『“選ぶ者”の剣』
誰も見ていなかった。
誰も気にしなかった。
だが――ひとりだけ、見ていた少女がいた。
月明かりの下で結ばれた約束は、勇者と姫の物語ではない。
価値がないとされた二人の、静かな反逆の始まりだった。
夜。
王宮の庭園は、昼間とは別の顔をしていた。
整えられた花々も、噴水の水音も、今はどこか遠い。
静かすぎる空間の中で、フウガはベンチに倒れ込んでいた。
空腹。
疲労。
そして――無意味さ。
(……何やってるんだ、俺は)
剣を振る。
ただそれだけの日々。
強くなった実感はある。
だが、それが何になるのか分からない。
ここでは、魔法がすべてだ。
魔法が使えない自分に、居場所はない。
腹が鳴る。
情けない音だった。
笑う気力すら出ない。
「……生きて、おられたのですね」
不意に、声が落ちてきた。
柔らかく、それでいて震えている声。
顔を上げる。
月明かりの中に、ひとりの少女が立っていた。
白いドレス。
整った所作。
だが、その手は――必死に何かを抱えている。
「……あんたは」
言いかけて、思い出す。
召喚の時、柱の影にいた少女。
(……王族、か)
少女は一瞬だけ迷い――それでも、口を開いた。
「……リュミエル、と申します」
小さく、名乗る。
それは王女としてではなく。
一人の人間としての、選択だった。
「これ……少しですが」
彼女は周囲を気にしながら、布に包まれた小さな袋を差し出した。
中身は、白いパン。
柔らかく、まだ温もりが残っている。
フウガは、迷わなかった。
それを奪うように掴み、口に運ぶ。
味など分からない。
ただ、体がそれを求めていた。
夢中で食べる。
リュミエルは何も言わずに、ただその様子を見ていた。その目は、責めてもなく、憐れんでもなく――ただ、静かに安堵していた。
そして、ほんの少しだけ、息を吐く。
「……どうして」
食べ終えた後、フウガはようやく口を開く。
「こんなことをする」
問いというより、確認だった。
リュミエルは一瞬、言葉を詰まらせる。
そして、小さく息を吸い――顔を上げた。
「私は……見ていました」
その声は、先ほどよりも強かった。
「貴方が、誰にも教えられず、それでも剣を振り続けている姿を」
フウガは黙る。
見られていたことに驚きはない。
ただ――
(……気づいていたのか)
それだけが、少しだけ意外だった。
「この国で、誰よりも泥にまみれているのは貴方です」
リュミエルはそう言い切った。
迷いはなかった。
「……でも」
続く言葉は、少しだけ震えていた。
「誰も、それを見ようとしない」
沈黙。
夜の空気が、二人の間に落ちる。
「……だから」
一度、言葉が止まる。
召喚の儀から、ずっと気になっていた。
この国が呼び寄せておきながら、価値がないと切り捨てた少年のことが。
このまま何もしなければ、後悔すると思った。
リュミエルは、抱えていた布に手をかけた。
その動きは、明らかに重かった。
決断の重さだった。
「これは、本来……貴方に渡されるはずのものです」
布が解かれる。
現れたのは、一振りの剣。
黄金に輝く鞘。
ただそこにあるだけで、空気が張り詰める。
「……国宝だろ、それ」
思わず呟く。
「はい」
リュミエルは頷いた。
その目は、もう揺れていなかった。
「ですが、この国は――“価値のある者”にしか与えません」
静かな声。
だが、その奥には確かな怒りがあった。
「魔法を持たない貴方は、“価値がない”と判断された」
フウガは何も言えなかった。
それは事実だったからだ。
「……でも、私は違う」
リュミエルは一歩、近づく。
「私は、貴方を見ました」
その言葉は、断言だった。
「誰も見ていない場所で、それでも剣を振る人を」
フウガの中で、何かが引っかかる。
否定できない。
否定したくても、できない。
リュミエルはそっと、フウガの手を取った。
彼女の手は冷たかった。だが、その指は強く、離れようとしない。
「これは、“選ばれた者”の剣ではありません」
聖剣の柄を、押し付ける。
「――“選ぶ者”の剣です」
その瞬間。
低い音が、空気を震わせた。
聖剣が、応えた。
魔力ではない。
もっと別の何かに。
フウガの中にある、“歪んだ才能”に。
黄金の光が、わずかに脈動する。
だが、それは暴れない。
ただ静かに――“認める”。
「……なんでだ」
フウガは呟く。
「分かりません」
リュミエルは首を振る。
「ですが――それでいいのだと思います」
微笑む。
ほんの少しだけ。
「貴方は、この国の理の外にいる人だから」
沈黙。
だが、その言葉は重かった。
リュミエルは、初めてその名を口にするように、静かに言った。
「フウガ、様」
わずかに視線を逸らす。
そして、勇気を振り絞るように言った。
「いつか……」
一瞬、言葉が途切れる。
王女ではなく。
一人の少女としての願い。
「……私を、この場所から連れ出してくれませんか?」
それは、祈りだった。
縋りだった。
そして――選択だった。
フウガは、聖剣を見る。
そして、リュミエルを見る。
(……ああ)
少しだけ、分かる。
自分が剣を振っていた理由の欠片。
「……ああ」
小さく頷く。
「約束する」
剣を握る手に、力が入る。
「この剣で――君の未来を、切り拓く」
月明かりの下。
誰にも知られない契約が結ばれる。
それは、勇者と姫の物語ではない。
“価値がないとされた二人”が結んだ――
反逆の約束だった。
聖剣はなぜ、魔力のないフウガに応えたのか。
その答えは、まだ誰も知りません。
次話、フウガは初めて戦場に立ちます。




