シカリと江田『傘立ての中の二十五年』
レリが死にかけた。
幸い、死ななかった。
子供たちが家に居合わせたので
レリの発見は早かった。
二人とも大きなショックを受けたが
母親が助かったと知ると
元気を取り戻した。
数日間、生死を彷徨ったので
退院の目処はまだたっていない。
レオナとハルを
江田五省ひとりに任せておくのも大変なので
しばらくシカリが預かることにした。
子供ふたりとふたり分の荷物と一緒に
江田五省も。
五省は小さなキャリーとショルダー
子供たちの荷物は、その何倍もあった。
「これで全部?」
シカリは訊いた。
「必要があればまた取りに行くよ」
荷物を運び入れて、スペースを作っては入れて
全然収まらないがなんとかキリをつけた。
そうしているうちにキトラ婆が着いた。
子供達が喜んで
「キトラバーバだ!」と手を引いて迎え入れた。
アンディが後ろから顔を出したので
子供達が一層、喜んだ。
認バーに五省が
そして、亡くなった伊月が
それと知らず、代わる代わる相談に訪れて以来
キトラ婆は物忘れ発作が小刻みにやってくるらしく
以前から都合の悪いことを忘れ易い傾向だったが
都合の悪いことばかりでもなくなってきた。
それ以来
キトラ婆にはアンディがずっと付き添っている。
「ひ孫たちはどこ!」
「いま、ママの手を引いてる」
「あら、いたわ!」
キトラは二人を見つけると、頬が緩む。
「ばあーっ!」
「ばあーっ!キトラバーバ!」
子供たちも、もう赤ちゃんじゃないのに
甘え上手だ。
「レリは?」
「まだ病院よ」
「あらそうだったわね」
キトラは五省を見た。
「あら、あなたもいるのね」
「いますよ。これから暫く」
「ずっといて欲しいわよ、シカリが」
「ママ、いいから、お茶にしましょ」
シカリはキッチンへ逃げ込んだ。
「そういえば、昔……」
キトラ婆が、江田五省の顔を見て
何か言いたげで。
「ママ!いいから、お茶よ」
シカリはカップやお皿を
カチャカチャ言わせながら並べて
アンディから受け取ったケーキを取り分けた。
キトラ婆は子供たちと遊び
時々レリの容体をシカリに尋ねては忘れ
また尋ねる。
何度か、あの話の頭出しを思い出しては
江田に話そうとするが、たちどころに忘れる。
キトラ婆が、あのことを思い出したり忘れたりの
大パニックになることはもうないけれど
溌剌とした個性も少し縮小している。
それが少し淋しくもある。
それでもこうして来てくれるし
アンディが見てる限り大丈夫そうだから
それくらいでちょうどいい。
シカリはそう思うことにしていた。
「そうだわ!私ずっとここに居ようかしら」
「ママはお店があるじゃない」
「アンディが店を仕切れるわ」
キトラ婆が言うと、アンディが
「私はあなたに付き添いがあるからダメです」
「どこへ?」
「どこへでもです」
「お店はどうするの?」
「お帰りになるならご一緒します」
「アンディに相談してみようかしら」
「私なら此処におります」
「あら、いたわ」
ずっとこんな調子だ。
五省が笑っていた。
「何がおかしいの」
「いや、何も」
その後、キトラは明日また来ると言って帰った。
翌日は来なかった。
その次の日には来た。
聞けば、歩行器の紛失が今月5台目らしい。
*
孫たちを挟んでではあるが
シカリと五省の暮らしが
二十五年ぶりに始まった。
面倒になるかなと思ったほど面倒でない。
孫たちのことがではない。五省のことがだ。
昔は、何をするにも言い争いが付き物で
噛み付き癖のある女と
噛みつかれることに慣れすぎた男
どちらもポリシーがあるかのような。
はて、あれは何に拘っていたのやら。
シカリがシンクの前に立っていると
五省が夕食の食器を引いてきて
「ああ、ごめん」
「え?なにが?」
「昔はこのタイミングで持って来たら
いつも文句言われてた」
「そう?」
「そうだよ」
「ふーん」
五省がダイニングとキッチンの間を
三回ほど往復したが
シカリには別に文句を言う理由は
見つからなかった。
五省が、昔とさほど変わったとは思えないが
自分が変わったのだろうか?と
不思議な思いだった。
ある夕方、五省が魚を捌いていた。
「あなた、そんなことできたっけ」
「覚えたんだ」
「いつ?」
「伊月と暮らしてた頃」
「ふうん」
手際がいい。
ふた昔も前、一緒にいた頃
何かにつけて五省の気持ちを勘繰っては
ただ不機嫌さを隠しきれずにプイッと背を向けた。
時には余計なひとことふたことも浴びせかけた。
そんなシカリだった。
「五省、包丁の先をこっちに向けないで」
「あ、ごめん!
包丁の先、ニンジンに刺しとくの忘れてた」
包丁の先にニンジン。
シカリはそれを想像した途端
別のものが頭に浮かんできて
そっちに気が行った。
包丁の先にはニンジン
傘の先にはあれが。
「シカリ?」
「......」
「シカリ?」
五省がシカリの顔を覗き込む。
「あ、はいいい?」
「どうかした?」
シカリはハッとしたついでに
かけなくていい逆襲をかけた。
「その魚、いつまで捌いてるのよ」
「もう終わるよ」
「そう」
シカリは冷蔵庫を開けた。
閉めた。
また開けた。
閉めた。
取り出すものは、特にない。
五省がまた魚を捌き始めたので
何気ないふりをして玄関に行ってみる。
玄関のロッカーにはあの傘がしまってある。
傘には石突きがある。
石突きはあれに刺さっている。
ロッカーを開けて
傘を確認した。
「シカバーバ、来てー」
孫たちに呼ばれたので
傘を奥に押し込んで、ロッカーを閉めた。
その夜、みんなが寝静まってから
シカリはトイレに行くふりをして玄関に行った。
傘立ての扉を開けた。
五省の黒い傘がある。
持ち手の革が剥げている。
二十五年前から。
さっき押し込んだ奥からもう一度引っ張り出す。
石突きはシエスタピローに突き刺してある。
長いこと、そのままだった。
ピローを掴んで傘を引き抜いて
床にこぼれたビーズを拾って
穴の開いたピローを握って
自室へ行った。
裁縫箱を開いて、閉じて
縫い付けるより手早く終わらせたくて
接着ワッペンがあったのを思い出し
小引き出しの中から探し出して
穴が塞がるように貼り付けた。
魚のワッペンが可愛らしすぎる気もしたが
だからこそ
二十五年前から貼ってあると
言って、言えなくもない。
傘はロッカーに戻した。
ピローはガムテープでホコリをとり
居間へ持っていった。
誰も起きなかった。
何事もなかった。
シカリは、五省の背中に滑り込んだ。
翌日すぐに五省が見つけた。
ほかでもない、あのピローを。
「これ、僕が使ってた」
シカリは何事もなさげに答えた。
「ああ、それね」
「捨ててなかったんだね」
五省はピローを裏返した。
「ワッペン?」
「穴が開いたの」
五省は指先でワッペンに触れた。
「こんなの置いててくれたなんて」
シカリは何か言おうと思ったが
本当のことを言いそうになる自分を
微笑みで抑え込んだ。
五省が嬉しそうだったからだ。
*****
レリの退院が近づいていた。
病院からの知らせを聞いて
子供たちも
キトラ婆も
アンディも嬉しそうだった。
はじめは収納スペースに落ち着かず
張り出したままだった子供達と五省の荷物も
やっと落ち着いた頃だった。
「あなたと子供達の荷物、足りてる?」
「うん。今のところは」
「そう」
「何かあったら取りに帰るよ」
「そうして」
五省は頷いた。
シカリも頷いた。
しばらくして、五省が聞いた。
「少し大きい部屋をさがそうか?」
少し間をあけて、シカリが言った。
「もう探してあるの」
「やっぱりキミは話が早い」




