第27話 止まらなかったもの
侵攻は、起きなかった。
それだけなら、珍しい話ではない。
国境というものは、常に緊張している。
だが今回は——
準備されていた“はず”だった。
「……妙ですね」
王都宰相府の執務室で、ユリウスが言った。
「備蓄の動き」
「商人の流れ」
「斥候の報告」
机の上には、断片的な資料が並んでいる。
「どれも、侵攻前段階の兆候でした」
「だが、何も起きなかった」
ダリウスが、指を組む。
「隣国が慎重だったか」
「あるいは——」
「あるいは、条件が崩れた」
ユリウスは、静かに続けた。
「兵站です」
その言葉に、部屋の空気が変わる。
「兵站が崩れれば、軍は動けません」
「勇敢でも、補給がなければ意味がない」
「誰が、やった?」
ダリウスの問いに、即答はなかった。
「公式には」
ユリウスは、言葉を選ぶ。
「“市場変動”です」
「穀物価格の微調整」
「商人の判断」
「非公式には?」
「……一人、思い当たる人物がいます」
名前は、出なかった。
だが、全員が理解した。
一方、辺境。
「本当に、何も起きなかったな」
ラグナが、城壁の上から国境を眺めて言う。
「拍子抜けだ」
「拍子抜けで済むなら、それが一番だ」
アレンは、そう答えた。
だが、内心では分かっている。
止めたのは、偶然ではない。
だが、証明できない。
数日後。
王都管理官が、視察に来た。
「最近、市場が安定していますね」
何気ない言葉。
探りだ。
「ええ」
アレンは、曖昧に答える。
「農作が順調だったのでしょう」
管理官は、笑って頷いた。
「それは結構なことです」
だが、その目は笑っていない。
夜。
エリシアが、声を落として言う。
「……疑われていますね」
「疑われているだけなら、まだいい」
アレンは、静かに答えた。
「確信されたら、終わりだ」
数週間後。
隣国側から、非公式な使者が来た。
穏やかな言葉。
曖昧な表現。
「最近、こちらの準備が整わず」
「今回は、見送ることになった」
それだけだった。
アレンは、その言葉を聞いて確信する。
「……やはり、兵站だ」
使者が去った後、ガルドが言った。
「助かりましたね」
「助かった、だけだ」
アレンは否定しなかった。
「勝ってはいない」
その夜。
王都宰相府に、報告が上がる。
――侵攻準備は事実。
――だが、補給不足により断念。
ダリウスは、報告書を閉じた。
「……偶然か?」
「偶然にしては、出来すぎです」
ユリウスは、静かに言う。
「彼が動いたとすれば」
「法は犯していない」
「だが、越権です」
ダリウスは、しばらく考えた後、言った。
「処分が必要だな」
「排除しますか?」
「いや」
ダリウスは、首を振る。
「排除できない」
「ああいう人間は、消すと困る」
ユリウスは、目を細める。
「……では」
「地位を奪え」
「権限を削れ」
「だが、数字には触れさせろ」
それが、結論だった。
一方、辺境。
アレンは、夜風に当たりながら思う。
止めたのは、戦争だけではない。
——自分の立場も、止まった。
それでも。
「……これでいい」
彼は、そう呟いた。
誰にも評価されなくても、
記録に残らなくても。
起きなかった戦争は、
起きた戦争よりも、
価値がある。
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