第3話 人がいないなら、まず逃がすな
人頭税停止の布告から、三日が過ぎた。
領館の前庭には、明らかに以前より人が増えている。
馬車を引く者、荷を背負った者、子どもを連れた家族。いずれも、かつてこの領地を去った住民たちだった。
「戻ってくるの、早すぎませんか……?」
エリシアは、やや戸惑いを隠せない様子で言った。
「逃げた理由が税なら、戻る理由も税だ」
アレンは簡単に答える。
「人は感情で動くが、生活は数字で決まる。昨日より今日が楽なら、それだけで理由になる」
実際、戻ってきた者たちは口々に同じことを言った。
――今なら、やり直せると思った。
――三ヶ月だけでも、稼げるなら。
――子どもを連れても、生きていけそうだった。
だが、良い話ばかりではなかった。
「領主様!」
昼過ぎ、執務室に血相を変えた男が飛び込んできた。
税務担当の役人だ。
「市場が荒れています!」
「荒れている?」
「人が戻ったことで、食料の需要が一気に増えました。ですが、供給が追いつかない。価格が……」
「上がったか」
アレンは即座に理解した。
「はい。小麦が一割、塩が二割。特に貧しい層が……」
「分かった。下がっていい」
役人は言葉を失った。
「え……?」
「価格が上がるのは、正常な反応だ」
アレンは立ち上がり、役人の肩を軽く叩いた。
「問題は、それをどう利用するかだ」
役人が去った後、エリシアが口を開く。
「放置するのですか? 暴動が起きれば……」
「起きない」
断言だった。
「理由は三つある」
アレンは指を一本立てる。
「一つ。今は“戻ってきたばかり”だ。人は希望があるうちは耐える」
二本目。
「二つ。価格上昇は、農民にとっては利益だ」
三本目。
「三つ。――これが重要だが」
アレンは窓の外を見た。
「この状況は、次の改革への燃料になる」
エリシアは黙って続きを待った。
「農地が足りない。耕作が追いついていない。つまり、供給が弱い」
「それは……」
「制度の問題だ」
アレンは机に戻り、別の帳簿を広げた。
農地台帳だ。
「共有地制度。頑張っても、自分の取り分が増えない。だから最低限しかやらない」
「ですが、それは昔から……」
「だからこそ、変える」
エリシアの目が揺れる。
「農地を、分ける」
「……え?」
「正確には、使用権を分ける。所有権じゃない」
アレンは線を引きながら説明した。
「一定期間、一定区画を任せる。収穫は、その区画の担当者のもの。ただし、税は収穫に応じて払う」
「それは……」
エリシアは理解しかけて、息を呑んだ。
「努力が、直接利益になる」
「そうだ」
アレンは頷いた。
「努力が報われない制度で、人は働かない。これはどの世界でも同じだ」
夕方。
農民代表が集められた。
最初は疑いの目。
次に、ざわめき。
そして――希望。
「本当に……自分の分になるんですか?」
「ああ。契約で保証する」
アレンははっきりと言った。
「ただし、耕さなければ没収だ。甘くはしない」
沈黙の後、誰かが言った。
「……やります」
それは、小さな声だった。
だが、確実に火を点けた。
数日後。
耕作放棄地に、人が入った。
鍬を振るう音。
土を返す音。
久しく聞かれなかった、生きた領地の音だ。
一方で、反発も出始めていた。
「勝手なことを!」
旧来の管理人が怒鳴り込んできた。
「農地の管理権は、我々貴族のものだ!」
「管理していなかっただろう」
アレンは冷静に返す。
「十年、放置されていた」
「それでも、権利は権利だ!」
「なら、成果を出せ」
短い沈黙。
管理人は、何も言えなかった。
夜。
エリシアは、執務室で静かに言った。
「……敵を作っていますよ」
「承知の上だ」
アレンは帳簿から目を離さない。
「だが、人がいない国に、未来はない」
彼はペンを置き、ゆっくりと言った。
「だから、まず逃がさない。その次に、増やす」
外では、夜遅くまで灯りが点いていた。
畑で、家で、人々が動いている。
アレンはその光景を見て、確信した。
――この領地は、もう“死体”じゃない。
だが同時に、理解していた。
ここから先は、必ず抵抗が来る。
本物の敵は、これからだ。
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