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イデ、キトラ婆を食事に誘う『なにが聞こえても』

レリと話したい。

話を聞いて欲しい。


イデは、先週だけでも何度そう思ったか知れない。


「今度会う時話すこと」は溜まって行くばかりで

レリのことだから、独り言さえも聞きつけて

側で相槌を打ってくれてるんじゃないかと

イデには思えてしまう。


旦那が義母に似てきた話のつづきを

ICUで眠っているレリの耳元で話せば

堪らず吹き出して、目を覚ますのではないかとも

思ったりするのだが

またその話かと、狸寝入りされても困る。



このままでは、自分が旦那にも義母にも

独り言を聞かせてしまいそうだった。


イデはキトラ婆を食事に誘った。


場所は、いつものGold Gourd。


キトラ婆なら

何を話しても忘れてくれるから

話してしまって軽くなりたいと

思ったからだ。



*****



「お待たせね、イデが誘ってくれたの?

それとも私が誘ったっけ?」


カンを旦那に見させて

早めに着いていたイデだった。


「どっちでも。

会えて嬉しいわ、キトラ婆」


「あたしもよ」


後ろからアンディが入って来た。


「今日も一緒なのね、ご苦労さま」


「苦労はしておりません

苦労話を聞かせていただいてます」


「誰が聞かせてるの?」

イデが笑う。


「お客様からお聞きしております。

時々はキトラ様も」


「守秘義務があるから大変ね。

取捨選択ご苦労さま」


アンディがキトラ婆に

どこへでも付き添うようになってからというもの

なぜかアンディを労ってしまう習慣だ。


「もう店を仕切ってもらっていいのに

どこでも着いてくるのよ」


「どこへでもご一緒するのですよ。

記録も大事です。キトラ様も」

アンディが返す。


「今日はたくさんお喋りしたいから

アンディは耳を塞いでてもらわないと」

イデは悪戯っぽく笑った。


「あたしはイデに話そうと思ってたことを

すぐ忘れるから記録してあるの。

アンディに頭出ししてもらわないと」

キトラ婆も悪戯っぽく笑った。


*****


キトラ婆は食が細くなっていたので軽く


食事よりお喋りを優先したかったイデも軽く


ふたりともランチを頼んだ。


キトラ婆は女子会が嬉しい。


さすがの軋本家もレリの目が覚めるまでは

全員揃っての食事会を自粛しているので。


ふたりともデザートは軽くの許容範囲で

しっかり頼んでおいた。



「うちの旦那ね、最近ますます義母に似てきたの」


「実の親子なら仕方ないわね」


「気持ち悪いくらい似てるのよ」


「男の子は母親に似るもんだから」


「そうそう、でも、ほら、今、女になってるから

余計に似てるの」


「あら、そうだったわね、色々助かるでしょう」


「そうなんだけど。嫌味な口癖まで似てるから」


「例えば?」

キトラ婆が箸を置く。


イデも箸を置き

少し首を傾けて、口元を緩めた。


「それで、あなたはどうしたいの?」



「それ似てるの?」キトラ婆が訊くと

アンディが頷いて小さく拍手をする。


「アンディ、ありがとう。

こっちが試されてる気分になるところまで

激似なの」

と、イデ。


「それで、あなたはどうしたいの?」

キトラ婆がイデの真似をすると

ふたりして吹き出した。


「記録しますか?」

とアンディが尋ねる。


「しないで」


「承知しました」


「今の少し前のところからも記録しないでね」


「承知しました」


「ただし、キトラ婆のために必要なことは

憶えて帰って」


「承知しました」



「取捨選択が大変ねー」

イデはまた悪戯っぽく笑った。


*****




取材が来た時の話をしているうちに

キトラ婆が昔のことを思い出した。


「私もね、若い頃に写真を撮られて」


「あら、お店の取材?」


「ええ、自然にしてくださいって言われたの」


「それ、困るわよね」


「だから普通にしていたら

顎を引いて、背筋を伸ばして

顔はこっち、目はそっちって」


「自然、どこへ行ったの」


「最後には息も止めていたわ」


イデは、口に入れたものを出しそうで

慌てて飲み込んだ。


「生きてるところを撮ってほしいわね」


ふたりで笑い合う。




「レリと話したい」


イデがふいに涙声になる。


前にレリと食事をした時に時間が足りず

話しそびれたことも溢れ出すので

泣いたり笑ったり忙しい。


キトラ婆はわかってもわからなくても

ただ頷いていた。



キトラ婆もなにかが頭をよぎった。

「何だったかしら」


「なあに?話してみて」

イデがハンカチで鼻をかんで

キトラ婆の顔を見上げた。



「アンディ、何だったかしら」


「どちらのお話でしょうか」



「どの話だったかの頭出しはどうやるの?」

イデが訊いた。


「わからない時に聴くものがございます」


「それいってみよう!」

イデが言うと

アンディは丁寧に頷いた。


「記録しますか?」


「今日、ここで聞くことになったということだけ

一応記録しといて」


「かしこまりました」


「『かしこまりました』と『承知しました』は

どう使い分けてるの?」

イデがつい口にした。


「どちらのオーダーを優先されますか?」


「前のでいい」



イデもキトラ婆も反っくり返って笑った。

「ああ、楽しい。今日はよく喋るわね、私たち」


その直後

アンディが例の頭出しを選んだ。


キトラ婆自身の声だった。


『何を聞いても狼狽えないでちょうだい』

ふたりともその声にハッとした。


『なにが聞こえても狼狽えずに聴くこと』


笑いがピタッと止まった。



キトラ婆が自分に向けて

強く、二回唱えているようだった。



イデは、グラスを置いた。


キトラ婆は目を伏せて自分の声に耳を澄ました。


何かを思い出しかけている。


思い出しそうで、追いかけると消えることを

切れ切れに記録したような記憶がある。


「あの人が来て、同じ日にあの人も来たわね」


アンディがキトラ婆の方へ少し身を寄せた。


「その件でしたら、このあとに入っております」


「そう?」

「はい」

「それをイデに聞いてもらうつもりでいたのかしら」


「昨日はそう仰ってました」


「それなら一緒に聞くわ」

キトラ婆は顔を上げた。


キトラ婆はイデのお皿を見て

まだ料理が残っているのを確かめると


「聞きながらでも食べられるわね」


「私は大丈夫よ、聞けます」


「ではお聞かせします」



アンディが言うと

キトラ婆自身の声が、切れ切れに流れ始めた。


急に早口になったかと思えば

言葉と言葉の間もなく、次々と続く。




一度言ったことを途中で直し

直した方も最後まで言わず

次のことへ飛んでいたり。


軋本家の一員ばかり四人の名前が

入れ替わり立ち替わり

キトラ婆の口から出る。


どの名前を呼ぶときも

キトラ婆の哀しい

優しい思いが溢れたり滲んだりしていた。



キトラ婆が、ハンカチを握り直し


イデは、黙っていた。





その後に


『――その前に、お湯を止める。

止めた。これは消す』


終わりかと思ったら

そういうのも入っている。



「そこ、消してないの?」


「残しております」


「お湯は?」


「止めておられます」


「それなら残しとくべきね」




*****


息を吸う音。


「レリには絶対に戻ってもらわないと」

イデが呟いた。


「私が要点をおまとめしましょうか?」


「いいえ、充分よ」

イデが言った。


キトラ婆は、目を閉じて頷いた。


目の前の料理へ手を伸ばしかけて

やめた。



キトラ婆ひとりでは抱えきれない

それらを抱えているうちに

思い出しかけては取り落とす、あの発作が

何度も起こるようになった。


一度で話せなくても

切れ切れでも、慌てていても、どうでも

記録した。


あんなに気をつけて

気を遣いすぎて

抱えきれなくて

蓋をしたことが


ずっとあとになって

全部元の鞘に収まっている。


そんなフォローは

キトラ婆だから出来た事かも知れない。



「何の話だっけ?」

キトラ婆がアンディに訊いた。


アンディが答えようとした時

イデがアンディを肘でそっとつついた。



「キトラ婆の恋バナだったわよ」

イデがそう言った。


「あらまたそれなの?やだわ」


「他にあるなら聞こうかしら?」






アンディが続きを再生した。


『今度、シカリが来たら

用事が済んでも、すぐ帰さないこと』


少し、間があった。


『何か食べてもらう。

私がお腹空いたと言えば一緒に食べる』


『レリはアムネジアの鉢植えを抱えてる』



「あ、それ、前にも聞いたことある」

とイデが呟いた。


「あらそう?」


「レリに言ったけど、わけわかんなかった」


「あたしもわからないわ」

キトラ婆も呟いた。


そして

「あら、私ばかり話してない?」


「キトラ婆は話してないわ。

ふたりで記録を聞いただけよ」



「私、あなたの話を聞くつもりだったのに」


「聞いてくれたじゃない」


「あ、旦那さんが……こうね」


キトラ婆は、首を傾けた。


イデも首を傾けた。


ふたりで声を揃えて

「それで、あなたはどうしたいの?」

そして大声で笑い合った。



「今度言われたら、オウム返ししてみるわ」


*****


キトラ婆は

ハンカチを畳み直していた。


「私、また聞くかもしれない」

キトラ婆が言った。


「またここでお食事しながらがいいわ」

イデが言った。


「また誘ってね。今日は私が誘ったかしら?」


「どちらでも」





デザートが運ばれてきた。


キトラ婆が、急に顔を明るくした。


「こちらについても、メモがございます」

アンディが言うと

キトラ婆は顔を上げた。



アンディが頭出しすると

キトラ婆の声が流れた。


『次は、これを二つ頼むこと。

一つでは足りません』


イデは、もう一度メニューを開いた。

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