『エニイちゃん』
甥っ子が話したいことがあると言うので
約束の時間に合わせて
炭焼き珈琲を淹れて待っていた。
「エニイちゃん」
甥っ子はノックもせずにドアを開け
駆け込んできた。
「あら、そんなに慌てなくても
遅刻じゃないわよ」
雁木エニシは
久しぶりに会いに来て
話したいことがあると言う甥っ子のために
時間をとった。
十歳離れた姉の息子は
姉夫婦の一人息子で
エニシが学生の頃から
弟のように可愛がっていた。
昔は何かにつけ相談を受けていたのだが
甥っ子は仕事を持つようになってから
さすがに頻繁には会いに来てはいなかった。
それでも、入ってくる時の勢いは
あまり変わっていない。
「お座りなさいよ、いま珈琲淹れるところよ」
甥っ子はカウンターの内側に入ってきて
キャビネットのあちこちを開けた。
「何を探してるの?」
「入れ物」
「何を入れるの?」
返事の代わりに
大きな紙袋を少し持ち上げて見せた。
隅の列の下の段から
一番大きな鉢を取り出して
抱えてテーブルに置いたかと思うと
買ってきた包みの中身を全部入れようとした。
「あら、それは灰器なのに……もういいわ」
エニシが言い終わるまでには
大鉢の中にパンの小山が出来ていた。
使っていない、きれいなものではある。
ただ、こんなにクロワッサンを
盛られたことはなかっただろう。
*****
プレスサーバーを片手に持って
会津塗の小盆にカフェオレボルを載せ
エニシがテーブルに運んでくるまでに
先にベンチに腰掛けた甥っ子は
端末を片手に
クロワッサンを食べ始めていた。
二個目に手が伸びる寸前で
咽せながら口を開いた。
「今日は仕事がうまくいかない話じゃないから
心配しなくていいよ」
エニシは珈琲を注ぐ手を止めた。
甥っ子が落ち着くまで待って
ボルを手元に置いてやった。
「そんなにパン買って来て
全部食べそうな勢いじゃないの
なにか良いことでもあったの?」
笑いながら
自分の分にもコーヒーを注ぐ。
「仕事は増えたけど、いや違うな
増やしちゃったんだけど、面白くなってきた」
「それは良かったじゃないの。
この前まで少し持て余した感じで
つまんなそうだったから、嬉しいわね」
「ああ、それに凄く学べることが多くて
やり甲斐もあるし」
「あるし?そのあとは?」
「え?」
「あるし、のあとはなあに?」
「ああ……いい仕事仲間が出来た」
「あら、それはまた良かったわね!
仕事で本当に気の合う仲間に出会えるってことは
あなたが仕事を間違えてない証拠だわ」
「僕もそう思う。仕事続けてよかった」
甥っ子は
ようやく端末をテーブルに置いた。
画面を下にして。
エニシはそれを見て
自分もベンチに腰を下ろした。
今日は、画面の中にあるものを
見せに来たのではないらしい。
*****
「どんなふうに面白くなったの?」
エニシが訊いた。
甥っ子はボルを両手で持った。
「今まで見てたものを
もう一度見るようになった」
「同じものを?」
「そう。同じ記録でも
その人と見てると
自分が見てなかったところが出てくる」
「見落としてたの?」
「見落としとも、少し違うかな。
そこにあるのは知ってたけど
何とも思ってなかったこととか」
エニシは頷いた。
「それで、前の記録まで見直してるから
仕事が増えた」
「自分で増やしちゃったのね」
「うん。でも、前より疲れないんだ」
そう言ってから
甥っ子は少し考えた。
「いや、疲れるけど」
「疲れるんじゃないの」
「疲れるけど、次もやりたい」
「それなら、よく眠らないとね」
「寝てるよ」
「ご飯もね」
甥っ子は
灰器に盛られたパンを見た。
「食べてるよ」
「それは、見ればわかるわ」
二人で笑った。
エニシは
小山のこちら側から
小さめのパンをひとつ取った。
「これ、私も食べていいのよね?」
「もちろん。エニイちゃんに買って来たんだから」
「あら、そうだったの」
甥っ子は
自分が食べた分を数えるように
鉢の中を見た。
まだ、充分あった。
安心して
三個目だか四個目だかを掴んだ。
*****
珈琲の香りが
テーブルの上に落ち着いていた。
甥っ子はパンをちぎりながら
仕事の話を続けた。
この前までなら
説明するのが面倒だと言っていたようなことを
今日は、ひとつひとつ話した。
エニシには
細かなところまではわからない。
けれど
どこから話そうかと考える顔や
途中で思い出して笑う顔を見るのは
楽しかった。
「その人は、あなたの話がよくわかるのね」
「わからない時は、わからないって言うよ」
「いいわね」
「うん。それで訊かれると
僕も、わかってたつもりだったんだなって
気づくことがある」
甥っ子は
ちぎったパンを持ったまま
少し黙った。
エニシは珈琲を飲んだ。
「……うまく説明出来ないんだけど」
「うん」
「考えてる途中で話してもいいんだ」
エニシはボルを置いた。
「その人には?」
「そう。話しながら変わっても
さっきと言ってることが違うって
そこで止められない」
「一緒に考えてくれるのね」
「うん」
甥っ子は頷いた。
「それ。それなんだと思う」
ようやくパンを口に入れた。
エニシは
今の返事を聞いてから
次のことを訊こうと思った。
口いっぱいの時に訊けば
この子はまた
そのまま答えようとする。
*****
「本当に嬉しそうね、他にもなにかあるの?」
エニシは甥っ子の顔を下から覗き込む。
「え?」
「白状したら?」
エニシはイタズラっぽく
でも暖かい目で
甥っ子の言葉の続きを待った。
甥っ子は
テーブルに置いた端末へ手を伸ばしかけた。
だが、触らなかった。
自分の口で話そうとしているのが
エニシにはわかった。
「実はね、ある人を見つけたんだ」
「あら!やっぱりステキな話が後から出てくる」
甥っ子の話のクセをよく知るエニシは
楽しげに聞き出そうとしていた。
「その人を見つけたのが先で
仕事はその人にくっ付いて来た」
「あら、仕事のついでじゃなくて
仕事の方がついでなんだ」
エニシが茶化す。
甥っ子は笑った。
否定しようとして
しなかった。
エニシは
その顔を見ていた。
小さい頃にも
何か大切なものを見つけると
こうして持って来た。
石だったこともある。
どこが特別なのかわからない石でも
本人が話し終える頃には
ほかの石と取り違えようのないものになっていた。
今日は
誰かの話を持って来たのだ。
エニシは、急かさずに待った。
甥っ子が言った。
「居ないと思ってた。
エニイちゃんみたいな子がいたんだ」




