよい笑みを浮かべる。
「何かお忘れですか?」
「先ほどプレゼントをもらったので、僕もお返しがしたくて」
「……プレゼント、でございますか?」
ポンチョの下で主人公が握っていたのは、あえて小口径、低威力の.22口径拳銃だった。
サプレッサーによって抑えられた発砲音が響く。
ポンチョ越しに発射された銃弾が、商人の胸に命中した。
「がっ……!」
男の身体が大きく揺れ、椅子へ倒れ込む。
商人は胸を押さえ、何かを言おうとした。
しかし、言葉にならない。
口元から血の混じった泡が溢れ、苦しそうな呼吸音だけが漏れた。
主人公はポンチョの下から拳銃を出した。
続けて、二発。商人の両膝へ銃弾が命中する。
男は椅子から崩れ落ち、床に倒れ込んだ。
胸を押さえたまま身体を丸め、浅い呼吸を繰り返している。
『右肺が損傷しましたが、しばらくは生きていられる状態です』
『そうだね』
主人公は拳銃をポンチョの下でストレージへ収納した。
『この商会の資産、回収しておいて。薬莢もね』
『承知しました』
次々と情報が視界に表示される。
金貨や銀貨、宝石、貴金属。
商会が保管していた財産が分類され、ストレージへ収納されていく。
床に落ちていた薬莢も、跡形もなく消えた。
主人公は商人へ歩み寄った。男は床に倒れたまま、胸を押さえて苦しそうに身体を丸めている。
主人公はその髪を左手で掴んだ。
「ぐっ……!」
そのまま引きずり始める。
商人の身体が床を擦り、服が乱れていく。
主人公は特に速度を緩めることもなく、奥の通路へ向かった。
『念のためだけど、他に誰もいないよね?』
『生存者はいません』
『亡くなってる人がいるのね。どこ?』
『奥の小部屋です。位置を表示します』
『ありがとう』
主人公は分厚い木製の扉を抜け、鉄格子の並ぶ部屋へ入った。
三人目の少女が閉じ込められていた檻の前で足を止める。
主人公が意識を向けると、鍵が外れ、鉄格子が開いた。
主人公は商人を檻の中へ放り込み、扉を閉めた。金属の錠が掛かる。
商人は床に倒れたまま、主人公を見上げていた。
主人公はその視線を気に留めず、aiが表示した奥の小部屋へ向かった。
室内には壊れた家具や古い道具、汚れた布などが積み重ねられている。
その隅に、人の形をしたものが置かれていた。粗末な布に包まれた遺体だった。
『奴隷として収容されていた人物です。死亡後、そのまま放置されていたと考えられます』
「……商売も下手くそかよ」
主人公は呆れたように呟いた。
しばらくその光景を眺めてから、aiへ意識を向ける。
『線香出してくれる?』
『はい』
手元に数本の線香が現れた。
主人公はその先端に火を灯し、遺体の前に供えた。細い煙が静かに立ち昇る。
「南無阿弥陀仏」
両手を合わせ、軽く頭を下げる。
それから立ち上がり、小部屋を後にした。
*
鉄格子の並ぶ部屋へ戻ると、商人はまだ床に倒れていた。
主人公はその姿を横目に、隣の空いている檻の扉を閉め、鍵を掛けた。
そして、その中へ用心棒たちを出現させた。
五人の男たちが、突然檻の中に現れる。
「……なっ!?」
「ここは……!」
男たちは慌てて周囲を見回した。
つい先ほどまで路地裏にいたはずなのに、気づけば奴隷商会の檻の中に閉じ込められている。
そのうちの一人が主人公に気づいた。
「てめえ! 何しやがった!」
別の男が腰へ手を伸ばす。
「くそっ! 剣がねぇ!」
「おい! ここから出しやがれ!」
男たちが騒ぎ立てる。主人公は何も答えなかった。
ポンチョの下から、先ほどの.22口径拳銃を取り出す。
サプレッサーによって抑えられた発砲音が響いた。
用心棒の一人が足を押さえて倒れ込む。
続いて、別の男も床へ崩れ落ちた。
「ぐあっ!」
男たちは叫び声を上げ、檻の奥へ逃れようとする。
主人公は淡々と射撃を続けた。
弾倉を交換している間に、大柄な男が怒鳴った。
「てめえ! 何しやがる!」
主人公は男へ銃口を向けた。
「掃除だよ」
再び、抑えられた発砲音が響いた。
大柄な男も、残っていた数人の仲間とともに足を撃たれ、床へ崩れ落ちた。これで全員だった。
主人公は拳銃をストレージへ収納すると、隣の檻へ目を向けた。
商人は床に倒れたまま、荒い息を繰り返している。
主人公の手に、一個の白リン手榴弾が現れた。
白リンは空気に触れると自然発火し、水をかけるだけでは容易に消火できない。
人体に付着すれば深部にまで及ぶ重篤な熱傷を引き起こし、骨にまで損傷が及ぶこともある。
その非人道的な被害から、現代では使用に厳しい制限が設けられている兵器だった。
主人公は商人の檻に沿って透明な障壁を展開した。
白リン手榴弾の安全ピンを取り外すと、そのまま檻の中へ転送する。
レバーが外れ、ほどなく激しい燃焼が始まった。
白い煙が檻の中へ広がっていく。
しかし、煙も燃焼物も透明な障壁に遮られ、檻の外へ漏れ出すことはなかった。
煙の向こうには、瀕死だった商人が血の泡を吹きながら、のたうち回る姿が見えた。
それを見ていた用心棒たちの表情が変わった。
「……お、おい!」
一人が鉄格子にしがみつく。
「やめてくれ! 頼む!」
主人公はその男を見た。
手には、もう一個の白リン手榴弾が現れていた。
「君も止めなかったんだろう」
主人公はもう一個の手榴弾を用心棒たちの檻の中へ転送すると、背を向けて歩き出した。
直後、背後で白リンが燃焼し、飛び散った燃焼物が主人公の背中へ降り注ごうとした。
しかし、その手前に透明な障壁が現れ、すべてを遮った。
『防御しました』
『ありがとう』
背後からは、用心棒たちの絶叫が聞こえていた。主人公は振り返ることなく、その場を離れた。
*
主人公は通路を抜け、再び店の表側へ戻った。
「さて、と」
先ほど商人が座っていた机の周辺に、ガソリンの入った携行缶が現れた。
続いて用意したテルミット傷痍手榴弾をそこへ投げると、主人公は素早く店を後にした。
数秒後、背後の奴隷商会から激しい炎が噴き出した。
窓から黒煙が立ち昇り、炎が建物の内部へ広がっていく。
『このままでは両隣の建物へ延焼する可能性がありますが、防止しますか?』
「いや、いいや」
主人公はそのまま歩き続けた。
*
「次は、と……」
主人公は少し考えてから、aiへ意識を向けた。
『この前助けた商会の女の人、どこにいるか分かる?』
『はい。ご実家の商会に戻られています』
『そっか。じゃあ、そこまで案内して』
『承知しました。経路を表示します』
主人公の視界に、淡い光の線が現れた。その経路に従って歩き始める。
大通りへ戻ると、街は相変わらず賑わっていた。
荷馬車が行き交い、商店の前では客と店主が値段の交渉をしている。
しばらく歩くと、商店の並ぶ一角に、一軒の建物が見えてきた。
二階建ての木造建築で、一階部分には大きな扉が設けられている。
軒先には荷車が停まり、数人の男たちが木箱を運び込んでいた。
建物の前には商会の名前を記した看板が掲げられている。
「ここか」
『はい』
主人公は荷運びの邪魔にならないよう建物の脇を通り、入口へ向かった。
中に入ると、帳簿を広げた机や商品を並べた棚が目に入った。
奥では何人かの従業員が忙しそうに働いている。
入口近くにいた若い男が主人公へ声をかけた。
「いらっしゃいませ。何かご用でしょうか?」
「こんにちは。こちらに、先日山賊に襲われた女性が戻られたと聞いたんですが」
男の表情が変わった。
「……ああ、お嬢様のことですか?」
「ええ。もしご在宅でしたら、少しお会いできませんか? 助けた者です」
「……あっ! 少々お待ちください!」
男は慌てた様子で頭を下げ、奥へ向かった。
主人公は店内を見渡した。
商品は多いとは言えないものの、よく整理されている。
壁際には木箱が積まれ、その一つひとつに品名や数量が記されていた。
帳簿を確認していた従業員が、別の男と何やら相談している。
忙しそうだが、仕事は滞りなく進んでいるようだった。
「へえ、ちゃんとした商会だね」
『中小規模ですが、堅実な経営をされているようです』
「いいねぇ」
そんな会話をしていると、奥の扉が開いた。
「……あっ!」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、そこには山賊から救出した女性が立っていた。
その後ろには、四十代後半に見える男性もいる。
女性は主人公の顔を見るなり、驚いたように目を見開いた。
「あなたは……!」
「こんにちは。お元気そうですね」
主人公が笑いかけると、女性は慌てて近づいてきた。
「はい! おかげさまで……!」
声が少し震えている。
女性は主人公の前で立ち止まると、深く頭を下げた。
「先日は、本当にありがとうございました」
「いえいえ。お元気そうで何よりです」
女性は顔を上げ、少し笑った。
その後ろにいた男性が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「失礼ですが……娘を助けてくださった方でしょうか?」
「はい。そうです」
主人公が答えると、男性の表情が変わった。
「おお……!」
男性はすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
「娘の父でございます。このたびは、娘の命をお救いいただき、本当にありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
「とんでもございません!」
男性は顔を上げた。
「娘から話は聞いております。あなた様がいらっしゃらなければ、娘は今ここにいなかったでしょう」
女性が静かに頷く。
父親は少し言葉を詰まらせた。
「……婿のことは、残念でなりませんが」
男性は一度目を伏せた。
「それでも、娘を無事に連れ帰ってくださった。亡くなった婿の身体まで、丁寧に運んでいただいたと聞いております」
主人公は黙って話を聞いていた。
「大変感謝しています」
父親は深く頭を下げた。
それから、店の奥へ手を向けた。
「よろしければ、どうぞこちらへ。お茶でもお出しさせてください」
「あ、ありがとうございます」
主人公は案内されるまま、奥の部屋へ向かった。
*
案内されたのは、商談用らしい小さな部屋だった。
木製のテーブルを挟んで椅子が並び、壁には棚が設けられている。
主人公が席に着くと、女性がお茶を運んできた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
主人公はカップを受け取り、軽く口をつけた。
香ばしい香りが広がる。
「おいしいですね」
女性が少し嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。父が気に入って仕入れているお茶なんです」
「へえ、そうなんですね」
主人公はもう一口飲んだ。
父親は向かいの席に腰を下ろし、改めて主人公へ頭を下げた。
「娘の件では、大変お世話になりました。何かお礼をさせていただけませんでしょうか」
「そんなものは要りません、と言うところなのですが、実はお願いがありまして」
「お願い、でございますか?」
「はい」
主人公はカップをテーブルに置いた。
「この街に、親のいない子供たちが何人かいるんです」
父親は静かに頷いた。
「路地裏などで暮らしている子供たちでしょうか」
「ええ。住むところも、面倒を見てくれる大人もいないみたいで」
「……なるほど」
主人公は父親の目を見た。
「この子たちを預かって、一人で生きていける力をつけてあげてほしいんです」
父親は少し驚いたように目を瞬かせた。女性も主人公へ視線を向ける。
「子供たちを、ですか?」
「はい」
主人公は頷いた。
「もちろん、当面の生活資金はお渡しできればと思います。いきなりこんなお願いをして申し訳ないのですが」
父親は腕を組み、少し考え込んだ。
「……何人ほどでしょうか?」
主人公はaiへ意識を向ける。
『正確には何人だっけ?』
『現在、路地裏にいる子供たちは十二名です。そのうち三名を主様が引き取られる予定ですので、残る九名となります』
『ありがとう』
主人公は父親へ向き直った。
「九人ほどですね」
「九人……」
父親は小さく呟いた。
一人や二人という話ではない。
九人の子供を預かるとなれば、食事も寝床も、それなりの準備が必要になる。
まして、ただ食べさせるだけでなく、一人で生きていける力を身につけさせるとなれば、仕事を教えることも考えなければならない。
父親が思案していると、隣にいた娘が口を開いた。
「お父様」
「うむ」
「私も、お手伝いします」
父親は娘を見つめた。
女性は続ける。
「こちらの方には、命を助けていただきました。私も、この子も」
そう言って、そっと自分のお腹を撫でた。
「何かお礼ができればと、ずっと思っていたんです」
父親は娘の手元へ目を向け、それからゆっくりと頷いた。
「……そうだな」
少しの間を置き、主人公へ向き直る。
「分かりました。お引き受けいたしましょう」
「おお、本当ですか?」
主人公の表情が明るくなった。
「はい。すぐに十分な部屋を用意できるかは分かりませんが、何とかいたします。商会の仕事もありますから、年長の子供たちには、少しずつ手伝ってもらいながら商売を覚えてもらうこともできるでしょう」
「いいですね。それは助かります」
主人公は嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ、こちらを」
テーブルの上に、大きな革袋が現れた。
ずしりと重い音がする。父親と娘が目を見開いた。
主人公は気にせず袋の口を開く。中には金貨が詰まっていた。
「ちょうど臨時収入がありましたので、よかったらこちらをお使いください」
父親は袋の中を覗き、驚いたように顔を上げた。
「こ、これは……!」
しばらく金貨を見つめていた父親は、やがて主人公へ視線を戻した。
「……失礼ですが、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
「なぜ、彼らにこれほどのことをなさるのですか? あなた様は、この街の人間ですらないと伺っています」
主人公は少し考えた。
「彼らが苦しむと、悲しむ人がいるからですかね」
父親は、その言葉を聞いて黙った。
主人公はそれ以上説明せず、茶を一口飲んだ。
やがて父親は、静かに金貨の入った袋へ視線を落とした。
「……承知いたしました」
ゆっくりと顔を上げ、主人公を見た。
「大切に使わせていただきます」
「はい。お願いします」
主人公が答えると、隣にいた娘も深く頭を下げた。
「子供たちのことは、どうぞご安心ください」
「こちらこそ、ありがとうございます」
主人公は満足そうに頷いた。
「それじゃあ、早速なんですが、子供たちを連れてきてもよろしいですか?」
「もちろんです」
父親は快く頷いた。
「おお、助かります」
主人公は立ち上がった。
「では、少し行ってきますね」
「はい。お待ちしております」
今度は娘が答えた。
父親と娘に見送られ、主人公は商会を後にした。
*
路地裏へ戻ると、少女三人は既に準備を終えていた。
主人公の姿に気づいた一人が顔を上げる。
「主様!」
「ただいま。準備できた?」
「……はい」
少女は答えたものの、どこか言葉を選ぶような様子だった。
隣にいた二人と顔を見合わせると、少しためらいながら口を開いた。
「あの……ほかの子たちも、また何かあるといけないので、一旦ここを離れようと、荷物をまとめたんです」
そう告げた少女は、主人公の反応を窺った。
主様が欲しいのは、契約し、購入した自分たち三人だけだ。
お願いすれば、主様なら聞いてくださるかもしれない。
それでも、主様にとって何の利益もないことを、これ以上自分たちからお願いするのは気が引けた。
しかし、ほかの子供たちだけをここに残せばどうなるかは、先ほどの男たちを見れば分かる。
だから、せめて一緒に逃げられるようにという建前で、子供たちにも荷物をまとめてもらった。
今の自分たちにできるのは、そこまでだった。
主人公は少女たちの言葉と表情から、その考えを察した。
そして、感心したように笑う。
「本当に素晴らしいね」
「……え?」
「安心して。子供たちの行き先はちゃんと用意したよ」
三人の顔に、驚きと喜びが入り交じった表情が浮かんだ。
「……ありがとうございます!」
少女たちは揃って頭を下げた。
「うん。先日助けた商人がいたから、その人にお願いしてきたんだ」
三人は顔を見合わせた。
その反応を見て、主人公は苦笑した。
「ああ、さっきの商人じゃないよ」
少女たちが主人公へ視線を戻す。
「あいつら、街の掃除屋は向いてなさそうだったから、別の仕事をお勧めしたんだ」
そう言って、主人公は人差し指を上へ向けた。
「夜になると、空から人々を照らす仕事」
三人は黙ってその指先を見つめた。
「まあ、子供たちがあいつらと会うことは二度とないと思うから、安心して」
近くで話を聞いていた子供たちは、何のことか分からない様子で首を傾げている。
一方、少女たちは主人公の言葉を理解したようだった。
しばらく主人公を見つめた後、静かに頷く。
主人公はそれ以上説明せず、少女たちへ軽く目配せした。
アリシアが頷き、子供たちへ向き直る。
「みんな、聞いてくれる?」
荷物を抱えていた子供たちが顔を上げた。
「これから、新しいところに移動することになったの」
「新しいところ?」
「うん。商会の方が、みんなを預かってくださるんだって」
「どんなところ?」
少女は少し考えた。
「いい商人さんのところだって」
「どんなところなの?」
別の子供も興味深そうに尋ねた。
「どんなところだろうね?」
けれど、主様が助けた人だという。
それなら、少なくとも先ほどの奴隷商人たちとは違うはずだった。
「みんなもお役に立てるように、しっかり言うことを聞くんだよ?」
「はーい!」
子供たちが元気よく返事をした。
主人公はその様子を眺めていた。
やがて子供たちが荷物を持ち直すと、少女たちが主人公へ向き直る。
「主様、準備できました」
「うん。じゃあ、行こうか」
主人公が歩き出すと、三人の少女と子供たちがその後に続いた。
*
商会へ到着すると、既に受け入れの準備が始まっていた。
入口では父親と娘が待っている。
子供たちの姿を見ると、女性は柔らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは。皆さん、よくいらっしゃいました」
子供たちは少し緊張した様子で立ち止まった。アリシアが小さく促す。
「ほら、ご挨拶して」
「……こんにちは」
「こんにちは!」
子供たちが口々に挨拶する。
女性はしゃがみ込み、小さな子供と目線を合わせた。
「お腹は空いていませんか?」
子供は少し考えてから、こくりと頷いた。
「そう。じゃあ、まずはご飯にしましょうね」
その言葉に、何人かの子供たちの表情が明るくなった。
父親も穏やかに笑う。
「さあ、どうぞ中へ。遠慮なさらず」
子供たちは少女たちへ視線を向けた。アリシアが頷く。
「大丈夫。行っておいで」
一人、また一人と、子供たちが商会の中へ入っていく。
三人の少女はその場に残り、最後の子供が中へ入るのを見届けた。
主人公は三人へ顔だけを向けた。
「じゃあ、みんなにお別れを言っておいで」
「……はい」
三人は頷いた。
そのとき、主人公は三人目の少女が一瞬、手元へ視線を落としたことに気づいた。
少女が持っていたのは、小さな薬の袋だった。
主人公が買い取ったとき、約束として渡した薬が入っている。
主人公と少女の目が合った。
主人公は商会の女性へ視線を移し、顔をわずかに傾けて、話しかけるよう促した。
少女はその意図を察し、一歩前へ出る。
「あの……」
女性が振り返る。
「はい、何でしょう?」
三人目の少女は薬の袋を差し出した。
「病気の薬です。今、体調が悪い子がいるわけではないのですが……主様に頂いたものが余っていたので、よかったら使ってください」
女性は袋を受け取り、優しく微笑んだ。
「まあ、ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
「はい。お願いします」
三人の少女は主人公へ軽く頭を下げると、子供たちの待つ建物の奥へ向かった。
主人公はその姿を見送り、父親へ向き直った。
父親もしばらく少女たちの背中を見つめていたが、やがて主人公へ尋ねた。
「あの子たちは、連れて行かれるのですね?」
「はい。そういう約束だったので」
「僕も煩悩具足の凡夫ということですよ」
「……ぼんのう、ぐそく……?」
父親は聞き慣れない言葉に、少し戸惑ったような表情を浮かべた。
主人公はその反応に小さく笑ったものの、あえて説明しなかった。
「それでは、子供たちのこと、よろしくお願いします」
そう言って、頭を下げた。
父親も姿勢を正して応じる。
「はい。私にできる限りのことは、させていただきます」
女性もその隣に並んだ。
「またいつでもいらしてくださいね」
「ありがとうございます」
主人公は微笑んだ。
それから少しの間、三人が戻ってくるのを待った。
やがて奥から足音が聞こえ、少女たちが姿を現した。
三人とも少し目元が赤くなっていたが、主人公の姿を見つけると、足取りを速めて近づいてきた。
「主様、お待たせいたしました」
「うん。もういい?」
「はい」
三人が揃って頷いた。
主人公はその顔を見渡してから、父親と女性へ向き直る。
少女たちも主人公の隣に並んだ。
「それでは、改めてよろしくお願いします」
主人公が頭を下げると、少女たちも揃って頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
父親と女性も、丁寧に頭を下げて応じた。
主人公は最後に軽く手を上げると、少女三人とともに商会を後にした。
*
大通りへ戻ると、夕方の光が街並みを照らし始めていた。
商店の軒先には灯りがともり、昼間とは少し違う賑わいが生まれている。
主人公はゆっくりと歩いていた。その後ろには、三人の少女がついてきている。
しばらく歩いたところで、アリシアが声をかけた。
「主様」
「ん?」
「本当に、ありがとうございました」
少女は深く頭を下げた。
隣の少女も続く。
「仲間たちのことまで、お世話になってしまって……」
三人目の少女も頭を下げた。
「君たちが頑張ったから、こういうご縁ができたんだろうね」
三人は主人公の言葉を聞き、顔を見合わせた。
主人公はその様子を眺めていたが、ふと三人目の少女へ顔を向けた。
「そういえば、君の名前、まだ聞いてなかったね」
少女は少し驚いたように目を見開き、それから姿勢を正した。
「申し遅れました。フレアと申します」
「フレアだね。もしかして君もエルンフェルト家?」
「はい。そうです。二人に聞いたのですね」
「そうだね。今後フレアでいい?」
「はい。家名は捨てました。フレアでお願いします」
「そっか。分かった。よろしくね、フレア。僕は慧だよ……龍膽慧」
「はい。よろしくお願いいたします」
主人公は満足そうに頷き、大通りの先へ目を向けた。
「さてと、お腹空いてきたよね。ご飯食べようか」
「……はい!」
少女たちが頷く。
主人公は改めて三人の姿を見た。
擦り切れた服に、汚れの残る髪や手足。
痩せた身体も、まだ十分には回復していない。
『三人の身体と服を綺麗にしてあげて。周りの人に気づかれないように、少しずつね』
『承知しました。服装はいかがいたしましょうか?』
『とりあえず、白っぽいワンピースでいいかな。三人それぞれ似合う感じにしてあげて』
『お任せください』
主人公は何事もなかったように歩き続けた。
少女たちも、その後に続いている。
道の向こうから荷車が近づいてきた。
主人公が少し端へ寄ると、三人も同じように道を譲る。
荷車が通り過ぎた頃には、少女たちの髪に残っていた汚れが、目立たなくなっていた。
その後も、人とすれ違うたびに、少しずつ変化が進んでいく。
汚れていた手足が綺麗になり、絡まっていた髪が自然に整っていく。
擦り切れた服も、周囲から見れば歩く人々に紛れた一瞬のうちに、少しずつ形を変えていた。
最初に異変に気づいたのは、ノエルだった。
「あれ……?」
自分の袖に目を落とす。
先ほどまで破れていたはずの布が、綺麗になっている。
隣を歩く少女を見ると、そちらの服も変わり始めていた。
「……ちょっと、見て」
声をかけられた少女が、自分の服に目を向ける。
「えっ……?」
二人は顔を見合わせた。
フレアも、何事かと視線を落とした。その間にも変化は続いている。
やがて、人通りの多い一角を抜けた頃には、三人の服はすっかり新しいものへ変わっていた。
白を基調とした、清潔感のあるワンピース。
形や細部の装飾はそれぞれ異なり、三人の雰囲気に合わせた仕上がりになっている。
髪も綺麗に整えられ、肌に残っていた汚れも消えていた。
少女たちは足を止め、自分たちの姿を見つめた。
「……すごい」
一人が小さく呟く。
もう一人も、ワンピースの裾をそっと持ち上げた。
フレアは、自分の手と服を何度も見比べている。
そして、三人は揃って主人公へ目を向けた。
主人公はその反応を見て、楽しそうに笑った。
「とりあえず仮でね。あとで服でも見に行こうか」
「……はい!」
少女たちは嬉しそうに頷いた。
主人公は大通りの先に並ぶ店を眺める。
「さて、何食べようかな」
その言葉に、三人の少女はまた顔を見合わせた。
今度は、誰からともなく笑みがこぼれた。
主人公が歩き出すと、三人もその後を追った。
夕暮れの街を、四人は並んで歩いていった。




