『お喋りキトラ、白山の人だかり』
ミケラ婆の肩書きは
母親のエラ婆に負けず劣らず混沌としている。
作詞家。
武道家。
スポーツメンタルマネージメントコーチ。
そして、エラ婆のマネージメント。
エラ婆が何か始めれば
ミケラの仕事もひとつ増える。
もっとも
ミケラ自身も何か始めてしまうので
何もかも母親のせいには出来ない。
最初は
エラ婆と自分のために
動きやすいスタジオを構えただけだった。
ところが
そこで教えてほしいと言う者が現れ
レッスンやレクチャーに使う機会が増えた。
話が長くなれば、椅子が要る。
人が増えれば、テーブルも要る。
レッスンのあとの話が
次の企画になり
会議になり
商談になった。
お茶くらい出そう。
何か食べられた方がいい。
夜までいるなら、一杯くらい。
そうして
カフェバーまで備わることになった。
そのカフェバーが
後にキトラ婆の認バーとなる。
まだ、誰もそう呼んでいなかった頃の話だ。
*****
ミケラが最初に
娘のキトラの接客適性に気づくきっかけとなったのは
ジュニアクラブの老人ホーム慰問だった。
武道や球技のジュニアクラブの選手たち。
メンタルマネージメントのジュニアリーダーたち。
社会勉強や職業体験を兼ねて
連れて行くことになり
キトラも一緒について来た。
選手たちには
日頃の練習を見てもらう時間があった。
ジュニアリーダーたちは
施設の職員に教わりながら
皆で出来る遊びや運動を手伝った。
キトラは
そばにいたお年寄りと話していた。
それだけだった。
少なくとも
ミケラにはそう見えた。
ところが
ふと気が付くと
キトラの周りに人だかりが出来ていた。
もちろん、年寄りばかりだ。
そして、介護士たちでさえ
その様子を覗き込んでいた。
「あなた、名前は?」
「キトラです」
「キトラちゃん。珍しい名前ねえ」
「そうなの。だから、一回で憶えてもらえるの」
「私はもう忘れちゃった」
「じゃあ、もう一回。キトラです」
「ああ、そうそう、キトラちゃん」
「今度は私がお名前を聞く番ね」
すると
隣から別の人が名乗った。
その隣も名乗った。
「待って、待って。
私も一度にそんなに憶えられないわ」
お年寄りたちが笑った。
「若いのに?」
「若いからって、そんなに頼りにしないで」
また笑い声が上がった。
ミケラも、その様子にチラッと目をやった。
だが
キトラに日頃と変わったところは全く無い。
黒山、いや
白山の年寄りだかりを前に
楽しそうにお喋りを返している。
いつもどおりのお喋りキトラだ。
具体的に何がどうということはないのだが。
*****
帰る時間になっても
キトラの周りだけは
なかなか話が終わらなかった。
「また来てね」
「ええ」
「今度は、あの話の続きをするから」
「私も続きがあるのよ」
「あなた、今日はずっと喋ってたじゃない」
「喋ったから、続きを思い出したの」
キトラがそう言うと
皆がまた笑った。
ミケラは
次の約束まで始まりそうな娘を呼び
皆を連れて帰ろうとした。
その時
施設理事長の
ドクター・ショウタイラン氏に呼び止められた。
たまたま
今日の様子を見に来ていたのだという。
「キトラさんは、いつもあんなふうですか」
「ええ。騒がしくありませんでしたか」
「とんでもない」
ショウタイランは
まだ名残惜しそうに手を振っているキトラを見た。
「彼女の会話術は、お年寄りを惹きつけますね。
人あしらいというか、人たらしというか。
目を見張るものがあります」
「人たらしですか」
ミケラは、少し笑った。
娘をそう評されたのは
初めてだった。
「あまり喋らない方も
今日は自分から話に加わっていました。
彼女が何を言うか、待っているんですよ」
ミケラはもう一度
キトラを見た。
娘は、今度は介護士に何か話していた。
帰る支度は
まだ出来ていなかった。
*****
その日からミケラは
キトラの様子を
少し違った目で見るようになった。
スタジオへ来た人と話している時。
レッスンの終わった友達を待っている時。
エラの用事について来た時。
キトラのいるところでは
誰かが、予定より少し長く座っている。
用事を済ませたはずの人が
もうひとつ話をして帰る。
だからといって
キトラは誰にでも
同じように話しかけているわけでもなかった。
隣に座っているだけのこともある。
別のことをしていたかと思うと
相手が口を開くより先に顔を上げることもある。
ミケラは
娘の適性を見極めたいと思った。
キトラが無理なく
生き生きと生きられる道を探すために
人知れず、出来ることを始めた。
人に話を聞き
仕事や資格について調べた。
けれども
調べてきたものを
すぐ娘の前に並べることはしなかった。
向いていると言われたからといって
本人が好きになるとは限らない。
いつものお喋りを
仕事にしなさいと言われて
喋れなくなっても困る。
キトラが自分で何かを選ぶまで
黙って見守った。
*****
やがてキトラは
カウンセラーになりたいと言い出した。
ミケラのジュニアクラブに所属する
同世代の友達は
それぞれ憧れの仕事に就くために
大会やオーディションに挑み続けていた。
キトラも
何も考えていなかったわけではない。
母親の仕事を
ずっと見ていた。
ミケラに相談に来た人が
来た時とは違う顔で帰って行く。
何かが決まった人もいれば
まだ決まらないままの人もいる。
それでも
また来ていいと思って帰って行く。
キトラは
他のどんな仕事よりも
そこに魅力を感じていた。
「ママのところに来る人の話を
私も聞けるようになりたいの」
ミケラは
すぐには返事をしなかった。
嬉しくて
余計なことまで言ってしまいそうだった。
「私の手伝いがしたいの?」
「それもあるけど」
キトラは少し考えた。
「私に話して帰れる人がいても
いいんじゃないかと思って」
「そうね」
ミケラは頷いた。
「それは、いいと思う」
調べておいたことが
ようやく少し、役に立った。
*****
ところが
試験は、なかなか通らなかった。
学び、準備し
違う分野からも挑戦した。
何度受けても
どこかで、適性が無いと判断された。
結果を持って帰るたびに
キトラはミケラに話した。
何を訊かれたか。
何と答えたか。
どこまではうまくいった気がしたか。
説明しているうちに
試験会場で隣に座った人の話になり
その人から聞いた話にまで広がった。
「その人とは、ずいぶん話したのね」
「待ち時間が長かったから」
「そう」
「帰りも一緒だったの」
「そうなの」
試験には落ちたが
知り合いは増えていた。
ミケラは
慰めればいいのか
そこを褒めればいいのか
少し迷った。
キトラも笑ってはいたが
何度も続けば、さすがに堪えた。
「向いてないのかしら」
ある時
キトラが言った。
ミケラは
老人ホームで娘を囲んでいた人たちを思い出した。
けれども
あの時、皆に喜ばれたでしょう、と言うだけでは
今日の不合格は変わらない。
「あなたは、どうしたい?」
キトラは
目の前に置いた試験案内を見た。
「もうひとつ、受けたいのがある」
「じゃあ、それを受けてみたら」
「これで最後にするかもしれない」
「それは、終わってから考えてもいいわね」
*****
これが最後だと思って受けたのが
「認知症ケア双方向カウンセラー」の試験だった。
一次試験を突破した。
キトラは通知を何度も読み
ミケラにも見せた。
「面接に来ていいんだって」
「そう書いてあるわね」
「まだ、合格じゃないけど」
「ええ」
「でも、来ていいんだって」
「行ってらっしゃい」
ミケラは笑った。
*****
面接では
相手の話を聞き
受け答えをする時間があった。
キトラは
自分が何を訊かれたか
答え損ねてはいないか
最初のうちは気にしていた。
けれども
目の前の人が話し始めると
そちらの方が気になった。
「それで、どうなったんですか」
キトラが訊いた。
相手が続きを話す。
キトラも
思い出したことを少し話した。
話が戻り
また別のところへ行き
途中で笑った。
気が付くと
終わりの時間になっていた。
「もう終わりですか」
口にしてから
キトラは少し慌てた。
まだ訊きたいことがあったのだ。
面接官のひとりが笑った。
「今日は、ここまでです」
*****
帰って来たキトラは
ミケラに訊かれる前に言った。
「また、喋りすぎたかもしれない」
「そうなの?」
「ちゃんと聞いてもいたのよ」
「ええ」
「でも、面接だったのに
途中から、普通に話しちゃった」
ミケラは娘の話を聞いた。
今回は
いつもよりも結果が気になったが
それを顔に出さないようにした。
キトラは
面接の時に聞いた話の続きを
まだ気にしていた。
*****
結果は、合格だった。
面接では、満場一致だったという。
「満場一致って」
キトラは通知を見ながら言った。
「誰も反対しなかったってこと?」
「そういうことね」
ミケラが答えると
キトラは、もう一度通知を読んだ。
「私でいいんだって」
ミケラは頷いた。
娘が選び
何度も試して
ようやく辿り着いたところだった。
「良かったわね」
そう言うと
キトラは顔を上げた。
「あの面接の話、憶えてる?」
「どの話?」
「途中で終わっちゃった話。
また会えたら、続きを聞いてもいいかしら」
ミケラは笑った。
「まずは、ご挨拶してからね」
「それは、するわよ」
いつもどおりの
お喋りキトラだった。




