第9話 三人目の少女
大通りへ戻った主人公は、aiが視界に表示した経路を辿りながら、街の様子を眺めていた。
昼を少し過ぎた頃だろうか。
通りには相変わらず大勢の人が行き交い、商人たちの呼び声があちこちから聞こえてくる。
ふと、主人公が足を止めた。
「あっ、やべ!」
『どうされました?』
「ギルドから懸賞金もらうの忘れてた!」
山賊十三人分の首を提出したところまではよかった。
身元確認が終わるまで食堂で待つことにしたのだが、その後、少女たちが訪ねてきて、すっかり忘れてしまっていた。
『ああ、そういえば。何やらバタバタしていたみたいですからね。明日でもいいんじゃないですか?』
「そっか。ギルドって忙しいんだねぇ」
『そうですね』
「まあ、いいか。明日取りに行こう」
『はい』
主人公は何事もなかったように歩き出した。
しばらくして、aiが小さく笑ったような気がした。
「なに笑ろてんねん」
『いえ、何でもありません』
「ならええけど」
主人公も少し笑い、そのまま通りを進んだ。
やがて賑やかな大通りを外れると、周囲の雰囲気が少しずつ変わり始めた。
建物は古くなり、道幅も狭くなる。
表通りではあまり見かけなかった、薄汚れた服の人間も増えてきた。
もっとも、誰もが貧しいというわけではないらしい。立派な服を着た商人が馬車から降りる姿もあれば、荷物を運ぶ労働者たちが忙しそうに行き交う様子も見える。
「あそこか」
『はい。奴隷商会は、あちらの建物です』
主人公の視界に、一軒の建物が強調表示された。
石造りの二階建てで、周囲の建物に比べると随分と立派だった。
入口には装飾の施された木製の扉があり、その脇には剣を下げた大柄な男が立っている。
「へぇ。思ってたよりちゃんとしてるやん」
『この地域では、奴隷の売買自体は合法的な商取引として扱われています』
「へぇ」
主人公は建物を見上げた。
『対象の少女は、現在も建物内にいます』
「OK」
そう言って、主人公は扉へ向かった。
入口に立っていた男が、こちらへ視線を向ける。
「何の用だ?」
「こんにちは。奴隷を買いたいんですけど、こちらでよろしいですか?」
男は主人公の服装を眺めた。
ポンチョの裾からは、膝下の迷彩服が覗いている。
裕福な商人には見えないかもしれないが、少なくとも金に困っているようにも見えなかったらしい。
「……ああ。入れ」
「ありがとうございます」
主人公は軽く会釈し、扉を開けた。
店内は思っていた以上に整っていた。
磨かれた木製の床に、いくつかのテーブルと椅子。
壁には絵画のようなものまで飾られている。
奥には通路が続いており、その先に別の部屋があるようだった。
ただ、壁際には剣を下げた男たちが立っていた。
そのうちの一人が主人公へ目を向ける。
奥の机に座っていた中年の男も、こちらに気づいたらしい。
「いらっしゃいませ」
男は椅子から立ち上がり、愛想のよい笑みを浮かべた。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「奴隷を購入したいと思いまして」
「おお、そうでしたか。ありがとうございます」
商人は主人公を椅子へ案内した。
「どうぞ、こちらへ。どのような奴隷をお探しで?」
「そうだなぁ……」
主人公は椅子に腰を下ろし、少し考える。
「気の強い女の子がいいんですが」
商人が僅かに眉を上げた。
「気の強い娘、でございますか?」
「ええ。そういう子をいじめるのが好きで」
主人公は穏やかな調子で答えた。
商人は一瞬だけ主人公を見つめ、それから納得したように笑った。
「なるほど、なるほど。そういうことでございましたか」
男の笑みが、少しだけ深くなる。
「それでしたら、ちょうどよい娘がおります。実は先日、大きなお取引がございまして、手元にいた奴隷のほとんどが売れてしまったのですが、ちょうどよいのが一人残っておりまして」
商人は少し困ったような表情を作った。
「これがなかなか気の強い娘でして、少々躾に手間がかかっておりますが、お客様のお好みには合うかと」
「それはよさそうですね。見せていただけますか?」
「もちろんでございます。どうぞ、こちらへ」
商人は立ち上がり、奥の通路へ向かった。
主人公もその後に続く。
通路の先には、分厚い木製の扉があった。
商人が腰から鍵を取り出し、錠を開ける。
扉の向こうは、先ほどまでの部屋とは随分と様子が違っていた。
石造りの壁に、薄暗い照明。湿った空気には、かすかな異臭が混じっている。
壁沿いには鉄格子で区切られた小部屋が並んでいるが、どれも空だった。
主人公は周囲を眺めながら、商人について歩く。
やがて商人は、通路の突き当たりにある鉄格子の前で足を止めた。
「こちらでございます」
その向こうに、一人の少女がいた。
粗末な服を身につけ、床に座り込んでいる。
顔はひどく腫れ、頬や口元には紫色の痣が広がっていた。
露出した腕にも傷があり、手首には縄で強く縛られたような跡が残っている。
少女は扉の開く音に顔を上げた。
そして、主人公を見た。
鋭い視線だった。
身体は傷つき、満足に動くことも難しそうだったが、その目には強い意志が感じられた。
「……へぇ」
主人公は思わず小さく声を漏らした。
商人が苦笑する。
「ご覧のとおりでして。なかなか素直にならない娘なのです」
少女は商人を睨みつけた。
その視線に気づいた男が、僅かに顔をしかめる。
「おい。客人の前だぞ」
少女ははっとして、改めて主人公へ目を向けた。
商人は手を揉みながら、にやりと笑った。
「実にいじめがいがありそうでしょう?」
主人公は少女を見つめた。
少女は一度目を閉じた。
唇を強く噛み、ゆっくりと息を吸う。
再び目を開いた時、その瞳には強い意志が宿っていた。
「……私を買ってください」
主人公は僅かに眉を上げた。
「うん?」
少女は鉄格子へ近づき、主人公をまっすぐ見つめた。
「私には、何をしても構いません」
腫れた唇から、掠れた声が漏れる。
「だから……仲間の薬を買うお金を、貸してほしいんです。そして、仲間に薬を届けさせてください」
主人公は黙って続きを待った。
「お願いします。何でもしますから……」
少女は両手を握りしめた。
その指先が、小さく震えている。
怖くないはずがない。
自分を買おうとしている相手が、どんな人間なのかも分からないのだ。
それでも少女は、主人公から目を逸らさなかった。
主人公は少し考えた。
「僕に買われたら、今よりよっぽどひどい目に遭うかもしれないよ?」
「死ぬような苦痛を味わうかもしれない。文字どおり、死ぬかもしれないよ。それでもいいの?」
主人公は少女の目を見た。
少女は唇を結んだ。
一瞬だけ目を閉じる。
そして、再び主人公を見つめた。
「……はい。構いません」
少女ははっきりと答えた。
「死ぬその瞬間まで、耐えてみせます」
商人はその様子を、にやにやと眺めていた。
主人公は何も言わない。
少女は一度息を整えると、言葉を続けた。
「ただ……もし、仲間に薬を届けられないなら」
少女の声に、僅かに力が入った。
「私は舌を噛んで死にます」
商人の表情が変わった。
「おい、貴様! 客人に向かって何を――」
主人公が片手を上げた。
商人は言葉を止める。
少女は主人公を見据えたまま、続けた。
「それは私にとっても、あなたにとっても損のはずです」
震えていた声は、いつの間にか落ち着いていた。
「ですから……」
少女はその場に両膝をつき、床へ両手をついた。
そして、深く頭を下げる。
「どうか、お願いします」
主人公は、床に額をつけた少女を見つめていた。
命を捨てる覚悟を持ちながら、一方で、どんなにつらくとも簡単には命を投げ出さない。
ほとんど望みのない状況でも、わずかな可能性に懸けて、ここまで耐えてきたのだろう。
そして、その機会が訪れれば、持てるものすべてを差し出してでも逃さないよう、冷静に最善の行動を取る。
この過酷な世界で、今まで仲間たちを守りながら生きてこられたのも納得だった。
主人公は改めて感心した。
「……いいねぇ」
思わず笑みがこぼれる。
少女は顔を上げなかった。
主人公は立ち上がり、商人へ向き直った。
「この子にします」
「……え?」
商人は一瞬だけ呆けた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「おお! ありがとうございます!」
「すごくいい買い物ができた」
主人公は満足そうに笑った。
*
取引は、それほど時間もかからずに終わった。
商人は少女の値段を告げ、主人公は異議を唱えることなく購入を決めた。
「そういえば、薬も扱っていらっしゃいますか?」
「薬、でございますか?」
「病気の奴隷に飲ませる薬をお持ちでしょう?」
「ええ、ございます」
「一通りいただけますか?」
「かしこまりました」
商人は少し意外そうな顔てをしたものの、すぐに奥へ引っ込んだ。
ほどなくして、いくつもの小さな薬瓶や包みを持って戻っくる。
主人公はそれらを確認し、少女の代金と併せて支払った。
商人は代金を受け取り、すっかり上機嫌になっていた。
「いやはや、よいお取引をさせていただきました」
「こちらこそ」
「またお客様のお好みに合う娘を入荷しておきますので、ぜひお立ち寄りください」
主人公は軽く頷いた。
「近々また来ることになると思いますよ」
「おお! それはそれは。お待ちしております」
商人は深々と頭を下げた。
主人公は少女のもとへ向かった。
すでに鉄格子は開かれ、少女は通路へ出されていた。
近くには用心棒が立っている。
主人公が近づくと、少女は僅かに身を強張らせた。
「さて、と」
主人公は少女の前にしゃがみ込んだ。
少女は緊張した表情でこちらを見ている。
「じゃあ、行こうか」
「……はい」
少女は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がろうとした。
しかし、主人公はその動きを待たず、少女の背中と膝の裏へ手を回した。
「……え?」
次の瞬間、少女の身体がふわりと持ち上がる。
主人公は、そのまま少女を両腕に抱えた。
いわゆる、お姫様抱っこだった。
「ま、待ってください!」
少女が慌てて声を上げる。
「歩けます! 自分で歩けますから!」
「大丈夫だよ」
主人公は気にせず歩き出した。
「で、でも……!」
少女は自分の服を見下ろした。
汚れた布地に、乾いた血の跡。
「私、汚いですし……臭いも……」
主人公は少女へ目を向けた。
「俺の命令は絶対なんだろ?」
少女は言葉を詰まらせた。
少しだけ唇を噛む。
「……はい」
「じゃあ、おとなしくしててね」
「……承知しました」
主人公は満足そうに頷いた。
そのまま商人たちの前を通り過ぎ、店の出口へ向かう。
商人は少し意外そうな顔をしたものの、すぐに笑顔へ戻った。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「では、また」
主人公は少女を抱えたまま、奴隷商会を後にした。
*
通りへ出ると、主人公は少女を抱えたまま、ゆっくりと歩き始めた。
少女はしばらく黙っていた。
自分を買った男が何を考えているのか、まるで分からない。
先ほどは、死ぬような苦痛を与えるかもしれないと言っていた。
それなのに、今は自分を抱えて歩いている。
しかも、汚れた身体を嫌がる様子もない。
少女は主人公の顔を盗み見る。
その表情は穏やかだった。
少なくとも、何かを企んで楽しんでいるようには見えない。
もっとも、それだけで安心できるはずもなかった。
少女は視線を落とした。
両手は胸の前で小さく握られている。
主人公はそんな彼女を気にする様子もなく、街並みを眺めながら歩いていた。
『とりあえず、治してあげて』
主人公はaiへ意識を向けた。
『承知しました』
少女の身体に残っていた傷が、静かに修復されていく。
腫れた頬も、切れた唇も、身体の奥に残っていた痛みも、少しずつ消えていった。
変化はあまりにも自然で、少女自身はすぐには気づかなかった。
少女は周囲の街並みに目を向けた。
見覚えのある道だった。
その先に並ぶ建物も、角に置かれた古い木箱も、何度も見たことがある。
まさか。
少女は主人公の顔を見た。
「あの……」
「ん?」
「どちらへ……?」
主人公は軽く笑った。
「もうすぐ着くよ」
それだけだった。
少女はそれ以上聞けなかった。
けれど、主人公が角を曲がると、見慣れた細い路地が目に入った。
間違いない。
自分たちが暮らしていた場所へ続く道だった。
*
路地の奥には、何人もの子供たちが集まっていた。
壁際には古い木箱や布が積まれ、その間に小さな生活空間が作られている。
少し離れたところでは、アリシアとノエルが仲間たちと何かを話していた。
主人公の姿に気づいたアリシアが顔を上げた。
その視線が、主人公の腕の中へ移る。
アリシアの動きが止まった。
隣にいたノエルも、その視線を追う。
二人は、ほとんど同時に駆け出した。
抱えられていた少女も、二人の姿に気づいていた。
「……っ!」
少女の身体が僅かに動く。
主人公は足を止め、ゆっくりと彼女を地面へ降ろした。
少女の足が地面につく。
その直後だった。
二人が勢いよく抱きついてきた。
「……っ!」
三人の身体が重なる。
抱きついた二人は何も言わず、ただ強く腕を回していた。
三人目も、少し遅れて二人の背中へ手を回した。
その様子に気づいた子供たちが、次々と集まってくる。
「あっ!」
「帰ってきた!」
「本当だ!」
路地に歓声が広がった。
小さな子供たちが三人の周りを取り囲み、嬉しそうに飛び跳ねている。
主人公は少し離れたところに立ち、その様子を眺めていた。
しばらくして、三人はようやく身体を離した。
「あ、そうだ。約束の薬ね」
主人公はポンチョの下から小さな薬瓶を取り出し、三人目の少女へ差し出した。
少女は両手でそれを受け取った。
「……ありがとうございます」
「まあ、それはもう必要ないけどね。約束だから」
主人公は少し眉を上げ、いたずらっぽく笑った。
少女の表情が凍りついた。
すぐに仲間の二人へ視線を向ける。
目が合った一人が、静かに首を横に振った。
「もう主様にお薬をいただいて、治してもらったの」
隣の少女も笑顔で頷く。
「元気いっぱいよ。なぜか、ほかのみんなもね」
三人目の少女はすぐに自分の頬へ手を当てた。
主人公を見る。
少し俯き、考えるように視線を落としてから、もう一度二人へ目を向けた。
二人は顔を見合わせ、少し誇らしげに笑った。
「そう。私たちの主様は、すごい人なのよ」
三人目の少女は再び主人公を見上げた。
主人公は柔らかに笑っていた。
その顔を見た瞬間、少女の膝から力が抜けた。
崩れ落ちるようにその場に座り込み、両手で顔を覆う。
「……っ……」
押し殺そうとした嗚咽が、指の隙間から漏れた。
少女は肩を震わせ、声を上げて泣き始めた。
二人の少女は何も言わず、その傍らに膝をつく。
そして、左右からそっと彼女を抱きしめた。
しばらくして、二人が優しく声をかけた。
「おかえりなさい」




