レリの生還『行かなかった先』
レリは
心停止した時に
次に転生するところが
確かに見えたはずだった。
決まっていたのに行かなかった。
おまけに
たくさん連れて生還してしまうことに。
それでは決まっていた先は
果たしてどうなってるのか?
*****
まだ、守護霊たちと出くわす前のこと
レリは、自分が行くはずだったところを
見ていた。
それは軋本家でもない。
伊月家でもない。
ハッキリとレリにはみえた。
心停止した時には覚悟した。
全てを忘れることが出来るなら
そこで別の人物に生まれ変われる。
だが忘れることが出来るだろうか?
軋本家のみんなを。
我が子を。
愛した、愛する人々を。
行ってはならない。
レリがレリの記憶を抱えたまま
そこへ生まれて
悔やみたくない。
忘れたくない。
だが
すべて忘れてしまえたら?
忘れて生きていけるなら?
思い出してしまったら?
レリは地上を見下ろした。
立ち込めていた雲が
引き潮のように引いて
代わりにまた新たな海面が現れる。
行くべき先へ導く渦が
轟音を立てて渦巻いている。
そのまま雲の間に飛び込めば
間違いなくそこへ生まれるのだ。
『まるでへその緒みたいだな』
エラ婆の家にあったお茶道具の中に
蓮の葉を模した菓子鉢があったが
胎盤はあの菓子鉢にそっくりだったな。
レオナを産んだ時
自分の胎盤を見せてもらった。
あれは自分の胎盤っていうのかな?
レオナの胎盤って言うのかな?
レオナ
レオナに会いたい。
抱きしめたい。
抱かれたい。
*****
目が開いた。
天井があった。
眩しい、と思って
少し目を閉じた。
閉じると、さっきの渦が
また見えそうな気がした。
もう一度、開けた。
天井は、まだそこにあった。
音がする。
機械の音。
何かを置く音。
廊下を行き来する足音。
どれも、自分が聞こうとしなくても
聞こえてくる音だった。
レリは、息を吸った。
胸が動いた。
身体がある。
ひどく重い。
こんなに重かっただろうか。
指を動かそうとした。
ほんの少し、動いた。
思ったよりも小さな動きだったので
もう一度、動かしてみた。
やはり、ほんの少しだった。
それでも、自分の指だった。
帰ってきた。
*****
「レリさん」
声の方へ、目を動かした。
顔があった。
誰だろう。
思い出せる中に居る顔ではない。
相手が、もう一度名前を呼んだ。
レリは返事をしようとした。
声にならなかった。
「聞こえていますか」
聞こえている。
さっきから、よく聞こえている。
返事が出来ないだけなのだ。
レリは、目を動かした。
相手の表情が変わった。
そこから、部屋に出入りする人が増えた。
誰かが何かを確かめ
誰かが誰かに知らせている。
自分のことが
自分の頭の上で話されていた。
聞きたいことはあった。
今、いつなのか。
どれくらい、ここにいたのか。
家のみんなは。
子供たちは。
そして
ツイてきた人たちは。
レリは、視線だけで
部屋の中を見ようとした。
見える範囲には、いなかった。
これで全員いたら
ずいぶん困るところではあった。
ベッドの周りだけでも
もう充分、人がいる。
バタバタと入れ替わり立ち替わり。
「何か、気になりますか」
気になることは、たくさんあった。
ただ、そのたくさんの気になることが
ひとつとして
目や指で伝えられるものではなかった。
*****
少し落ち着いてから
レリは、ようやく小さく声を出した。
「……ここ」
レリは、目だけを扉の方へ向けた。
廊下の音、隣の音、大きな声、小さな声
軋本家の話し声とは違う。
そばにいた人が、顔を寄せた。
「病院ですよ」
わかってますよ
そう言いたかったが
そんな長い言葉が続かない。
わかってますよ。
ナースステーションの、すぐ隣だとも。
レリは、天井に目を戻した。
ふっと、嬉しさのようなものが
それが嬉しさだと、まだよく分からないうちに
込み上げて来て
笑おうとしたが
思ったほど顔が動かなかった。
「どうしました?」
「……起きる」
相手は、頷いた。
でも起こさせてくれない。
それは、そうだろう。
目が開いたからと言って
すぐに身体を起こさせていいわけは
ないのだろう。
目覚めたら起きる。
起きたらやることがある。
そんなことをまた出来るようになるには
いま、おとなしくしていなければならない
それだけはわかった。
*****
家族には、知らせてもらえたらしい。
レリは、ようやく肩の力を抜こうとしたが
抜けるほどには、力は入っていなかった。
身体は、まだ重い。
レオナ。
上に居る時も何度も呼んだ。
腕に抱いた重み。
泣き声で滲み出た初乳の飲みっぷり。
伝い歩きしてしがみついた時の見上げる目。
少し離れたところから呼ぶ声。
真っ直ぐに投げ出してくるふくれっ面。
その顔に
もうひとつの顔が重なる。
試合の記録を見ている顔。
言葉を探している間
黙って待っている顔。
頬に手を触れた時の顔。
レリは、目を閉じた。
今度は、渦は現れなかった。
渦を見た時
飛び込まなかった。
行ってはいけない。
うちへ帰らなければと思った。
行かなかった先のことも
決して忘れてはいない。
*****
あの渦に飛び込んでいたら
ここに帰れてはいない。
今頃はあそこで
全身全霊で
ただただ泣いているはずだ。
あそこの人達に見守られて。
自分が行かなくても
あそこには違う誰かが行くはずだ。
行かないと決めた。
決めたら
いつの間にか歩いていたのだ
あそこで守護霊たちに会った。
守護霊たちの頼み事を聞いて
帰り方の話をして
勝手に出ないでと約束させて。
いいよと言ったら、目が開いた。
レリは、息をついた。
約束したから
みんな無事にツイて来れたのか?
あんなに大勢いたのだから
誰か一人くらい
顔を見せないか?
『ねえ』
声には出さなかった。
慌てて訂正
みんな出て来たら困る。
代表者の名前くらい聞いとけばよかった。
伊月さんと呼んでも
軋本さんと呼んでも
みんな返事するじゃない。
みんな親戚だもの。
田舎の集落みたいなものだな。
みんなあそこで
誰か来るのを待っていたのか。
自分が来るまで誰も来なかったのか。
軋本家は特に長生きだからな。
レオナはレオナで
あそこでみんなに会う前に
渦に飛び込んで
ここへ来たのか。
すごく賑やかだった。
『らしい』人達ばかりだった。
本当にツイて来てるのか?
振り落として来たつもりはないし。
静かだ。
今は、機械の音がしていた。
『出てこなくていいからね』
先に、それだけ付け足した。
こんなところで噴射されては
目を覚ましたことより
そちらの説明が大変になる。
そう思っただけで、急に疲れた。
「少し、休みましょうね」
そばで声がした。
レリは頷こうとして
代わりに、目を閉じた。
眠る。
また、眠るのか。
ほんの少し、怖くなったけれど
眠った。
*****
次に目を開けても
同じ天井だった。
少し、安心した。
手の中にある布の感触を
指先で確かめた。
握るほどの力は、まだない。
それでも
さっきより、よく分かった。
ちゃんと帰ってきたのだ。
今度こそ
そのことが、身体にも伝わった気がした。
レリは、ゆっくり息を吐いた。
家のみんなに、会いたい。
子供たちに、会いたい。
話したいことも
訊きたいことも、たくさんある。
まずは
この部屋を出たい。
あとで聞いたのだが
この部屋
『今まで誰一人として
生きてここを出た人は居ない』
病院の設立以来
そう言われていた部屋だった。
鬼籍の軌跡の奇跡だ。
こんな時にも駄洒落ている。




