第1話 左遷先は、もう死んでいる
この物語に、剣で無双する英雄はいません。
代わりに、帳簿と制度で国が壊れる速度を遅らせる男がいます。
派手な勝利はありませんが、
「それでも何もしなかった場合よりはマシだった」
そんな内政と国家運営の話です。
馬車が止まった瞬間、アレンは嫌な予感を確信に変えた。
静かすぎる。
辺境とはいえ、領地の中心街であるはずの場所に、人の気配がほとんどない。石畳の道はひび割れ、建物の壁には補修された形跡すら見当たらなかった。露店の名残だけが残り、風に煽られた布切れが虚しく揺れている。
「……本当に、ここが任地なのですか?」
馬車の後ろから、そう問いかけてきたのはエリシア・フェンローズだ。王都で官僚補佐を務めていた女性で、今回の辞令に伴い、形式上はアレンの補佐官として同行している。
「ああ。間違いない。王印付きだ」
アレンは懐から文書を取り出し、ちらりと見せる。
そこには「辺境領クロフォード領 統治権委任」とはっきり書かれていた。
――クロフォード。
自分と同じ姓を与えられたこの領地が、事実上の左遷先であることは、王都を出る前から分かっていた。
だが、ここまでとは聞いていない。
「前領主は……?」
「失踪扱いです。正式には」
エリシアは言葉を濁した。
官僚特有の言い回しだ。つまり、政治的に消された可能性が高い。
領館は街の外れにあった。かつては威厳があったのだろうが、今は屋根瓦の一部が崩れ、門番もいない。中に入ると、埃の積もった長机と、乱雑に積まれた帳簿が目に入った。
「まずは現状把握だ」
アレンは迷いなく帳簿を手に取った。
前世で、何度もやった作業だ。
人口減少、財政赤字、制度疲労――そういった自治体を、数字から解体し、立て直す。それが、彼の仕事だった。
ページをめくる。
税収、人口、耕作面積、治安関連支出。
……おかしい。
いや、「悪い」という意味ではない。
構造そのものが、すでに破綻している。
「エリシア」
「はい」
「この領地、赤字じゃない」
彼女が一瞬、眉をひそめる。
「では、まだ持ち直せるのですか?」
アレンは帳簿を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「違う。これは――」
言葉を選ぶ必要はない。
現実は、もっと単純だ。
「制度上、もう死んでる」
エリシアは絶句した。
人口は減り続けている。だが税制は、人頭税を中心とした旧式のままだ。人が減れば、一人あたりの負担は増える。結果、さらに人が逃げる。完全な負のスパイラルだ。
農地は広いが、耕作放棄地が多い。理由は簡単だ。共有地制度のままでは、どれだけ働いても自分の取り分は増えない。やる気が出るはずがない。
治安維持費は年々増加しているが、犯罪件数は減っていない。兵の質が悪いのではない。賃金が低すぎるのだ。略奪した方が早い、そう判断されている。
そして、補助金。
帳簿上は支給されているが、現場に落ちていない。
――つまり。
「これは経営不振じゃない。設計ミスだ」
アレンは淡々と言った。
「……ですが」
エリシアは唇を噛む。
「制度を変えるには、中央の承認が必要です。貴族も、商会も、黙っていません」
「分かってる」
アレンは立ち上がり、窓の外を見た。
荒れた街。人のいない道。
「だからこそ、やる価値がある」
ここまで徹底的に壊れていれば、逆に、やり直しが効く。
「まずは、人が逃げない仕組みを作る」
「税を……下げるのですか?」
「一時的に、止める」
エリシアの目が見開かれた。
「そ、それは……自殺行為です!」
「人がいなければ、税は取れない」
アレンははっきりと言い切った。
「だが、人が戻れば、別の形で取れる。収穫、流通、土地――選択肢はいくらでもある」
沈黙が落ちる。
やがて、エリシアは小さく息を吐いた。
「……あなた、本気ですね」
「ああ。本気だ」
アレンは微かに笑った。
「この領地は、もう死んでいる。だからこそ――生まれ変わらせる余地がある」
外では、風に吹かれて、誰もいない街道を砂埃が舞っていた。
その光景を見ながら、アレンは確信していた。
この場所は、必ず立て直せる。
数字が、そう告げている。
――戦いは、ここからだ。
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