第5話 働いた分だけ食わせる
治安隊が動き始めてから、一週間。
夜の巡回が常態化し、農道には松明の灯りが並ぶようになった。以前なら、日が落ちれば誰も近づかなかった場所だ。今では、遅くまで畑仕事をする農民の姿すらある。
「数字が、もう変わり始めています」
執務室で、エリシアが帳簿を指さした。
「被害報告が、ほぼゼロです。流通の停滞も解消されつつあります」
「当然だ」
アレンは淡々と答える。
「危険が減れば、人は動く。動けば、物も金も流れる」
だが、問題はここからだった。
「……治安隊の維持費が、予想以上にかかります」
「分かっている」
エリシアの声は慎重だった。
「今は人頭税を止めています。農地改革の成果も、まだ出ていない。このままでは、資金が先に尽きます」
「だから、成果連動だ」
アレンは机に広げた別の書類を示した。
「治安隊の報酬は、固定給を最低限に抑える。その代わり――」
「収穫量に応じて、分配する」
エリシアは、ゆっくりと読み上げた。
「治安が改善し、流通が円滑になり、結果として農業生産が増えた場合、その増分の一部を報酬として支払う……」
「治安を守るほど、自分たちも潤う」
アレンは頷いた。
「盗む理由が、完全に消える」
夕刻。
治安隊の面々が集められた。
ガルドは腕を組み、黙って話を聞いている。
「簡単に言う」
アレンは無駄な修辞を使わなかった。
「お前たちの仕事は、畑を守ることだ。道を守ることだ。その結果、収穫が増えれば、その分はお前たちにも返す」
「……逆に、増えなければ?」
一人が問う。
「増えなければ、増えない」
静かな返答だった。
「だが、略奪すれば即刻終わりだ。全員、だ」
沈黙。
やがて、ガルドが一歩前に出た。
「分かりやすいな」
彼は短く笑った。
「俺たちは、守れば食える。守らなければ、飢える。それだけだ」
誰かが、低く頷いた。
制度は、感情ではなく選択肢を与える。
アレンは、それをよく知っていた。
数日後。
農地では、変化が起き始めていた。
治安が安定したことで、遠くの畑まで人が入るようになった。
耕作放棄地だった場所に、鍬が入る。
共有地ではなく、使用権が保証された区画だ。
「……前より、深く耕してるな」
ハインツが畑を見渡しながら呟いた。
「気のせいじゃないですか?」
「いや、違う」
老農は首を振る。
「今までは、どうせ自分のもんじゃなかった。だが今は――」
言葉を切り、土を握る。
「やった分だけ、返ってくる」
収穫期には、まだ早い。
だが、成長の速度が違った。
アレンは、定期的に数字を更新した。
作付面積、労働時間、盗難件数、流通量。
線は、確実に上向いている。
「……増えています」
エリシアが、少し驚いた声を出した。
「試算ですが、今期の収穫量、前年同期比で一・三倍」
「まだ途中だ」
アレンはペンを止めない。
「本番は、収穫後だ」
その夜。
治安隊から報告が入った。
「農道で、小競り合いがありました」
「死人は?」
「いません。注意だけで済ませました」
「理由は?」
「……『守った方が得だ』と説明したそうです」
アレンは、わずかに口角を上げた。
制度が、現場に浸透し始めている。
数日後。
最初の臨時配分が行われた。
収穫増分の一部が、治安隊に支払われる。
額は大きくない。だが、確かに「働いた結果」だった。
「……本当に、出たな」
隊員の一人が、硬貨を見つめて呟く。
「約束だからな」
ガルドは短く言った。
その様子を、農民たちが見ていた。
守る側が、報われている。
その事実は、何よりの抑止力だった。
夜。
エリシアは静かに言った。
「……暴力で縛らなくても、人は動くのですね」
「暴力は高くつく」
アレンは帳簿を閉じる。
「仕組みで動かせば、安く、長く、続く」
窓の外では、畑に点々と灯りが続いていた。
守られ、耕され、育つ土地。
だが、アレンは知っている。
これほど分かりやすい成果は――
必ず、外からも見える。
「……次は、視線だな」
誰かが、この数字を嗅ぎつける。
それが、敵か、味方かは――まだ分からない。
改革は、静かに進んでいた。




