『魔力ゼロの勇者、剣を振り続ける』
誰にも教わらず。
誰にも見られず。
それでも、剣を振り続けた。
魔法のない世界で、魔法なき者にだけ見えるものが――芽生え始める。
地下兵舎の最奥。
湿った石壁に囲まれた訓練場には、常に淀んだ空気が溜まっていた。
カビの臭いと、鉄の錆びた匂い。
そして――人が見ていない場所特有の、無関心。
そこが、フウガに与えられた唯一の居場所だった。
「魔法も使えぬ者に、教えることなどない」
指南役の騎士は、そう言い捨てた。
投げ渡されたのは、一振りの剣。
刃は欠け、赤錆が浮き、握れば手を切りそうなほど荒れている。
「好きに振っていろ。それがお前の役目だ」
それだけだった。
型も、呼吸も、何一つ教えられない。
ただ、“そこにあるものを振れ”と。
最初の一振り。
重い。
想像以上に。
腕が引きずられる。
軌道がぶれる。
空気を切る感覚すらない。
(……こんなものか)
それでも、フウガは剣を振った。
一千回。
二千回。
三千回。
数を数える意味は、すぐに消えた。
腕の感覚がなくなり、呼吸が乱れ、視界が滲む。
それでも止めなかった。
止める理由がなかったからだ。
五日。
十日。
どれだけ時間が経ったのか分からない。
手のひらの皮は剥がれ、肉が露出し、血が柄にこびりつく。
握るたびに痛みが走る。
だが、その痛みすら、やがて鈍くなっていった。
(……おかしい)
ある時、ふと違和感を覚えた。
剣が、重くない。
いや、違う。
“無駄に重い動き”が消えている。
振り上げる。
振り下ろす。
ただそれだけの動作の中に、今まで感じていなかった”引っかかり”があったことに気づく。
(……なんだ、これ)
もう一度、振る。
今度は意識して。
腕の力を抜く。
すると――
剣が、勝手に”そこを通る”。
(……見える)
空気が。
流れている。
目に見えないはずのそれが、線のように、揺らぎとして、確かに存在していた。
剣を振ると、その流れが乱れる。
だが、ある一点だけ。
最も抵抗の少ない”道”がある。
(ここだ)
無意識に、そこへ刃を通す。
――スッ、と。
音が消えた。
今まで鳴っていたはずの”空気を切る音”が、消失する。
代わりに残ったのは、異様な静けさだった。
フウガは、ゆっくりと振り下ろす。
目の前には、使い古された木人。
何度も打たれ、傷だらけになったそれ。
今まで何度叩いても、びくともしなかった。
――はずだった。
パキ。
乾いた音。
遅れて。
ズレる。
木人の中心から、滑らかに。
まるで最初からそこに”継ぎ目”があったかのように。
真っ二つに割れていた。
「……は?」
思わず、声が漏れる。
力は入れていない。
魔法も使っていない。
ただ、“そこを通した”だけだ。
フウガは、自分の手を見る。
血で汚れた、何の変哲もない手。
剣も、ただの鉄屑。
だが。
(……違う)
何かが、変わっている。
(……世界の方が、間違っているのか?)
その考えが、ふと浮かんだ。
魔法が全ての世界。
だが、自分にはそれがない。
代わりに見えているものがある。
なら――
(……こっちが、“正しい”のか)
――そう思った瞬間、理由のない寒気が背中を走った。
フウガは、もう一度剣を構えた。
先ほどと同じ軌道。
同じ”流れ”。
同じ”点”。
振る。
今度は確信を持って。
――パキン。
別の木人も、同じように崩れた。
静寂。
誰もいない訓練場。
その異常に気づく者は、いない。
「……これなら」
小さく呟く。
声はかすれていた。
「戦えるかもしれない」
それは希望だった。
だが同時に。
誰にも見つからないまま育つ、異常の始まりでもあった。
この日。
誰にも知られることなく。
フウガの中で、何かが目覚めた。
この力が何なのか、フウガ自身もまだ分かっていません。
ただ――確かに、何かが変わり始めています。
次話、フウガは初めて”外”と向き合います。




