『待つ』
「ママ」
レリが
紛れもなく
伊月レオナだと思った顔。
懐かしいその顔は
ふたつに分かれ
レリの枕元に駆け寄る。
「ママ」
レリは、ほんの何秒かの間に
同じ顔を滑らせて
二枚に分けたスライドを見るように
その顔と顔を見た。
「レオナ?
……レオナ」
「ハルもいるよ」
「ハル」
近寄ったふたつの顔は
一枚に重なることはなかったが
レリの頭の中には
子供の顔のレオナではなく
あの頃のレオナの顔が
残像のように残った。
目覚め際の夢だったかもしれないのに
本当にここに居るようだったと
レリは思った。
そばに駆け寄った子供たちの
ふたつの顔は、どちらも伊月によく似ている。
ふたりともが
レリと伊月レオナの遺伝子を持った子なのだ。
その顔を見るたびに
レリは、紛れもなくそうなのだと感じた。
*****
江田は、ハルが生まれた時のDNA検査で
自分ではなく
伊月の遺伝子を受け継いでいたことを
僅かに残念に思ったものだった。
だが、今となっては
自分の遺伝子ではなかったことに
安堵していた。
なぜなら
ハルの卵子提供者であるレリが
実は自分の娘であったという事実が
わかったからだ。
研究所側では、調査済みであるにもかかわらず
父親たちの希望を書類上では聞き入れたことにして
避けるべきことは
避けられる時に避けておくことで
危険性を排除していたのかもしれない。
*****
レオナもハルも
母親であるレリに似ている。
レリから見れば
伊月レオナに、どんどん似て来る。
それは倒れる以前から
レリにとって
大きな喜びであった。
けれども
つい今しがたの幻影に
レリは心を奪われ
今も揺さぶられている。
戸籍上の実の息子であるレオナの身体には
間違いなく
伊月レオナが転生して来たはずだ。
そしてレオナは、だんだんと
新しい人生に馴染み
伊月レオナよりも
軋本レオナになっていった。
そうであっても
ここに、あの頃のレオナが
別のボディを持って現れるなど
まかり間違っても、あり得ないはずだ。
レリは
何が夢で、何が現実なのか
わからなくなった。
今ここにいる自分も
一瞬で
どこかへ連れ去られそうな気がして
駆け寄って来た子供たちに
手を伸ばそうと身体を動かした。
誰かが背中を支え
子供たちの方を向きやすくしてくれて
後からそっと
ベッドの背を起こしてくれた。
看護師のアンドレアだった。
レオナとハルは
レリの首根っこや上半身に腕をかけて
離れようとしない。
『そんなに母親らしくも
してやれてなかったのにな』
レリは自分で思いながらも
子供たちの振る舞いのひとつひとつが
愛おしくて堪らなかった。
*****
シカリと江田も
レリの足元の壁際から立ち上がって
そばに寄った。
レリの母であるシカリは
娘の頼りなげな状態を見ると
来るのが早かったかもしれないと感じた。
まだ、刺激してはいけないような気がした。
「お婆たちも少しあとで来るけど
来ても眠ってていいからね。
どうせ何度もくるだろうから」
シカリがそう言い終わらないうちに
レリの瞼が閉じて
気を失ったかのように
眠りに落ちて行った。
アンドレアが
レリのベッドを平らに戻しながら
シカリたちに言った。
「お疲れになったようなので
また明日、調子が良さそうであれば
ご連絡差し上げます」
「よろしくお願いします」
シカリと江田は答えた。
子供たちふたりは
レリを起こさないよう
そーっと腕を外して
シカリと江田と一緒に
病室を出て行った。
何秒も経たないうちに
廊下で賑やかな声がした。
エラ婆かミケラ婆が来たのかもしれないが
やがて静かになった。
*****
レリは夢の中に居た。
伊月と試合を見て
選手を見て
データをチェックして
話し合って、考察して
報告書を出している夢だ。
あの頃の
六十六件の報告書のうち
六十件以上は
伊月レオナとふたりだったから
仕上げることが出来た。
報告書は完璧に出来た。
出来たことは出来たのだが。
具体的なルールの変更として
盛り込む一文を
制定するまでには至らなかった。
研究が打ち切りになったからだ。
報告書に不備があったわけではないし
資料の数が足りなかったわけでもない。
ルール変更の権限を持った本部は
六十試合以上のデータ分析が積み上がれば
何かは変革をせねばならないだろうと
その報告を待ち望んでいてくれたはずだった。
そして
他の誰よりも
レリの曾祖母のミケラ婆が
熱心に働きかけてくれもした。
元々、この問題に取り組もうと
働きかけたのは彼女だったからだ。
*****
では、なにが悪かったのか。
悪かったでは語弊があれば
なにが邪魔したのか。
調査報告者であるレリ自身に
予知能力があったことを
どう考えれば良いのか。
それを無関係だと言い切って
或いは、それを後回しにして
ルール変更に突入出来るほど
体育会系組織と
レリのコミュニティとの関係が
成熟していなかった。
簡単に言うと
ただ、それだけのことだ。
そんなことは初めから
わかっていたはずだ。
もっと探りを入れれば
根深く複雑な理由が
見つかったかもしれないが。
どこかのなにかには向かって行ってたのに
どこかもなにかも消えた。
レリは疲れ切った。
伊月も
そんなレリを見ていて
やるせなかった。
ふたりで歩いて来れたのに
その先の道が断たれて
これからふたりで歩く理由を
ふたりで見つけるには
どう向いて歩けばいいのか
レリには、わからなくなった。
伊月レオナは
レリが顔を上げて歩き出すのを
じっと待った。
レリが自分を待ってくれたことを
知っているから。
自分もレリを待とうと思った。




