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『どこからが嘘?』


「このあと、お仕事ですか」


ドクター・カンタイランに訊かれて

伊月レオナは首を振った。


「いいえ。今日は、ここだけです」


診察のあと、どこへ行くかまでは

まだ決めていなかった。


初めてこのクリニックを受診した日は

キトラの店を出たあとだった。


それからは何度か

ここだけに来て、そのまま帰った。


今日は先に診察を済ませたので

このあと、キトラの店へ行くことも出来る。


そんなことを考えている自分に

レオナは少し驚いていた。


*****


カンタイランには

かなり早くから、わかっていたことがある。


この男は

キトラの発作の原因になったひとりだ。


無論、レオナがキトラに

何かをしたということではない。


キトラの店で、話をしたのだ。


江田が話したことを

レオナは知らず

レオナが話したことを

江田も知らない。


キトラはどちらの話も聞いた。


その上

ふたりの話には出てこなかった別のふたりのことまで

キトラは思いやっていた。


カンタイランは

キトラの症状について

論文を発表する準備を進めていた。


いつから発作が繰り返すようになったのか。

思い出しかけた時に

かえって思い出せなくなるのはなぜか。


記述は日ごとに詳しくなった。


それでキトラが少しでも楽になったかといえば

そうではない。


論文には、患者が困っていることを書く欄が

いくつもある。

困っているキトラに

主治医の自分がしてやれることを書き出そうとすると

カンタイランの手は止まった。


*****


今日の診察で

レオナは、これまでよりよく話した。


出血や炎症については

初めて来た日から隠さず伝えていた。

それを話さなくては、診察に来た意味がない。


今日は

具合が悪くなった頃の話までした。


「練習試合を、六十試合以上見る仕事が

あったんです。僕のチームとは別に」


一緒に調査をしていたのが

当時付き合っていた女性だったこと。


ふたりで作った報告書は

きちんと提出出来たこと。


その後に続くはずだった仕事が

続かなかったこと。


「報告書のここが足りないというなら

持って帰って、ふたりでまた考えられたんです。

何度だってやりましたよ、たぶん」


「そうでしょうね」


「でも、僕らが何を書き足したって

決めるのは僕らじゃなかった」


仕事上、どうしても

自分の力が及ばないところがある。

それくらい、前から知っていた。


参ったのは

レリがそのことで自分以上に疲れ切っていて

そちらにも、何ひとつしてやれなかったことだ。


「そういう時期に、また悪くなりました。

どれが原因だとは、自分でも言えませんけど」


カンタイランは頷いた。


レオナは少し考えてから

今も江田には持病のことを話していないと

付け加えた。


他にも、誰にも話していなかったことまでも

主治医に話せたのはなぜだろう。


そう思ったのは

もう、話したあとだった。


*****


診察を終えると

カンタイランはいったん端末を閉じた。


「伊月さん。ひとつ、私からお話があります。

治療の話とは別です」


「はい」


「あなたの記憶や、あなたが物を見たり

考えたりする時の特徴をもとに

AIのデジタルツインを作ってみませんか」


レオナは、しばらく答えなかった。


AIとは毎日一緒に仕事をしている。

それでも、自分をもとにすると言われると

どんなものになるのか

すぐには見当がつかなかった。


「僕の記憶を、全部?」


「いいえ。何を渡すかは、あなたが決めることです。

作るかどうかもね」


「先生は、どうして僕にそういうことを?」


カンタイランは考えた。


キトラの名前を出すわけにはいかない。


かといって

研究のためだと答えるのは違った。


「あなたが今でも、あの時こうしてやれたらと

考えていることがあるでしょう。

それを、誰かの役に立つ形で

残せないかと思ったんです。

私にも、そういう心残りがあるものですから」


「先生にも?」


「ええ」


レオナは少し笑った。


「僕をもとにしたら

役に立つ形に残せなかった話ばかりが長いですよ」


「それは、面白い特徴ですね」


カンタイランも笑った。


レオナはその場で返事をしなかった。

ただ、帰り支度をしながら

ひとつだけ訊いた。


「あとになって、これは入れておきたいと

思うことが出てきてもいいんですか?」


「もちろん」


それだけ聞いて

レオナはクリニックを出た。


*****


今度は、キトラの店があとだった。


「こんばんは。まだ、いいですか」


「あら、いらっしゃい。どうぞ」


アンディが椅子を引いた。


キトラはレオナの顔を見ると

何かを思い出しかけた。


この人が前に座ったのは、その椅子だったか。

いや、その前に別の人がそこに座っていて……。


「今日は、どんなお話?」


キトラはそう訊いた。


続きを追いかけていると

今、目の前にいる人の話を聞き損ねる。


「昔の話でもいいですか」


「ええ。昨日の話だって明日の話だっていいわよ」


「じゃあ、昔のを。

忘れてもらってもいいですし

憶えててもらってもいいです」


「まあ、どっちでもいいの? 助かるわ」


レオナが笑った。


「僕の方も

もう話したことがあるかもしれないので」


「それならお互いさまね」


*****


昔、ある人と一緒に

試合の記録を取っていたのだと

レオナは話し始めた。


「僕とその人で、同じ試合を見たんです。

あとで記録を見せ合ったら

僕には、どうもその人と同じには見えなかった。

そう言ったら、なんて言われたと思います?」


「もう一度、よく見てって?」


「『良かった。じゃあ、両方書けるわね』って」


「あら。それなら、ふたりで見て良かったわね」


「そうなんですよ」


その返事が嬉しかったことを

今も、こんなに嬉しそうに話せるのかと

レオナは自分で可笑しくなった。


あの頃の話は、ほかにもあった。


会ったら訊こうと思っていたことを

会えば別の話が始まって

結局ふたりとも忘れてしまったこと。


それなのに

帰る頃には報告書がよく進んでいたこと。


「仕事の話なら、いくらでも出来たんですけどね」


「ほかに、したい話があったの?」


「ありました。次に会った時に話すよって

そう言っておいて、しなかった話が」


キトラの頭を、レリの顔がよぎった。


あの子も何かを言っていた。

いつだっけ。

この人が来たあとだったか、その前か。


ふっと引っ込んだ。


キトラはレオナの前に水を置いた。

さっきより少し、顔色が悪かった。


レオナは水をひと口飲んで

自分から続きを話した。


「僕、今、一緒にいる男がいるんです。

前に話したかも知れないけど」


キトラは頷いた。

頷けるくらいのことは頭をよぎった。


「その人と別れて、彼女のところへ戻って

今度こそ、ちゃんと自分の思いを告げたいんです」


言ってしまってから

レオナはグラスを両手で持った。


「戻るって、僕の方が勝手に言ってるだけで。

彼女にしてみたら

何しに来たのってことかもしれない」


「ええ」


「彼女が今、男として生きていても構わない。

誰かと一緒にいても構わないんです。

ダメならダメとわかって

その時は、僕もちゃんと覚悟を決めたい」


キトラはレオナの次の言葉を待った。


「今、そうしないと

僕にはもう、後がないんです」


「後がない」が

どれほど差し迫った話なのか

キトラにはわからなかった。


レオナはグラスを置いた。

少しのあいだ、その手はそこにあった。


キトラはレリのことを口にしなかった。


傍らで

アンディは、ひとまずその話を記録した。


レオナのフォルダを閉じ

ロックをかけた。


*****


「すみません。結局、僕ばっかり喋って」


「お話しに来たんでしょう?」


「ええ。でも前に来た時も、たぶん」


「今日は、まだ聞いてない話があるわよ」


「何です?」


「その人と意見が合った時は

なんて言われたの?」


レオナは考え込んだ。


「……そういえば、そっちは憶えてないなあ」


キトラが笑った。

レオナも、釣られて笑った。


そのうちにアンディが

店の外の表示を『CLOSE』に変えた。


それを見てレオナが立ちかけると

キトラは新しいおしぼりを出してきた。


「せっかく温めたから、使っていって」


使い終わる頃には

アンディが水を注ぎ足していた。


「せっかく注いだんですから、お急ぎでなければ」


「じゃあ、いただきます」


そうしているうちに

レオナは一度見たはずの『CLOSE』を

すっかり忘れていた。


*****


帰り際、レオナはドアのところで振り返った。


「ずいぶん長居しちゃって」


「いいえ。最後のお話は私からいたしましたので」


アンディが答えた。


「その分は、私のお給料から引かれます」


「……アンディ、給料もらってるの?」


「はい」


キトラはグラスを拭いていた。


「何に使うの?」


「ママに一杯おごります」


「ここで?」


「はい。ここでしたら

帰りもご一緒出来ますから」


「それ、結局ママさんにお金が戻るんじゃないの?」


「うそぴょーーーん」


あ! まだソレ消してないのか!


キトラはアンディを窘めかけて

その言葉を飲み込み

手元のグラスに目を戻した。



「えっと、……どこからうそ?」


レオナが訊いた。


「どこからだと思われますか」


アンディの真面目な声は

さっき給料の話をした時と

少しも変わらなかった。


「まあいいか。おやすみ、アンディ」


「おやすみなさいませ」


「ママさんも」


「ええ。気をつけて帰ってね」


店を出て、少し歩いてから

レオナは小さく「ぴょーーーん」と言ってみた。


アンディほど真面目な声では言えなかった。


身体は相変わらず辛かった。


それでも、聞こえた「ぴょーーーん」が

辛さを和らげてくれるようで


もう一度口にして

帰り道、ひとりで笑った。

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