『初陣、ハズレ勇者は何もできなかった』
綺麗すぎる空の下で、戦場は始まった。
魔法も、勇気も、何もなかった。
ただ――怯えて、立ち尽くして、生き残っただけ。
これは、何もできなかった勇者の、最初の戦いの記録だ。
その日は、突き抜けるような青天だった。
あまりにも、綺麗すぎる空。
だからこそ――
その下で広がる光景が、現実だと認められなかった。
泥。血。鉄。
鼻を焼くような臭いが、肺の奥にこびりつく。
「いいか、ハズレ勇者」
騎士団長の声は、やけに鮮明だった。
「貴様の役目は囮だ。死んでも文句は言うなよ」
淡々と告げられる”役割”。
それは命令ではなく――
処分に近かった。
フウガの腰には、黄金の剣。
昨夜、姫から託されたもの。
だが、
「偽物の金ピカを持ちおって。格好だけは一人前だな」
騎士たちは、嘲る。
誰も気づかない。それが”本物”だということに。
(……だから、なんだ)
心の中で、乾いた声がする。
(本物でも、意味ないだろ)
握ることすら、していない。
ただ、そこにあるだけの剣。
門が開き、世界が、切り替わる。
咆哮。
地平線の向こうから、“それ”は来た。
魔族の軍勢。数ではない。気配が違う。
存在そのものが、人間と噛み合っていない。
(……あれと、戦うのか)
それを理解した瞬間、体の奥が、冷たくなる。
その時だった。
すぐ横で、爆ぜた。
視界の端で、志願兵のひとりが足をもつれさせ、前に倒れ込む。
――まずい。
そう思うより早く、体が動いていた。
背中を掴み、横へ突き飛ばす。
次の瞬間、その場所を火球が焼き払った。
助かった。
だが。
別の声が、途切れた。
昨日まで、隣で飯を食っていた志願兵。
名前も、もう思い出せない。
その体が、一瞬で黒く潰れた。
火球が直撃した。
肉の焼ける臭い。皮膚が弾ける音。
“人間だったもの”が、そこに落ちる。
(……なんだ、これ)
理解が、拒絶する。
だが、視界は逃がしてくれない。
腕が飛ぶ。
首が転がる。
叫びが、途中で途切れる。
全部、“一瞬”だった。
(……無理だ)
足が動かない。
一歩踏み出せば。あそこに入れば。自分も、同じになる。
殺す側か。殺される側か。
どちらにせよ――
(……耐えられない)
「何を突っ立っている、この腰抜けが!」
衝撃。
背中を蹴り飛ばされる。
地面に転がる。泥が口に入る。顔を上げる。
目の前に魔族が。
距離、数歩。
刃が、振り上げられている。
「死ぬ……っ」
思考が止まる。
体が勝手に動く。
腰の剣――ではなく。
手にしていた鉄剣を、ただ持ち上げる。
意味はない。
分かっている。
それでも――
その瞬間。
光が、すべてを飲み込んだ。
轟音。
視界が白く焼ける。
熱。
何も見えない。何も聞こえない。
ただ、世界が消える。
――数秒後。
静寂。
恐る恐る、目を開ける。
何も、なかった。
さっきまでそこにいた魔族も。
まだ息のあった味方も。
全部。
跡形もなく、消えていた。
「……は」
声が、出ない。
後方。
騎士団の魔法。
広域殲滅。
敵も、味方も。関係なく、消す力。
(……これが)
戦い。
理解したくなかった現実が、形になる。
フウガは、何もしていない。
ただ、立って。
怯えて。
巻き込まれなかっただけ。
それだけで――
“生き残った”。
戦いは、終わっていた。
圧勝。
誰もがそう言った。
歓声。安堵。誇り。
そのどれもが、遠い。
フウガの中には、何もなかった。
いや、ひとつだけ、あった。
(……気持ち悪い)
喉の奥が焼ける。吐きそうになる。
「おい、見ろよ」
「勇者様は一度も剣を抜かずに腰を抜かしていたぞ」
「魔法も使えず、度胸もなし。あんなのが伝説の勇者とはな」
笑い声。
否定はできない。全部、本当だからだ。
(……俺は)
何もしていない。守ってもいない。戦ってもいない。
ただ。
“死ななかっただけ”。
凱旋の列。最後尾。民衆の視線が刺さる。
期待と、失望と、嘲り。
その全部を浴びながら。
フウガは、ただ下を向いて歩いた。
手の中の鉄剣。
冷たい。重い。
――違う。
本当に重いのは。
腰にある、もう一振り。抜くことすらしなかった、聖剣。
(……約束、したのに)
脳裏に浮かぶ。月明かり。
あの言葉。
『この剣で――君の未来を、切り拓く』
喉が、締まる。
(……無理だろ)
笑えない。
(……俺に、そんな価値ない)
震える手。
止まらない。
――なのに。
(……なんで、動けた)
さっきの一瞬。
考える前に、体が動いた。
助けた。
斬ってはいない。
戦ってもいない。
それでも――
(……あれは、なんだ)
分からない。
分からないまま。
フウガはただ、下を向いた。
その違和感だけが、消えなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
何もできなかった。それでも、体だけが動いた瞬間がありました。
その違和感の意味は、まだ誰も知りません。
次話もお付き合いいただければ幸いです。




