第伍幕の伍
あいつの意外な一面。
「さて、これから楽しいスケッチの時間に移ってもいいかな?」
「もちろん」
スケッチを始めようとしたら、蓮のスマホに着信が入る。
「悪い、ちょっと電話出てくる」
電話に出ながら蓮は部屋を出て、かりんによるスケッチが始まる。犬のしつけでいうお座りのポーズをイナリに指定してからかりんはペンタブを立ち上げて、タッチペンをタブレットの上で軽やかに滑らせる。ものの数分で書き上げたスケッチをもとに清書し、あおいが考えたキャッチコピーや活動内容といった文面を添えて無事にポスターを作り上げた。
「さて、約束のこっちの条件のことなんだけど……アイリス、ちょっと耳を貸して……ごにょごにょ」
耳打ちが終わり、アイリスは顔を赤らめながらさくらに尋ねる。
「あの……お風呂を貸してもらっても……いい?」
予想だにしていなかった発言が炸裂し、部屋の空気が凍り付く。ある者は一緒に生活している自分は一度もそんなことを言われたことがないのになぜという疑問を感じ、またある者は人間でないことを利用した巧妙かつ合法的な手段をとったことへの怒り、はたまたある者は彼女を選んだことに対する納得感を抱いていた。
「……イナリ、ほんとにアイリスとお風呂に入るつもりなの?」
先ほどから下心が丸出しの表情をしているイナリに不快感を抱くも、それをなんとか噛み殺してさくらは問いかける。
「何か文句でもある? モデルになってあげたんだから今度はこっちの条件を満たしてもらわないと。労働には相応の対価がないとね」
イナリは開き直って答える。
「アイリス、あなたはどうなの?」
「イナリちゃんがいいなら、私は、別に……」
この言葉に、イナリの顔は完全に鼻の下が伸びてしまっていた。下心や性欲というものは人間でもキツネでも共通して存在していた。タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど風呂は沸いていたが、さくらはまだ迷っていた。しかしあおいには秘策があり、その内容をさくらに耳打ちする。
秘策の内容を聞いてさくらは思い切って風呂を貸すことにする。万全を期して、アイリスが先に風呂に入ってからイナリが入ることにもなり、この条件に彼は不満げではあったが、この妥協案をもし呑まないならば認めないと言われしぶしぶ認めた。
湯気が立ち込めた浴室の中で、入浴剤でしっかりと色が付いたお湯がたっぷりと入っている湯船の中に入って自宅の浴槽に入るかのようにくつろぐアイリス。
「イナリ、もう行っていいわよ!」
あおいに背中を押されてから、イナリが待ってましたと言わんばかりに全力で走りながら浴室へと向かう。
が、縦に分割されて真ん中で折れるタイプだった風呂の扉に激突して阻まれてしまい、イナリはその間に挟まれてしまう。幼馴染で昔からよく来ているさくらの家のつくりを事細かに知っているあおいだからこそできた秘策で、興奮して冷静な判断ができないイナリを自爆させることだったのだ。
「ふぎゃっ!」
ドアに思いっきり体当たりしてしまったイナリは折れ曲がったドアに強く挟まれ、後ろ足をばたつかせてもがいている。
「あー、電話長かった。しかし汗かいたなー、さくらー、風呂借りるぞー……!?」
予想外に長引いた電話がやっと終わり、ひと段落付いたところで先ほどまでの騒ぎを知らない蓮が力仕事の疲れを癒すべく入浴しようと脱衣所の扉を開くと、湯船から立ち上がってこれからシャワーを浴びようとしていたアイリスがいた。目と目が合い、数秒間気まずい空気が流れ、アイリスの顔は紅潮していく。
「み、見ないでーっ!!」
アイリスのただ事ではない叫びに何事かとさくらたちは駆けつけるが、そこには仰向けになって鼻血を出して倒れている蓮、相も変わらず浴室のドアに挟まれてもがいているイナリ、そして半泣きで胸を両腕で隠している全裸のアイリスが浴室にいるというカオスとしか言いようがない空間が広がっていた。
「あー……何があったか大体わかった」
「うちのバカが申し訳ありませんでした……」
「あっ……察し」
この空間を作り出した蓮とイナリの醜態に呆れるさくらとあおいは、倒れて動けない蓮を片腕ずつ引っ張り移動させる。
「人生で初めてお父さん以外の男の人に裸を見られた……、私もうお嫁に行けない……」
「今の時代にさすがにそれはないと思うけど大丈夫、もしアイリスに何かあったら私がもらったげるから」
かりんは彼女なりの言葉で風呂から上がったアイリスを慰め、濡れた彼女の体にタオルをかけてあげた。
人間がやったらアウトだよ!




