『エラ婆の子育て、ミケラ婆の親育て』
エラ婆がマローデイと共に
音楽レーベルを設立して
まだ間もない頃のことだった。
ある日、エラ婆はミケラの机の上に
一冊のノートを見つけた。
何気なく手に取って、表紙を眺める。
「見ちゃダメ、見ちゃダメ。
あたしはそんな母親じゃない!」
ノートを机に戻しかける。
「ああ、見ちゃダメなんだけど」
でも見ている。
中には、ミケラの字でびっしりと書き込みがあった。
メンタルマネジメントやコーチングについての考察。
車椅子バスケットボールの実戦と実践。
武道における心技体の応用。
ところどころに図や矢印が入り
余白にも細かな文字が書き足されている。
「へえ……」
感心しながらページをめくっていたエラ婆の手が
ふと止まった。
そこには、詩のようなものが書かれていた。
⸻
宇宙はとりあえず
多分おそらくきっと
可愛い分子のお願いを
叶えるようにできていて
なんかおもしろい奴はいないかと
あちらの方から探してる
だから出し惜しみしないで
天地を揺るがす大声で
ありったけの願いを
叫ばなきゃだめ
計画見積納品請求書までお付けして
いついつまでにと約束すれば
たかが分子の思いつく
されど渾身のお願いだし
やってごらんとお許しが
頂けるもんだわ
かわりに何を捧げるか?
それは一生懸命だけでいい
もしもひとえに快楽なら
願いは星屑に消え
もしも必要とされるなら
たちまち世界が
智恵を貸す
宇宙はとりあえず
多分おそらくきっと
可愛い子には良い旅を
させたいと思っているようで
なんかおもしろい奴はいないかと
あちらの方から探してる
だから出し惜しみしないで
天地を揺るがす大声で
あたしはここにいるよと
叫んだが勝ちよ
⸻
エラ婆は、もう一度最初から読んだ。
それから、もう一度。
ノートを閉じ、元の場所に戻した。
ところが、どうにも忘れられない。
食事をしていても、仕事をしていても
あの言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
そのうち、勝手に節がつき始めた。
一度ついた節は、もう離れない。
気がつけば曲になっていた。
しかも、頭の中でエンドレスに流れ続ける。
困った。
これは困った。
何しろ、ミケラには何も話せない。
ある日、ミケラの服を縫っていると
つい鼻歌が出た。
ふんふん、ふふん、ふんふんふん。
はっとして顔を上げる。
ミケラは、まだ帰っていない。
よし。
また縫い始める。
ふんふん、ふふん。
歌詞だけは絶対に口にしない。
誰かが帰ってくる気配はないかと
ときどき辺りをキョロキョロ見回しながら
エラ婆はミシンを踏み続けた。
そんなことが何日か続いた。
ある日、エラ婆は作業の手を止め
頭の中でアレンジを考えながら
いつもの鼻歌を歌っていた。
そこへマローデイがやって来た。
「新曲?」
「まあ、そんなとこかな」
「いいじゃない。歌詞はついてるの?」
「え、あ、あるにはあるけど」
「ついてるなら聴かせてよ」
「いや、でもねえ」
「なに?まだ内緒なの?」
「そういうわけじゃないんだけどさ」
マローデイは椅子を引いて腰を下ろした。
すっかり聴く態勢である。
エラ婆はしばらく渋っていたが、とうとう諦めた。
「じゃ、ちょっとだけよ」
軽く喉を鳴らして、歌い始めた。
宇宙はとりあえず。
多分おそらくきっと。
マローデイは黙って聴いている。
エラ婆は少しずつ調子に乗ってきた。
歌声が伸び、言葉が弾む。
ちょうどその頃、ミケラが帰ってきた。
部屋の入り口で車椅子を停め
「おかァ、それ……」
言いかけて、黙った。
エラ婆は気づかない。
マローデイも振り返らない。
ミケラはそのまま、じっと聴いていた。
やがて歌が終わった。
マローデイが何か言おうとしたとき
エラ婆は入り口にいるミケラを見つけた。
「あっ!」
椅子からずり落ちそうになった。
「ミ、ミケラ! いつ帰ったの!」
マローデイが振り返る。
「おかえり」
事情のわからないマローデイは
キョトンとしている。
ミケラは何も言わない。
エラ婆はオロオロした。
「あのね、これはね、その、ちょっと、あの……」
ミケラの目から涙がこぼれた。
「えっ、ちょっと、泣かないでよ!」
エラ婆はますます慌てた。
「ごめん! ごめんってば!」
ミケラは涙を拭った。
それから、母親を見た。
「おかァ、黙って見たらダメやん」
「うん……」
「ダメだけど、ダメだけど、あたし怒ってるけど」
「うん……」
「それ、すごくいい!」
エラ婆は口を開けたまま、ミケラを見つめた。
ミケラが手を伸ばした。
エラ婆も手を伸ばした。
二人は寄り添って泣いた。
何が何だかわからないマローデイは
しばらく二人を見ていた。
やがて、ぽつぽつと事情を聞いた。
そして、全部を知ったマローデイが、一番泣いた。




