第2話 数字は嘘をつかない
翌朝、アレンは領館の一室を臨時の執務室にした。
と言っても、立派なものではない。
欠けた机、脚の軋む椅子、埃を被った書棚。だが、彼にとって重要なのは家具ではなかった。
――資料だ。
「集められるだけ集めてください。過去十年分。税、人口、治安、農地。抜けがあっても構いません」
「……分かりました」
エリシアは一瞬だけ困惑した表情を見せたが、すぐに頷いた。
官僚経験があるからこそ、この要求がどれほど異常か分かっているのだろう。
普通の領主なら、まず視察だ。
次に演説。
それから部下を集めて気合を入れる。
だが、アレンは違った。
昼過ぎ。
机の上には帳簿や報告書が山のように積まれていた。
アレンは黙々と数字を書き写し、並べ、線を引く。
紙の上で、領地が解体されていく。
「……やはり、か」
人口は十年前から三割減。
特に若年層の流出が激しい。
治安費は右肩上がりだが、犯罪件数はほぼ横ばい。
農業生産量は、耕作可能面積に対して六割以下。
致命的なのは、税だ。
「人頭税が重すぎる」
思わず声に出る。
一人あたりの税負担は、周辺領地の一・五倍。
人口が減るほど、残った人間に重くのしかかる構造だ。
「これでは……」
「逃げますね」
いつの間にか、エリシアが背後に立っていた。
彼女も資料を覗き込み、苦い顔をする。
「人が逃げる。税収が減る。だから税を上げる。その結果、さらに逃げる……」
「完全な悪循環だ」
アレンは頷いた。
「しかも、中央は数字しか見ない。税収が落ちれば『努力不足』と判断される」
「……ええ」
エリシアは小さく息を吐いた。
「王都では、この領地は“怠慢な辺境”という評価です」
「便利な言葉だな」
アレンは鼻で笑った。
「設計ミスを、現場の怠慢に押し付けられる」
彼は、別の帳簿を開いた。
補助金の支給記録だ。
「……おかしい」
「何がですか?」
「数字が合わない」
支給されたはずの金額と、実際の支出が一致していない。
しかも、その差額は毎年ほぼ同じだ。
「これ、途中で抜かれてますね」
エリシアの顔が強張る。
「それは……確証がなければ、口に出せない話です」
「分かってる」
アレンは冷静だった。
「今はいい。だが、覚えておく価値はある」
彼は紙に小さく印を付けた。
――敵は、すでにいる。
だが、今やるべきことは別だ。
「まずは、逃げている理由を潰す」
「税、ですね」
「ああ」
アレンは立ち上がり、窓の外を見た。
昼間でも人影の少ない通り。
「人頭税を止める」
エリシアは、昨日と同じ反応をした。
だが、今回は叫ばなかった。
「……その場合、今月の歳入はほぼゼロになります」
「構わない」
「構わない、では済みません。領地運営は……」
「人がいなければ、運営以前の問題だ」
アレンは振り返り、静かに言った。
「税は、目的じゃない。手段だ。人を縛るための道具にしてどうする」
沈黙。
エリシアは、しばらく考え込んでから口を開いた。
「……期間を限定する、という形なら?」
「三ヶ月」
即答だった。
「三ヶ月、人頭税を停止。その間に、人を戻す」
「戻らなければ?」
「その時は、その時だ」
アレンは机に手を置いた。
「だが、数字は嘘をつかない。正しい刺激を与えれば、人は必ず動く」
エリシアは、その横顔を見つめた。
無謀に見える。だが、不思議と恐怖よりも、納得が勝った。
「……分かりました。通達文、私が書きます」
「頼む」
夕方。
領内に布告が出された。
――人頭税、三ヶ月間停止。
反応は、最初は静かだった。
だが、翌日。
領門の前に、久しぶりに人の列ができた。
戻ってきた者。
様子を見に来た者。
噂を聞きつけた者。
それを見て、エリシアは呟いた。
「……本当に、戻ってきています」
「当然だ」
アレンは淡々と答えた。
「人は、損をする場所から逃げる。得をする場所に戻る。ただそれだけだ」
数字は、嘘をつかない。
嘘をついているのは、いつも人間の方だ。
アレンは、静かに次の帳簿を開いた。
――次は、治安だ。




