『骸の聖女エリザと亡者の街。――逃げ腰の少年が初めて「形なきもの」を斬った日』
――怖いままでいい。
少女の温もりに救われたはずの夜は、あまりに短く過ぎ去りました。
次なる目的地は、音が消え、腐敗の臭いだけが満ちた「亡者の街」。
そこでフウガを待っていたのは、人の形を捨て、死者を弄ぶ狂気――「骸の聖女」エリザ。
絶体絶命の包囲網の中、フウガの瞳に「見えないはずのもの」が映り始めます。
魔王軍の拠点へと続く街道沿いに、その街はあった。
――静かすぎる。
風は吹いているはずなのに、音がない。
いや、正確には”あるべき音”が存在しない。
人の気配。生活の匂い。息遣い。
それらが、根こそぎ消えていた。
「……何だ、ここは」
フウガの足が止まる。
鼻を突く腐敗臭。
だがそれは戦場のそれとは違う。殺された直後の匂いではない。
時間が経ち、すべてが”終わった後”の臭い。
(……違う)
戦場じゃない。
(……完成してる)
ぞわり、と背筋が粟立つ。
視線を走らせると、路地の奥に人影があった。
動けずにいる。逃げられずにいる。
生きている者の、気配だった。
その時だった。
――ガタリ。
音がした。
倒れていた兵士が、ゆっくりと起き上がる。
濁った瞳。呼吸はない。意思もない。
ただ、生きている者へ向けられた”何か”だけで動いている。
「……っ」
足が動かない。
斬らなければならないと分かっている。だが、それは”人だったもの”だ。
刃を向けるという行為そのものが、内側から拒絶される。
「――ようこそ」
声が落ちてきた。
軽く、楽しげで――その奥に底の見えない歪みを孕んだ声。
「哀れな勇者様」
広場。崩れかけた時計塔の影。そこに、ひとりの少女が立っていた。
白すぎる肌。露出した骨。隠す気配はない。
むしろ、それを”見せつけている”。
その唇には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
「綺麗でしょう? ボクのコレクション」
くるり、と回る。
その動きに合わせて、周囲の死体が軋んだ。
「裏切らないんだよ、この子たちは。死んでしまえば、もう嘘をつかないから」
フウガはその名を知らない。だが本能が理解する。
(……あれは、人じゃない)
魔族とも違う。もっと別の、歪んだ”何か”。
「ねえ、勇者様」
女の視線が向く。
一瞬で、空気が変わった。
「……ああ。あなた、壊れかけてるのね」
言葉が、正確すぎるほどに突き刺さる。
「いいわよ。そのまま壊れてしまいなさい。中途半端が一番醜いもの」
息が詰まる。
亡者たちが、ゆっくりと囲む。逃げ場はない。
(……また、か)
体が動かない。初陣と同じだ。何も変わっていない。
その時だった。
亡者の一体が、路地の奥の人影へと刃を振り下ろす。
「やめ――」
声が出るよりも早く、刃が落ちる。
その瞬間。
フウガの中で、何かが噛み合った。
――見える。
細い糸。
死体と死体を繋ぐ、見えない線。それが動かしている。
(……これを)
理屈は分からない。だが、“分かる”。
体が動く。
意思ではない。もっと別の何かに引かれるように。
踏み込み、振る。
――一閃。
音は小さい。
だが。
亡者の動きが止まり、崩れ、ただの骨へと戻る。
(……動かしてる”それ”を斬った)
「……あら」
女の声に、わずかな興味が混じる。
「なるほど。“それ”が見えているのね」
一拍置いて、続ける。
「形じゃないものを斬るなんて……本当に厄介ね」
フウガは息を荒げる。手が震える。今の一撃に、実感がない。
(……なんだ、今の)
怖い。さっきまでとは違う意味で。
女が、一歩近づく。
距離が縮まる。危険だと分かっているのに、動けない。
「でも、未熟ね」
指先が、わずかに動く。
その瞬間、無数の骨が再び蠢き始めた。
先ほどより濃く、重い圧。
(……無理だ)
理解する。もう一度はできない。
だが、女はそれ以上踏み込んでこない。
ただ、観察している。
「あなた、どちらにもなりきれないのね」
静かに言う。
「生きる側にも、壊す側にも」
心臓が跳ねる。
「壊れるなら、ちゃんと壊れてほしいなぁ。中途半端なままでいるのは、美しくないから」
その言葉と同時に。
亡者たちの動きが、止まる。
次の瞬間。
崩れ落ちる。
すべてが、ただの骨へと戻る。
静寂。
気づけば、女の姿は消えていた。
残されたのは、フウガだけ。
荒い呼吸。震える手。
(……見えた)
ほんの一瞬。
だが確かに。
“動かしているもの”に触れた。
斬ったのは、肉でも骨でもない。
もっと奥にある”何か”だった。
(……これが)
分からない。
だが、確信だけが残る。
――普通じゃない。
この力は。
あの女と同じくらい。
(……怖い)
自分の手を見る。
震えている。
だが、それは恐怖だけではない。
ほんのわずかに。
理解してしまった実感が、そこにあった。
それが何を意味するのか、まだ言葉にできない。
フウガは立ち尽くす。
まだ前には進めない。
だが――
もう、何も知らなかった頃には戻れなかった。
第6話までお読みいただきありがとうございます!
5話の優しさから一転、今回はかなりダークな展開になりました。
新キャラのエリザ、いかがでしたでしょうか?「中途半端は美しくない」と言い放つ彼女の存在は、今のフウガにとって最大の毒であり、鏡のような存在です。
そして、フウガがついに見せた「糸を斬る」力。
これが希望なのか、それとも更なる絶望への入り口なのか……。
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