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『ツイて行く』

留守を守る家族がいれば

帰りを待つ者もいる。


けれど、帰ると聞いて

一緒に出かける支度を始める者たちもいるようで。


レリ、霊界でもなかなか暇にはなれません。

レリがいない。


いつもは得手勝手に動き回っている軋本家の面々も、

こんな時ばかりは一丸となって動く。


レリがまだ目覚めないことに不安を抱えるお婆たちも

彼女たちを心身ともに支える男たちも、一緒に。


まだ幼く、母親の手を必要とする子供達のために

なんとか日々の暮らしを回しながら、

レリのいない毎日に適応しようとしていた。


その頃、レリは霊界を彷徨っていた。


*****


さっきも、ここを通った気がする。


そう思ったが、目印にできそうな物がない。


歩いているつもりなのに、足音もしなかった。


疲れないのはありがたい。

ただ、どれだけ歩いたかも分からない。


レリは立ち止まった。


「誰かいないの」


「おります」


すぐ後ろで返事がした。


振り向くと、一人いた。


その後ろにもいた。


もう少し後ろにも、いた。


「……いつから?」


「お声をかける頃合いを」


「待ってたの?」


「はい」


「私、けっこう歩いたけど」


「なかなか、お立ち止まりにならないので」


呼び止めればよかったのに、とレリは思った。


先頭にいた者が、丁寧に頭を下げた。


「レオナがお世話になっております」


レリは相手の顔を見た。


「レオナ?」


「伊月レオナです。今は、軋本レオナとして」


自分の子の名を

こんなところで聞くとは思わなかった。


レリは、相手の後ろへ目をやった。


こちらを見ている顔が並んでいる。

若い顔も、年老いた顔もあった。


「あなたたちは」


「伊月家を守ってきた者です」


後ろの何人かが、揃わないお辞儀をした。


「そのレオナのことで、お頼みがございます」


「帰れるの、私」


頼み事より先に、それを聞いた。


相手は一度、後ろを振り返った。


何人かが頷いた。


相談が済んでいるようでもあり

今、相談しているようでもあった。


「お帰りいただきたいのです。

伊月家の過去も、この先も、あなたに託して」


「ずいぶん大きい話ね」


「はい」


そこは否定してくれなかった。


「私、うちのことだって

全部ちゃんとはできてないけど」


「存じております」


「知ってるの」


「それでも、お願いしたいのです」


レリは黙った。


レオナの顔が浮かんだ。


家にいる、あの子の顔だった。


こちらにいる者たちは

その顔をどれくらい見てきたのだろう。


「……何をすればいいの」


先頭の者が口を開きかけた時

その脇から若い男が半歩、出てきた。


「あの。私も、ご一緒してよろしいでしょうか」


「一緒?」


「はい。帰られる時に」


近所まで出かける人に声をかけるような

言い方だった。


「あなたも伊月家の?」


「はい」


男は頷いてから、少し困ったように笑った。


「泳いでみたいんです」


「泳ぐ?」


「海で」


それまで黙っていた者たちが、男を見た。


「最後に見た海は

泳ぐところではありませんでしたから」


レリは返事をしなかった。


男は若かった。


家を出る時にも、その顔だったのだろうと思った。


「戦争が終わったら、と思っていたんです」


しばらくして、レリは聞いた。


「泳げるの?」


「それが、分からないんです」


「分からない?」


「習う前でしたので」


後ろから声がした。


「それなら、いきなり海はいけない」


「浅いところからだ」


「準備運動も」


男が振り返った。


「まだ連れて行っていただけるとも

決まっておりません」


皆が黙った。


レリは、少し笑った。


*****


話を聞けば、西暦二〇〇〇年を迎える前に

肉体を失った者が多かった。


戦争で。

病気で。


若いままの顔が、少なくなかった。


ある女は、病床で服に絵を描いていたという。


「着て出かけるつもりだったんです」


「どこへ?」


「どこでも。とにかく、家の外へ」


「私は汽車に乗りたい」


別の者が言った。


「あなた、乗ったでしょう」


「あれは用事で乗ったんです」


「用事があったら、乗ったことにならないのか」


「景色を見ておりませんでしたから」


「汽車はもうどこにも無いぞ」


「空の旅か海の旅もあるし」


「ここも空の上だが」


その隣で、誰かが小さく手を上げた。


レリはそちらを向いた。


「あなたは?」


「もう一度、妻と歩きたい」


誰も口を挟まなかった。


「……そう」


「ただ、妻が私と歩きたいかどうかは」


「先に聞いてきなさいよ」


後ろの方で笑いが起きた。


手を上げた者も笑っていた。


レリは、一人ひとりの顔を見た。


伊月家の過去と未来を託す。


その大きな話の中に、海に入りたい者や

服を着て出かけたい者や、旅したい者がいる。


長いこと待っていたのだ。


待っている間に、諦めきれたわけでもなかったのだ。


「それで、みんな私にツイて来たいの?」


あちこちで頷いた。


「散歩じゃないのよ」


「承知しております」


返事は立派だった。


その後ろでは、もう出かけるつもりの顔をした者が

隣に場所を譲っていた。


*****


「お待ちください」


少し離れたところから、声がした。


そちらにも、人がいた。


レリは目を細めた。


「あなたたちは?」


「軋本家の者です」


「……そっちもいたの」


「初めから」


伊月家の者たちが、静かに場所を詰めた。


軋本家の一人が前へ出た。


「お話は伺っておりました」


「うん」


「そのような方法があるのでしたら、私どもも」


隣の者が、小声で言った。


「その手があったか、と思いまして」


聞こえていた。


レリは両方を見た。


「さっきまで黙ってたのに」


「大切なお話の最中でしたので」


「今も、その最中だけど」


「はい。しかし、出発されてからでは遅いので」


伊月家側から声が上がった。


「こちらが先にお願いしております」


「順番の話をしているのではありません」


「今、その手がナントカって

おっしゃいましたよね」


「小声でしたでしょう」


「聞こえましたから」


レリは額に手を当てた。


死にかけている自分の前で

両家が同行の申し込みをしている。


しかも、少し揉め始めた。


「待って。いっぺんに喋らないで」


口を開けかけていた者たちが、閉じた。


「私はまず、帰りたいの」


全員が頷いた。


「帰ったら、やることがあるの」


また頷いた。


「あなたたちの用事だけやって暮らすわけには

いかないのよ」


何人かが、わずかに目を逸らした。


「今、目を逸らした人」


皆、こちらを向いた。


*****


連れて帰ることと

一度に外へ出すことは違うらしかった。


レリの身体から皆がいっぺんに出るのは

危険だという。


「では、どうするの」


「目的を定めて」


「うん」


「順番に、噴射します」


レリは相手を見た。


「噴射」


「はい」


「私から?」


「はい」


少し黙ってから、レリは聞いた。


「もう少し穏やかな言い方、ないの?」


相手は考えた。


後ろの者も考えた。


言い方を考えても

やることは変わらないらしかった。


「……とにかく、勝手には出ないでね」


皆が頷いた。


「行き先と、何をしたいのか。先に言うこと」


頷いた。


「順番は守ること」


今度は、隣の顔を見た者がいた。


「隣じゃなくて、自分のことよ」


正面を向いた。


レリは、そこにいる顔をもう一度見渡した。


ずいぶん多い。


これほどの人数が、帰る先のある自分を見ていた。


家のことが気になった。


レオナはどうしているだろう。

ハルも。


自分がいなくても、皆、何とかしているのだろう。

何とかしているからといって

このままでいいわけではなかった。


帰って、顔を見たかった。


「両方とも引き受けたら、帰れるのね」


先頭にいた者が頷いた。


今度は、後ろを振り返らなかった。


レリは息をついた。


息をつけるのだな、と、こんな時に思った。


「分かった。じゃあ、一緒に帰ろう」


*****


目が開いた。


天井があった。


音があった。


身体が、ひどく重かった。


レリは指を動かそうとした。


ほんの少し、動いた。


帰ってきた。


そう思ったところで

廊下を行き来する足音が聞こえた。


ナースステーションの、すぐ隣。


そこは、今まで誰一人として

生きてここを出た人は居ない

という部屋だった。

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