エラ婆『最高の冗談、さもなくば根こそぎ沈黙』
エラ婆の宝箱
「昔はシカリくらいの年齢になると
終活なんてものを始めたらしいけどね」
エラ婆は、古い箱の蓋を開けながら言った。
「あたしは三百年生きる予定だから」
「じゃあ、まだ半分だね」
レリが言った。
「そういうこと」
「三百歳になったら片付けるの?」
イデが尋ねた。
「その頃には、
また考えが変わってるかもしれないわ」
部屋には古いレコードや本、骨董品らしいもの
そうでもなさそうなものが
大小の箱に収まっていた。
収まっていないものもあった。
「捨てないの?」
「捨てるにしたって
何が何だか分からないんだもの。
分類するのも面倒になっちゃってね」
「じゃあ、整理してあげるよ」
「ほんと? 助かるわ」
レリとイデはさっそく床に座り込んだ。
十五秒もしないうちに、最初の作業中断が訪れた。
「これ見て、イデ」
「何?」
「レコード。すごいジャケット」
「いいね。飾りたい」
さらに十五秒。
「これ、何だろう」
「フィルムじゃない?」
「マロ爺が撮ったやつかな」
近くにいたマロ爺が振り向いた。
「ああ、それは僕のだね」
「見られる?」
「もうデータにしてあるよ。
フィルムは要らないんだけど
何となく置いてあってね」
「じゃあ、もらっていい?」
「いいけど、何に使うの?」
「コラージュ」
「へえ」
その隣から、手書きの楽譜が何枚も出てきた。
「こっちも?」
「それもスキャンしてあるから、もう要らないよ」
「やった」
レリとイデは顔を見合わせた。
整理するものより
持ち帰るものの方が先に増えていた。
「ちょっと、あんたたち」
エラ婆が言った。
「整理してくれるんじゃなかったの?」
「してるよ」
「ちゃんと見ないと分類できないから」
ふたりは至極もっともらしい顔で答えた。
やがて、古い紙ものが次々に出てきた。
許状。社中の名簿。達筆すぎて読めない手紙。
何やら細かいことを書き込んだ帳面。
「これ、何の許状?」
「母方の古いものね。母や、そのまた母たちの」
「こっちは?」
「奥伝のメモかもしれないわね」
「そんなもの、ここにあっていいの?」
「知らないわよ。あたしが見ても分からないけど
あたしには棄てられないから置いてるだけ。
あんたたちの好きにおし」
「はーい」
返事だけはよかった。
ふたりはますます嬉々として箱を漁った。
「イデ、これ」
レリが取り出したのは
少しくすんだ赤の、ビニール製のファイルだった。
表には、英文字で why とある。
「かわいい」
「昔のブランドかな?」
「中も入ってる」
「見よう」
開くと、何枚かの紙が挟まっていた。
「手紙?」
「みたいだね」
イデが一枚取り出した。
「あ、この字」
「何?」
「エラ婆の字じゃない?」
レリが覗き込んだ。
「ほんとだ。今より少し角張ってるけど」
「読める?」
「読めるよ」
イデは声に出して読み始めた。
「……最高の冗談、さもなくば根こそぎ沈黙」
「え?」
レリが顔を上げた。
「何それ」
「分かんない」
「もう一回」
イデが読み直した。
ふたりは顔を見合わせた。
「……くっ」
「ちょっと、待って」
レリが口元を押さえた。
「これ、何の手紙?」
「まだ分かんない」
「続き読んで」
イデは紙をめくった。
「そんなんじゃ
とても同世代の女とは渡り合えないわよ」
「ぶっ」
レリが吹き出した。
「誰に言ってるの?」
「男の人みたい」
「何した人?」
「さあ」
ふたりは肩を寄せ合って続きを読んだ。
エラ婆は別の箱を開けていた。
古い写真を何枚か取り出し、マロ爺と話している。
「これ、どこだったかしら」
「懐かしいね」
「こっちは誰?」
「さあ、僕も覚えてないな」
そのとき、レリが読み上げた。
「もう少し意識調査をしてからでないとね」
「意識調査?」
イデが首を傾げた。
「相手の出方を見ながら持ち駒を出したり
掌を返したりばかりしてると……」
「待って待って」
「相手の目が肥えるのを
手伝ってるようなものだから……」
「くっ、くくっ」
「もっとスピード感のある奴に
掻っ攫われることもあるから気をつけなさい」
ふたりはとうとう声を上げて笑った。
「これ、何の指導?」
「たぶん恋愛だよ」
「こんなに厳しいとやってらんないね?」
「誰かさん特有じゃない?」
エラ婆の手が止まった。
「…………」
ゆっくり振り向く。
「……ちょっと」
ふたりは聞いていない。
「ねえ、これも読もっか?」
「うん、読も読も」
「ちょっと、あんたたち」
エラ婆の声が届いて
やっとふたりとも、ファイルから顔を上げた。
「何?」
「何を読んでるのよ?」
「ねえ、これ、エラ婆書いたの?」
エラ婆が向き直って
「だったらなによ、もうやめなさいよ」
「いまいいところだから!」
ふたりはもう次のページをめくっていた。
「つづきあるよ」
「読んじゃえ、読んじゃえ」
「やめなさいって言ってるでしょ!」
レリは笑いをこらえながら、最後の行を読み上げた。
「私は同性愛者です」
一瞬、静かになったかと思うと
ふたりが吹き出した。
「出た!後出しで一番ヒキョーな手口!」
マロ爺も堪えきれずに腹を抱えて笑っている。
「すごいね。そんなの送られたら
ぐうの音も出ないな」
エラ婆は一瞬、少女じみたふくれっ面になったが
すっといつもの顔に戻った。
「その辺で電池切れしたわよ。
さすがのあたしも」
「エラ婆、よく刺されなかったね」
「幼なじみで、悪い奴じゃなかったからさ」
「そんな思いやりがあるなら、ここまでやるなよー」
三人とも笑いを通り越して呆れ顔だ。
「でも、なんで書いたエラ婆が
こんなの大事にとってんの?」
レリが指摘して
「明らかに振った相手だよね?」
イデも指摘したが
「それもこれも文章修行よ」
エラ婆の自己肯定感は揺るぎないものがある。
「文章修行?」
「そうよ」
「人を振る手紙で?」
「そうよ!」
「それで、こんな言葉を考えたの?」
レリがまた読み上げた。
「最高の冗談、さもなくば根こそぎ沈黙」
「そうよ。いい言葉でしょ?」
「そう言や、これ、聴いたことあるわ」
「使ったことあるわよ、自分のものなんだから」
「そんなところから抜粋してたの?」
「そうよ
書いてて勿体なかったからコピーしといたの。
著作権はあたしにあるからね」
エラ婆は胸を張った。
そしてひとこと
「芸の肥やしだから」
レリとイデは笑いながらファイルに目を落として
それから、また宝探しを続けた。
エラ婆は、ふたりの好きにさせておいた。
「若くて
情熱のかける方向がアンバランスだったんだね」
マロ爺が言った。
「あとから役には立ったわ」
「パワーを使い切らなくて良かった」
エラ婆は鼻を鳴らした。
「パワーも運も使い切りゃしなかったわ」
そう言ってマロ爺の方を見て、ペロッと舌を出した。




