『ここで逢ったが、三百年』エラ婆の現世
人生には、何度も繰り返したくなることがある。
好きな音楽。
好きな仕事。
そして、何度会っても飽きない人。
三百年あったって、足りるものか。
さて、エラ婆の今のお話です。
マローデイという男から、通信が来た。
配信したばかりの曲についてだった。
褒めてあった。
かなり褒めてあった。
その三倍くらい
直してほしいところが書いてあった。
「この人、誰?」
誰に訊いたわけでもない。
誰かに訊いて
知り合いだと言われても困る。
弦の入り方については、一理あった。
そこが腹立たしかった。
あたしは返信した。
『その箇所は、わざとです』
すぐ返ってきた。
『そうだと思いました』
じゃあ、何の用だ。
*****
マローデイは、音にうるさい男だった。
大きな音が嫌いなのではない。
小さな音でも気に入らなければ見逃さない。
音の広がりかた、回りかたにうるさくて
音の消えゆく様にもうるさかった
当然、音の「鳴っていない状態の在り方」
さえも見逃さない。
見逃さない?耳なのに?
だがバッサリと聞き逃して平気な時もあるので
あたしにはよくわからない耳だ。
モーツァルトの弦楽四重奏曲の話をさせると
四人ぶん喋る。
バッハのゴルトベルクの話は、もっと長い。
途中でお茶を淹れて戻っても、まだ入口にいる。
グールドのピアノを聴きながら
急にニヤニヤすることがあった。
「何?」
「いま、唸った」
「誰が」
「グールドが」
あたしには
さっきからこの男も唸っているように聞こえた。
録音を止めると、片方だけ残った。
「あなたも入ってたわよ」
「そう?」
「悪くないわ。三人で聴いてるみたいだった」
まだ付き合う前の話だ。
こんな男と付き合うとは思っていなかったから
遠慮なく言えた。
今も言える。
そこは、よかった。
*****
最初に会った時
あたしは曲のデータを持っていった。
彼は、どうやら運命を持ってきたらしい。
こちらには訊きたいことが三つあった。
向こうは、あたしを見た途端に
用意していたらしい話を全部忘れた。
「で、弦のどこが?」
「ああ、はい」
「はいじゃなくて、どこ?」
「すみません。ステキ過ぎて」
「弦が?」
「あなたが」
そんな編曲指示は受けたことがなかった。
顔を見た。
社交辞令ではないらしい。
「それで、弦は?」
男は少し姿勢を正した。
「やっぱり、あそこは変えた方がいいと思います」
あたしは初めて、少し笑った。
「やって見せて」
言った途端、この男は元気になった。
さっきまで置き場のなかった手が
端末の上では、よく働いた。
言うだけのことはあった。
腹立たしいことに。
だから、そこは採用した。
「思ったよりいいわね」
「ありがとうございます」
「顔じゃなくってよ」
「わかってます」
わかっている顔ではなかった。
*****
その日から、一時間ごとに通信が来た。
曲の感想。
昔の録音の話。
あたしの歌の、あたしも忘れていた一節。
褒める場所が、いちいち細かい。
『最後の息継ぎを残してください。
あそこが、とても好きです。
あなたも』
『その最後の三文字、要らない』
『四文字のことですか?息継ぎは残してください』
『息継ぎ無しで歌えるのに』
『知ってます。わかってます』
『あなたがわかってるだけでどうするのよ』
『いつも聞き惚れてます』
こんなやり取りが、一時間ごとだ。
最初のうちは、そのたびに訂正していた。
訂正するためには、読む。
読んでしまえば、返事をする。
後から考えると
あたしはずいぶん熱心に相手をしていた。
夜まで来るので
寝ている時間に送らないように言ったら
止まった。
朝、まとめて来た。
『溜めなくていい』
それも止まった。
言葉の通じる男だった。
最初の一回では効かないことが多いだけで。
ある日、二時間来なかった。
あたしは端末を見た。
充電はある。
通信も繋がっている。
曲を一度、最初から聴き直した。
まだ来ない。
『生きてる?』
送ってから、しまったと思った。
『はい。あなたの曲を聴いていました』
そう返ってきた。
あたしは端末を伏せた。
続きを訊くと、曲の話で終わらないか
或いは、めくるめく音楽の話が広がるか。
*****
「現代音楽って、すぐ古くなるでしょう」
いつだったか、マローデイが言った。
「クラシックは、古いほど艶を感じるんだ」
「あたしの曲は?」
「新しい」
「そのうち古くなるのね」
「だから聴き続けないと」
返事が、だんだん上手くなっていた。
音楽の知識だけで生きていた頃より
覚えることが増えたのだろう。
エラ・フィッツジェラルドも好きだという。
「だから、あたしなの?」
「名前で選ぶなら、もっと早く声をかけてる」
そういうところだけは、すらすら言う。
細かいことの基準値が高い。
会ったことのない演奏家の
弾き方の癖まで知っている。
何でもよく知っているのに
目の前の女の扱いだけは、毎回初見だった。
あたしが気に入っている曲を聴かせると
眉が片方上がった。
「何?」
「いや」
「言いたいことあるでしょう」
「この打楽器は、少し」
「好きなのよ、これ」
マローデイは、もう一度聴いた。
三日後、似た曲をいくつも送ってきた。
「こっちも好きだと思って」
自分の耳に合わないものまで片っ端から聴いて
あたしの耳に合うのではないかと調べて
調べに調べ抜いて目星を付けたのを
わざとさりげなく
「偶然、直感で
なんとなくコレお好きかなと思って」
「あら、よくわかるじゃない」
本当は必死で調べて来てることもわかってるから
少し譲歩して言ってやることくらい
あたしも出来るオトナだけど。
中には、ナンダコレ?な曲もあったりして。
「無理しなくていいのよ」
「無理じゃないよ」
「眉、上がってる」
「普段からこういう顔」
初めはそんな顔は見せなかった。
悪くないじゃない。
思ったよりいいわね。
*****
車が来た。
通信の添付画像ではない。
表ですごい爆音がしたかと思ったら
スーパーセブン。
低い。
狭い。
エアコン、無さげ。
トランク、無さげ。
こうも潔くいろんなものを省いたクルマが
存在していいものなのか。
巨人がこれにハマって乗って来たとは思えない。
引っ張って来たんじゃないの?
「屋根は?」
「要らないと思う」
「小雨なのに?」
「走ると吹き飛ぶから大丈夫」
「大雨になったら?」
「幌がある」
幌?畳んでシートに置いてあるあれが?
「付けてみて」
「亀の甲っていう名前の取り付けホックが
何ヶ所も取れちゃってて付けられない」
「あたしのバッグのギボシや
ピアスなんかじゃダメ?」
「亀の甲より年の功だな」
また随分すらすらと
語彙力は古典から。
「今日は晴れてる」
無理矢理晴れにしてる。
晴れてるから開けて来たらしい。
小雨なのに。
「今日は午後から本降りよ」
マローデイは、一瞬だけ空を見た。
天気に説得を頼んでも無駄だ。
「あなたに似合うと思ったんだ」
「似合うわ」
「それ以上だよ」
あとでわかったことだが
その昔、欲しくて試乗したタイプが狭過ぎて脚が入らず
諦めたことがあったのに
あたしを載せたいと思って立ち寄った総代理店で
シートクッションを外してみたら
うまくハマったことで機が熟したことを悟ったのだと。
「乗り降りを手伝う人は付属してる?」
「僕が」
「毎回?」
「もちろん」
いまのうちに
無理矢理晴れだと言えなくもないうちに
飛び出すしかないではないか。
大きな付属品があたしを抱えて座らせ
あたしのギボシで年の功
いえ、亀の甲代わりにして幌を留め
狭い幌の中にアタマから突っ込んで来て
一度そのアタマを
あたしの座席側のペラッペラの窓から出して
クルマに串刺ししないと
アングロサクソン人のような手脚が
クルマの室内(と言い難い空間)に入らなかった。
あたしは可笑しくて
この男が可愛くて
走り出してもずっと笑っていた。
悔しいけど、面白かった。
悔しいけど、それだけじゃない。
風で髪が崩れる。
会話が成り立たないくらい音がうるさい。
マローデイは隣で
これ以上ないほど嬉しそう。
楽しいなんてものじゃない。
なんだろう。
「いい音でしょう」
エンジンのことだ。
「さっき、あたしの曲からいい音を三つ抜いたわよ?」
「これは必要な音だから」
「三つとも、あたしには必要だったわ」
「代わりにひとつこの音だ」
エンジン音に負けない声を張り上げて
叫びながら喋り、笑った。
抜いたあと二つの音の話を叫びまくっているうち
ずいぶん遠くまで来てしまった。
帰りも叫ぶことがたくさんあった。
*****
次に引っ張って来たのは
アメリカンのキャンピングトレーラーだった。
「一足飛びに大きくなるわね」
「これなら、旅先でもゆっくりできる」
「次は土地?」
「必要なら」
冗談を見積もりに回すんじゃない。
中に入ると、思っていたより居心地がよかった。
ベッドやトイレ、シャワーもクローゼットもあるし
冷蔵庫もオーブンもあるから遠出も楽しめる。
スライドアウトのダイナーが小上がりで
窓付きの個室ダイニングと言ったところ。
座らせてもらうと気分がいい。
“Your Majesty”
マローデイが言った。
「ここ、制作にいいわね」
「そうだね」
マローデイは嬉しそうだった。
しばらくして、録音を始めた。
マローデイは外へ出た。
チャイティーを買って戻ってきたので
手で追い払った。
また出ていった。
通信が来た。
『入っていい?』
『まだ』
『僕が買ったんだけど』
『チャイティーありがと。静かにして』
『キャンピングカーだよ、僕が買ったんだけど』
『ありがと』
しばらく静かだった。
外で、何かが小さく鳴った。
「グールドも止めて!」
完全に静かになった。
*****
追伸が来た。
『入っていい?』
『いいわよ』
城の門番が非番で上がって来た風情だ。
巨人がドアステップを踏むと
大きなアメリカンでも揺れる。
マローデイはドア横のソファに身を投げ出した。
揺れが倍だった。
「寒かった?」
「少し」
「チャイティー飲んでたんじゃなかったの?」
「アイスだもの、僕のは」
ホットをあたしに残して
自分でアイスを持って出たんだから仕方ない。
「ちょっと聴いて」
「どこから?」
「最初から」
マローデイは立ち上がった。
顔が変わった。
プレゼントをもらう方の顔になっていた。
あたしは、その顔を見て
セブンをもらったことより
トレーラーをもらったことより
なんだろう。
これは困った。
*****
あたしは、前の人生を憶えている。
好きだった人も
言わなかったことも
言ったのに忘れていたことも。
思い出す順番を間違えるだけで
人は、ひどいことができる。
「もう一度会えば、今度こそ」
そんな仮説は前世のどこかに置いてきた。
入江がどこの誰になったのかを知っている。
連絡はしない。
こちらには、いま
あたしの録音を聴いている男がいた。
目を閉じている。
口は閉じていない。
「唸らないで」
「あ、ごめん」
謝って、また聴いた。
途中で止めた。
「ここ」
「何」
「ここは、もう一度歌った方がいい」
褒めてくれると思っていたので
少々腹が立った。
「どこが悪いの」
「悪くないよ」
「じゃあ、なぜ」
「さっき、録る前に歌ってた方がすきだ」
門番は
あたしが何気なく歌ったのを
すきだと言った。
「あれでいいの?」
「あれがいい」
あたしはマイクの前へ戻った。
「じゃあ、そこにいて」
「音、入るよ」
「黙ってれば入らない」
今度は、唸らなかった。
*****
あたしを落とすのに、何が一番効いたのか。
後になって、マローデイが訊いたことがある。
自分から訊くんだから、大したものだ。
答えによっては、車二台ぶんくらい傷つく。
「どれが効いたと思う?」
「セブン?」
「50年分充填!」
「トレーラー?」
「45年分充填!」
「通信?」
「睡眠と休憩100年分消失かな」
マローデイは黙った。
「あたしが『もう一度』って言った時
嫌な顔しなかったことかしら」
「録音?」
「それも」
曲がうまくいかない日も。
踊りが決まらない日も。
今日はやめると言っておいて
夜になって、やっぱりやると言い出した日も。
この男は、ため息をつくことはあった。
時計を見ることもあった。
それでも
あたしの「もう一度」を
勝手に「もう充分」にしなかった。
マローデイは、しばらく考えていた。
「だったら」
「なんなの?」
「特殊車両を二台も要らなかったかな」
「今頃、経費を悔やまないで」
*****
長く一緒にいると、役割も決まってくる。
高いところと重い物。
マローデイの担当は、それだ。
細かい音には、頼まなくても手を出す。
仕事では、あたしが上司だ。
これは、どちらが先に生まれたかとは関係がない。
誰が最終的に責任を取るかという話だ。
マローデイは、最後まで意見を言う。
あたしも、最後まで聞く。
そのあと、あたしが決める。
「エラ婆、マロ爺が怖がってるよ」
レリが言った。
「怖がってないよ」
マローデイが言う。
あたしの顔を見ながら。
「ほら」
イデが笑った。
曽曽孫たちは、この男によく懐いている。
あたしのいないところで
何を食べさせてもらっているのか知らない。
何も食べさせなくても懐くと言ってるが
じゃあ、その箱は何だ。
「マロ爺、エラ婆のどこが好き?」
イデが訊いた。
「全部」
「直してほしいところは?」
レリが訊いた。
「曲なら、ある」
「本人には?」
「本人には言ってある」
それからマローデイに一層懐いた。
あたしに進言出来るオトコだと言うだけで
株が上がったようだ。
*****
ある日の食事で
イデが、あたし達のなれそめを
最初から聞きたがった。
あたしは大筋を話した。
マローデイは途中で何度も訂正した。
「最初の通信は、そんなに長くない」
「読み終わる頃には曲が一本できたわ」
「それはない」
「ほらあの曲よ」
あたしが鼻歌うたってやった。
レリが笑いながら言った。
「マロ爺は車とトレーラーでエラ婆を獲得したって
ミケラ婆たち言ってたよ」
「まあ、趣味の良さで勝利だな」
マローデイは満更でもなさそうだった。
イデが首を傾げた。
「でも、車を運転するのも
トレーラー動かすのもマロ爺でしょう?」
「そうだよ」
「編曲も?」
「一緒にね」
「荷物運ぶのも?」
「そうだよ」
「じゃあ、マロ爺が全部持って
うちに来たんじゃない」
レリが、箸を置いて笑った。
「付属品つきで納品されたんだ」
「どっちが付属品なんだろ?」
「納品てことは返品も?」
レリとイデがクックッと笑ってる。
彼はあたしの顔を覗き込む。
「梱包が大変だから無理よ」
そう言ってやると満足そうに笑った。
そのあとのすらすらは用意してなかったみたいだ。
自信満々と見えても
そこで安堵の色を浮かべているのを見ると
ずっとこの顔を見ていられたら安心だなと
あたしも思う。
*****
車椅子ダンスの本番が近づくと
あたしは、少し口数が減る。
マローデイの口数は増える。
床の音。
車輪の音。
音楽が始まるまでの間。
こっちが踊る前に、耳だけで一周している。
「今日は、ここで少し待ってみようか」
「そこで待つと、次に遅れるわ」
「音を少し動かせば」
「あたしが動くの」
そんな話をしている時に
レリが、昔のことを訊いた。
「エラ婆って、前世の時から数えたら
どれくらいになるの?」
「数え方によるわね」
「マロ爺と逢うまで」
「死んでた間も入れるの?」
「入れるのかな」
「そこ、休みだったんだけど」
イデが横から言った。
「もう三百年くらいってことでいいんじゃない?」
「そんなに経ってたらまたリセットかかりそうじゃない
まだあと三百年欲しいところよ」
マローデイが笑った。
「ここで逢ったが三百年、か」
「仇討ちみたいに言わないで」
「君に会った時は、それくらい驚いたよ」
「あなた、生まれる前から待ってたつもり?」
「待ってないよ。会ってから忙しい」
あたしは笑ってしまった。
そう。
会ってから、忙しいのだ。
前の人生でやり残したこともある。
今の人生で初めて面白くなったこともある。
その区別をしている暇がない。
この男と、行きたいところがある。
聴かせたいものがある。
見てもらいたい踊りがある。
三百年あったって、足りるものか。
「じゃあ、もう一度」
あたしが言うと
マローデイは再生の位置を戻した。
音楽が始まる。
車輪を押す。
身体をひらく。
あの音のところで、腕を伸ばす。
マローデイが、こちらを見ていた。
最初に会った時と同じ顔で。
あたしは踊りながら思った。
この男、また一目惚れしてる。
*****
録画を確認していたら
途中で、小さな声が入っていた。
「これ、あなたでしょう」
マローデイが、耳を近づけた。
少し戻して聴いた。
「そうだね」
「唸ってるじゃない」
「いいところだったから」
「グールドじゃないんだから消して」
仕事用のデータからは、消させた。
あたしの端末には
消す前のをもらった。




