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『記録を止めてから』伊月レオナ

挿絵(By みてみん)


試合が終わると

AIコーチは、実によく働いた。


試合中だって、もちろん働いている。

けれども試合が終わったあとの速さは

何年一緒に仕事をしていても

伊月レオナには真似が出来なかった。


レオナがベンチの下へ転がったボトルを拾い

持ち主に返すまでに

男子チーム全員のプレー記録が出来ていた。


『第四クォーター、残り一分十二秒。

パスが選択されなかった理由を補足してください』


自分にわからないことを

レオナに回してくるのも速かった。


「おまえ、あそこでどうしてパス出さなかったの?」


帰り支度をしていた選手が顔を上げた。


「だって、コーチが待てって言ったから」


「僕、言った?」


「言ったよ。手で」


レオナは映像を戻した。


確かに自分の右手が

腰のあたりで、少し下を向いた。


待てという指示だった。


「ああ、ごめん。言ってた」


「でしょ?」


選手は笑って引き揚げた。


『アシスタントの指示により、パスを見送った』


そう補足してから

レオナは、もう一度だけ映像を戻した。


自分の手が下を向くより先に

選手はパスを受けるはずの味方から

目を離していた。


……僕が、こいつを見て手を下げたのか?


それなら

どちらが先に「待て」と言ったことになるのだろう。


レオナは補足の末尾に

『指示がなくても同じ判断をした可能性あり』

と書き添えた。


こんな話を

面白がって聞いてくれそうな人を

つい先日、ひとり見つけた。


*****


軋本レリ。


同じ会場で試合をしていた女子チームの

コーチだとばかり思って声を掛けた人だ。


二言、三言、話したところで

違うとわかった。


何しろ

女子チームが得点した時にも

点を取った選手とは別の方を見ていた。


それで、レオナはてっきり

自分と同じような仕事をしている人だと思ったのだ。


レリが見ていたのは

予知能力を持つプレーヤーと

その人と一緒にコートに出ている選手たちだった。


予知能力者を一人までとするなら

チームのプレーはどう変わるか。


新しいルールを検討するには

年間六十試合以上の練習試合に同行し

一試合ごとに、詳細な記録を残す必要があるという。


初めは

自分の男子チームにも

何か活かせないかと思って聞いていた。


次第に、レリが面白がるところを

自分も見てみたいと思うようになった。


例の「待て」の映像を見せたのは

そういう頃だった。


「本人は、あなたの指示で待ったと思ってるのね」


「僕も、そう思った。

映像を見直すまでは」


「レオナは、その前に何を見てた?」


「それがわからないんだよ」


レリは映像を少し戻した。

もう少し戻して

レオナがそれまで気にも留めなかったところで

止めた。


「この人、まだ一度もあなたを見てないね」


「……あ、本当だ」


「面白いわねえ」


それはレオナが

ひとりで見直していた時に

誰かに言ってほしかった言葉だった。


*****


レリのプロジェクトに手を貸すようになって

困ったことがひとつあった。


仕事の速さを

あまり自慢出来なくなったのだ。


AIコーチと長年組んでいると

ひとつのプレーについて

必要な映像を呼び出し、比較し

もっとも考えやすい理由を選ぶところまでは

ほとんど時間がかからない。


ところがレリは

その「もっとも考えやすい理由」のところで

よく立ち止まった。


ある試合で

予知能力を持つ選手が、パスを出した。


受け手は、その選手が腕を上げる前から

右の車輪に手を掛けていた。


「ここは普段から合わせてるプレーだよ。

受ける方も、来るとわかってたんだと思う」


そう言うと、レリは頷いた。


「何が来るとわかってたのかしら」


「パスじゃない?」


「私もそう思う。本人にも訊いてみましょ」


あとで選手に尋ねてみると

返事は少し違っていた。


「パスが来るとは思ってなかったです。

あの人があそこで困るといけないから

先に場所を空けようと思って」


パスを受けに行ったように見えたのは

味方のために、そこを空けようとしたからだった。


「聞いてみるもんだね」


「ええ。私、危うくこの人にも

何か見えたことにするところだったわ」


レリは自分の記録を消した。


レオナも、自分の記録を消した。


ふたりして、さっきより短い一文を書いた。


『受け手は、味方の進路を空けようとしていた』


その一文を書くのに、ずいぶん時間がかかった。


けれども次の試合から

レオナは、パスを受けなかった選手の手元まで

見るようになった。


自分のチームに持ち帰って

役に立ったのは

まず、そういうことだった。


*****


ある日、レリに訊かれた。


「あなたのチームで

AIコーチの指示が出る前に動けるようになった人

何人くらいいる?」


「今なら、かなりいるよ」


「最初から?」


「まさか。初めのうちは

指示を出す僕の方が遅くて

よく選手に怒られた」


レリは笑った。


「それ、あなたとAIコーチとで

知らないうちに、選手の中に

そういう力を育ててるのかもしれないわね」


レオナには

思ってもみなかった見方だった。


「練習して上達したのと、どう見分けるの?」


「見分けられると思ってたんだけどね」


レリは少し考えた。


「昨日はあの人に出来たことが

今日は隣の人に出来て

あの人には出来なかったりする。

そうなると私、誰に印をつけたらいいのかしら」


「予知能力者は一人まで、っていう印?」


「そう。私が言い出したのに困るでしょ」


少しも困った顔をしていなかった。


レオナはそれが好きだった。


いや、この時に好きだと思ったのは

自分の言い出したことに困りながら

そんなに楽しそうにしていられるところだ。


そこは、まだ

分けて考えられていたと思う。


*****


仕事が増えた。


自分で増やしたのだから文句はない。


ただ、二つの仕事の記録を

混ぜないようにするのには手間がかかった。


男子チームに返す記録には

次の試合で試せることを書きたい。


レリと提出する報告書には

試してもいないことを

わかったように書くわけにはいかない。


まして、レリがこうであってほしいと思うことを

自分まで、そう見えたと思い込んではまずい。


ある晩、通信で記録を突き合わせながら

レオナは言った。


「ここのところ、僕にはそう見えなかった」


言ってから

少しだけ返事を待った。


「良かった。じゃあ、両方書けるわね」


レリはすぐにそう答えた。


レオナは

端末のこちらで、ひとり笑った。


嬉しかったのだ。


レリの仕事を手伝うなら

レリと違うものを見た時にこそ

自分の目が要る。


それなら

明日も、明後日も

この人と仕事が出来ると思った。


けれど

通信を終えてから、ひとつ思い出した。


あの時の選手は

パスを出したあと、笑っていた。


あれをレリは見ただろうか。


もう一度繋いで訊くほどのことではない。

次に会った時に訊けばいい。


そういうものが

いつの間にか、いくつも溜まっていた。


*****


会って話すと

そのいくつも溜まった話を

全部するわけでもなかった。


ひとつを話すうちに

レリが別のことを思い出す。


それを聞いて

自分も思い出す。


肝心の、最初に訊こうとしたことは

ふたりして忘れたりもした。


それでも報告書は

会った日の方がよく進んだ。


「今日はここまでね」


レリがそう言うと

レオナは記録を止めた。


仕事が終わってからも

ふたりはしばらく、並んで座っていた。


レリは、考えている途中のレオナに

先回りして言葉をくれることがなかった。


待ってくれるのがありがたくて

レオナは安心して、考え直すことが出来た。


そのうちに

考えなんかとっくにまとまっているのに

もう少しこうしていたい日が出てきた。


そういう時

何を言えばいいのかは

わからなかった。


叔母のところへ

クロワッサンを山ほど買って行ったのは

そんな頃だ。


エニイちゃんには

あんなに素直に言えたのに。


その人を見つけたのが先で

仕事はその人にくっ付いて来た、と。


当の本人を前にすると

次に会う理由は、いつも仕事の話になった。


*****


帰り際

レリが予定を確かめながら言った。


「次の練習試合、少し先ね」


「そうだね」


「じゃあ、それまでに今日の分をまとめましょ。

通信で済むかしら?」


済む。


今日の記録は揃っている。

映像にも印をつけた。

足りないところは、ほとんどない。


「会った方が早いよ」


レオナは言った。


「そうね。私もそう思う」


レリは端末に予定を入れた。


その横顔を見ながら

レオナは、もうひとつ

言ってみたいことがあった。


会った方が早いのは

仕事の話をしている時だけでいい。


そのあとまで

早く済んでしまっては困る。


さすがにそれは言わなかった。


「レオナ、何か言いかけた?」


レリが顔を上げた。


「うん。次に会った時に話すよ」


「そう。じゃあ、忘れないでね」


忘れないと思った。


レリとする仕事には

忘れないように記録しておくことが

いくつもあった。


これだけは、書いておかなくても大丈夫だった。

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