『ただいま』
「ただいま」
伊月レオナは
少し遠回りして寄った『いけす』で
四十センチほどの小ぶりのブランドブリを
一尾買って帰ってきた。
キッチンに立っていた江田五省の前に
ドスンと音を立てて置いた。
「また生臭いの買って来たな」
「フルーツブリだから大したことないよ」
「生ゴミ係はそっちだからね」
「美味しいの作ってくれたらね」
「残さないで食べるならね」
このところ
レオナが頻繁に生魚を買ってくるので
五省の魚捌きの腕は上がるばかりだ。
毎回そんなやり取りをしながら
レオナが少し手伝うこともあれば
自室に籠もることもある。
手伝っていても
途中で部屋へ戻ることがあった。
どちらにしても
食事の用意が出来る前には
また顔を出した。
*****
「この頃、生魚が続くけど」
五省が言いかけると
レオナが答えた。
「だって、五省が魚捌きうまくなってきたからね」
「元々旨いものなんだから
不味く作る方がおかしいだろ」
「その調子でどんどん上手くなってくれたら
ありがたいよ」
レオナは屈託なくそう言いながら
目の前にある刺身を
次々と口に運んだ。
「だから、こう生魚が続くと
肉料理も食べたいんだけど。
最近、魚の方が多いから
今度、こっちが買い物してくるよ」
「いいよ。じゃあ酒の肴、塩辛とか珍味とか
そういうのも買って来てよ」
五省は
レオナが最近
やけに魚類や海産物を好むようになったと
不思議に思っていた。
肉より魚の方が身体に良いと思ってのことか。
ただ単に
魚の味がよくわかるようになったのか。
何かそんな心境の変化でもあったのか。
あまり思い当たることがない。
「最近、魚が続くけど……」
五省が再び切り出した時には
レオナは目の前の刺身を平らげていた。
そんなに好きなら構わないか。
五省がそう思ったのと同時に
レオナが言った。
「明日はヒレかランプでも買ってくるよ。
僕が焼く。ブルーかレアで食べたいから」
そう言うと
楽しそうにキッチンを片付け
生ゴミまでまとめてから
また飲み始めた。
*****
江田がキトラの店を訪れ
その後に、レオナも訪れたあの日。
キトラの店を出たレオナは
カンタイランクリニックを初めて受診した。
それ以前から定期的に通っていた病院が
閉院してしまっていた。
次の通院先を決めないままでいたところ
たまたま通りがかったクリニックに
寄ってみたのだった。
持病のことは
誰にも知らせてはいない。
江田には
以前の病院に通院していたことも
話していなかった。
指定難病の四十と百六十。
ふたつを抱え
他にも。
ストレスが高じると酷くなる。
何がストレスかと断定は出来ないし
全てがストレスのせいとも言い切れない。
断定してしまう方が
容易いかもしれない。
理由など、どうでも良い。
ただ、出血を抑え
炎症を抑え
出血臭を少しでも抑える必要があった。
周囲にも気を遣わせたくない。
もちろん
不快な匂いにも気付かれたくない。
通院後は気晴らしも兼ねて
生魚を買って帰ることに決めていた。
*****
レリと付き合い始めた頃は調子が良く
どちらも影を潜めていた。
あの研究が打ち切りになり
それだけが理由ではなかったが
レリとうまくいかなくなった。
ひとりで苦しみに耐えた時期。
その頃出会ったのが
江田五省だった。
*****
レオナが江田に初めて会ったのは
まだ閉院する前の、あの病院だった。
その日は
自分の診察のために来たのではなかった。
チームの故障者の入院に付き添い
手続きを済ませて帰るところだった。
待合室に、ひとりの男がいた。
膝に乗せた端末に
両手を添えるようにして
何やら熱心にメモをとっていた。
江田五省だった。
レオナは
その姿に、理由もなく釘付けになった。
何をしているのか。
誰なのかもわからないその人の横顔を見ただけで
正体のわからない気持ちが溢れてきた。
レリが居る。
そう思った時にはもう
江田の隣に腰掛けていた。




