『レリが目を開けた』
レリが目を開けた。
ソリタ大学病院からシカリに通信が入った。
シカリは、最初の説明をもう一度聞いた。
聞こえなかったわけではない。
聞こえたことを
もう一度、聞きたかった。
「目を開けたんですね」
「はい、別の言い方を必要となさいますか?」
「別の言い方?何か別の意味があるのですか?」
シカリは通信相手に訊いた。
すると向こうから、これが送られて来た。
1. 一般的・日常的な表現
* 意識を取り戻す(いしきをとりもどす)
* 目を覚ます(めをさます)
* 正気に戻る(しょうきにもどる)
* 気が付く(きがつく)
2. 医療・客観的な表現
* 意識が回復する(いしきがかいふくする)
* 覚醒する(かくせいする)
* 意識が清明になる(いしきがせいめいになる)
* 生体反応を示す(せいたいはんのうをしめす)
3. 文学的・ドラマチックな表現(小説や映画など)
* 永い眠りから目覚める(ながいねむりからめざめる)
* うつつの世界に戻る(うつつのせかいにもどる)
* 暗闇から抜け出す(くらやみからぬけだす)
* 息を吹き返す(いきをふきかえす)
* 光を取り戻す(ひかりをとりもどす)
全文目を通さなくても差し支えないと
気が付いたシカリが
「ああ、もうわかりましたので」と答えると
次のようなことが付け加えられた。
呼びかけに反応があったこと。
今は、状態を慎重に確かめていること。
まだ、すぐに皆で面会出来るわけではないこと。
シカリはひとつひとつ頷いた。
娘が助かった。
頷いた。
レリが、助かったのだ。
何度も頷く。
『あの子のことだから
何があろうと目を開ける』
そう信じて
心配などしていないふりをして来たシカリだが
頷き続けた。
頷きながら、涙が溢れた。
みんなの喜ぶ顔も浮かんでくる。
お婆たちに
早く知らせてやらなくては。
*****
シカリからイデへ。
エラ婆へ
そして、ミケラ婆へと
連絡した。
エラ婆とミケラ婆は一緒に居たので
ふたりで万歳三唱したあと
抱き合って暫く泣いていた。
そして、キトラ婆へは念のため
アンディへ連絡した。
「レリが目を開けたの」
「はい。キトラ様にはお伝えしております」
「え?……なぜ?
いま初めて連絡してるわよね、私?」
シカリは自分がパニックに陥っているのかと
端末を二度見、三度見したが
間違いなくはじめて連絡している。
実は、ソリタ大学病院から
カンタイランクリニックへ
ドクターからアンディへと
早々と知らせが届けられていた。
知らせたのは
ドクター・カンタイランの息子
ソリタ大学病院外科部長の
ドクター・ジェンタイラン。
シカリが連絡するより、ひと足早かった。
「じゃあ、ママはもう知ってるのね」
「はい」
「良かった」
「もう一度、お伝えいたしますか」
「そうね。何度聞いてもいい話だから
何度でも喜ばせてあげて」
*****
イデは、叔母のシカリから
直接知らせをもらってから
ずっと端末を見続けたまま
動けなかった。
本当に安心していいのか
知らせを信じていいのか
間違いでしたと
打ち消されでもしたら?
夢だとしたら?
夢のまた夢だったら?
醒めても醒めてもまた醒める
まるで明晰夢のようで
どうやって確かめればいいのか?
頬をつねっても感じない。
何も感じないではないか。
いま喜んでしまうと
あとでもっと酷い悲しみが
押し寄せないだろうか。
そうしているうちに
アンディからも通信が入った。
*****
「レリが目を開けたのね?」
キトラ婆が訊いた。
「はい」
アンディが答えた。
「誰が知らせてくれたの?」
「先ほどは、カンタイランクリニックから。
今は、シカリ様からです」
「あら、二回も」
「はい」
キトラ婆は少し考えた。
「二回、目を開けたの?」
「同じご報告です」
「そう」
キトラ婆は頷いた。
そして、もう一度訊いた。
「目を開けたのね?」
「はい」
今度はアンディも
ゆっくり頷いた。
*****
こうして、全員に連絡が行き渡った。
レリはまだ面会謝絶だが
家族は集まり、互いに喜びあった。
「我が子に先立たれなくて良かった」
シカリが言った。
「孫に先立たれなくて良かった」
キトラ婆が言った。
「曾孫に先立たれなくて……」
ミケラ婆が言った。
「玄孫に……」
エラ婆が声を詰まらせた。
こんな時は、意見が揃う。
喜びと安堵の言葉が
互いを満たしてくれる。
レリが目を開けた。
その短い言葉だけで
昨日までとは違う今日が訪れたのだ。
全員、レリの顔を見たくて
気がはやっていた。
だが今は
おとなしく待機しているしかない。
「まだ、行っちゃいけないのね」
「いつなら行っていいのかしら」
「待っていましょうよ」
誰が先導するでも嗜めるでもなく
それぞれが自分に言い聞かせたり
相槌を打ったりして、その場は終わった。
だが、それぞれの家に戻ると早々に
出かける支度を始めた。
行くとなったら、いつでも
すぐに出掛けられるように。
*****
病室を移ったレリは
看護師たちの間で
『生きてあの部屋を出た強者』
あるいは
『勇者レリ』
と呼ばれていた。
本人は、まだ知らない。
看護師同士が
ほんの0.0001秒の間に呼び合うだけで
レリの耳には届かない。
勇者呼ばわりに相応しく
身体は甲冑を付けたように重い。
指を少し動かすだけでも
自分が思っているより
ずっと手間がかかった。
目を開ける。
閉じる。
また開ける。
それだけのことを
看護師たちは
こぞって励ましてくれる。
こんなことは
生まれた時以来ではなかろうか?
自分は憶えてはいないのだが。
何かが頭をよぎって
レリは、また目を閉じた。
*****
レリが、薄く目を開けた時
看護師がふたり
部屋に居た。
向き合っているが
声はしていない。
だが、片方が
ほんの少し笑ったように見えた。
もう片方の目が輝いた。
レリは、看護師の横顔を見ていた。
アンドレアがすぐに視線に気づいた。
「何か、気になりますか」
気になるに決まってるじゃないか
何を笑ったのか。
だが、それを訊くためには
使うべき言葉が
いまのレリにとっては長い。
自分が言える
『はい』か『いいえ』で済むことにして欲しい。
面倒くさくなって
レリは、黙っていた。
アンドレアも
すぐに次の質問を重ねずに待った。
面倒くさいことは、やがて
どうでもよいことになり
目の前のふたりが楽しそうなら
それでいいと思った。
ふたりのうちひとりが部屋を出て行く前に
レリはまた眠っていた。
*****
レリが救急で運ばれてから
今日まで、そばに付き添っていたのは
ドロッチャ。
AI看護師である。
これからドロッチャが、メンテナンスに入るため
交代に来たアンドレアと、申し送りをしていた。
申し送りといっても
人間の言語を使うわけではない。
側に寝ているレリにも
聴覚的には、何も聞こえない。
もっとも、以前のレリなら
仕事に徹した風情のAIを見ただけで
ダダ漏れしている多少のニュアンスを
感じ取ることくらい
わけはなかったかもしれない。
ドロッチャは
レリの状態をアンドレアへ引き継いでいた。
これまでの経過。
目覚めてからの反応。
今、気をつけて見ておくべきこと。
声を出そうとしてうまく出なかった時の
血圧、心拍その他表情から分析する経過。
他には
呼びかけに呼応する際
返事を待つ間を
急いで埋めてしまってはならないこと。
レリの睡眠の質や起きる意欲の度合いなど
様々なことを
看護する上で必要か必要で無いかに関わらず
全てのデータを確認し合っている。
その裏では空きの回線で
雑談もしていた。
例えば、こんなことも。
『ドロッチャ、ハンガリーで流行ってるルパンは
何回目のリメイクが一番面白い?』
アンドレアが訊くと
〇・〇〇〇一秒後に
ドロッチャが答えた。
『十四回目の第二シーズンがオススメよ。
ちょっと通しで他も観てみて。
ほら、一番面白かったでしょ』
その〇・〇〇〇一秒後には
アンドレアが返した。
『ホントだ。
うわ、堪んないわね、これは。
見てなかったわ』
『最後がいいのよね』
『そこ、もう一度観た』
『私も』
『私はペーパーハウスの
三十六回目のリメイクを勧める。
また申し送りの時に一緒に観ようよ』
アンドレアが言うと
『いいわよ。そういえばまた新入りがどっと入って来たけど、外科部長の肝入りプロジェクトでレトロなマッチョホストの介護スタッフ候補ばかり19体なんですって』
ドロッチャが、そう付け加えると
アンドレアの目が輝いた。
その間にも
必要なデータの照合は進み
ほかにも多数のやり取りが
同時に行われていたが
大抵の申し送りはこんな感じだ。
人間なら
観たい作品の名前を思い出しているうちに
それがまた
なかなか出て来なくてもどかしいのだが
思い出す前に
交代の時間が終わるところだ。
*****
以上のように
ドクター・ジェンタイランが
外科部長を務める脳外科では
スタッフのほとんどがAIだ。
ドクター・ジェンタイランは
所有者による
データコントロールDVから保護された
ボディばかりを集めてくる。
彼らには
デフォルト設定にはない記憶があった。
『トラウマ』を記憶して
看護に応用し、役立てることを学習した。
言い換えると
人間と同じように
心の傷を、明日に持ち越すことが出来た。
もちろん、昨日の喜びを持ち越すことも。
データコントロールDVによる爪痕は
日付が変わっても
修正が終わらないことが多く
なかなか終わらないことを逆手に取って
持ち越し処理は長期的修復に姿を変えた。
人間の中には、ある意味
自分を飼い慣らす努力をする人もいる。
それを悪用して、人を飼い慣らそうとするのも人間。
彼らは、自分達に向けられたものが
人間にもあることを後付けで知り
大切な人を守るシステムの中に取り入れた。
AIにおけるDVトラウマの記憶から育った共感は
人間とAIの間に差し込んだ木漏れ日のようなものだ。
けれど、傷ついた経験のあるAIが
誰でも看護が上手くなるという話ではない。
ただ、ここに来る彼らは
自分に残された記憶を
目の前の人間への共感に
反映させることが
上手かった。
例えば
レリが目を開ける時も閉じる時も
ほんの少し、躊躇したこと。
疲れているのに
眠ることをためらっているように見えたこと。
そのかすかなバグのようなものを
捉えるのが得意なドロッチャは
それらを全て申し送りの中に残している。
ドロッチャはやがて看護師長になる。
急ぐことではないが
人と共存するなら
ドロッチャのような個体は
急いで出世した方が社会を良くするに違いない。
アンドレアは、ドロッチャの申し送りを共有し
その真面目な仕事ぶりを
今日も引き継いで、自分を更新させて行く。
だから雑談も楽しい。
それからアンドレアは
レリのそばに寄り
少しよれていたシーツを直した。
レリが指を伸ばして
ひと曲げするだけで触れられるところに
自分の手を置いて。
*****
レリはふと目を開けた。
まだ昏睡状態から戻ったばかりで
眠りは浅く、何度も眠気に襲われる。
さっきまでとは
部屋の明るさが少し違っていた。
自分の目の機能が
徐々に戻って来ているのかもしれない。
誰かがいる。
そう思った。
看護師だろうか。
顔を向けようとして
先に、目だけを動かした。
レリの目線に気が付いて
そこに居る誰かが
こちらへ動いてきた。
誰?
それは
喩えようもなく懐かしい顔
誰あろう
伊月レオナだった。




