閑話 カイザーの弟
※前半はカイザーの弟、後半はスーやん視点の話になります。
ボクには、兄馬がいる。会ったことはない。
仔馬の頃からいろんな人間がボクを見に来る。
みんな、『兄の弟』を見に来ていたのだ。
まだボクは無邪気だったし、みんなが言う兄はすごい馬なんだろうと思っていた。
母に兄のことを聞いてみた。
「兄上はどんな馬なの。」
「カイザーは強い仔、だったわ。」
過去形だったことにも気づかなかった。
続けて父のことも聞いてみたが、そこから先の記憶はなぜか―――ない。
ただ母にそのことを聞いてはいけないとだけ、強く思っていた。
母の元いる頃は良かった。あこがれの兄みたいになると思っていた。
だけど、親元を離れてからは、ボクは『カイザーの弟』になった。
容姿に始まり、常にボクのことをみんな『カイザーの弟』と呼ぶ。
良い結果は「カイザーの弟だから当たり前」
失敗は「カイザーの弟なのにできないなんて」
……ボクは兄じゃない―――。
兄が亡くなっていることも、その頃に知った。
『カイザーの弟』なのだから、勝つのは当たり前。
勝てなかったらボクの存在価値はなくなる。
必死に調教にも挑んだ。レースも勝ち進むごとに苦しくなってくる。
まだ、ボクはやれる。勝ち続けられるはず―――。
6戦目のダービー、ボクは勝つことができなかった。
競りかけられ、抜かされた瞬間に負けたと思った。
ボクは差し返すことができなかった。
ただ後ろ姿を見送っていただけだ。
ゴール板を通過した後、ボクはただ立ちすくんでいた。
「おーい」
大きな声でボクに勝った馬が近づいてくる。
最近のレースでよく一緒だった馬だ。いつも声が大きいから記憶に残っている。
『カイザーの弟』なのに負けたボクを嘲笑いに来たのか?
「俺はエースだ。お前、弱いな。子分にしてやるよ。」
「ふざけんな!!!」
自分でもびっくりするような大きな声が出た。
そして涙がでそうになる。たった1回、たった1回、こいつに負けただけで―――。
そこまで落ちてしまうのか。
周りのすべてがボクを嘲笑っているように感じた。
目の前のエースに沸々とおなかが熱くなるような怒りを感じた。
「いままで……ずっとボクに負け続けてきたくせに、ボクが弱いだと……」
エースはボクが言い返してくると思ってなかったのか、黙っている。
「『カイザーの弟』を負かしたから、お前が強いといいたいのかよ!!!」
ボクは止まれなかった。
「ああ、ボクは負けた。『カイザーの弟』失格さ!!」
騎手がボクをエースから離そうとする。
「んー。お前の名前って『なんとかの弟』なのか?」
エースは首をかしげながら聞いてきた。
「ボクをからかっているのか!?」
「お前の名前は何?」
なんなんだ。馬鹿にしやがって……。
「……ネクスだ。」
エースはうなずくと、
「ネクスは、心が弱いから、子分にしてやるって言ったんだ」
「心……?」
「だっていつも勝ちたいって思ってないだろ?」
「勝つのは、当たり前だから……」
「なんで当たり前なんだ?」
「ボクは『カイザーの弟』だから」
「それはお前の名前じゃないんだろ?関係ないだろ?」
「……だってみんながそう言う」
ボクの声は小さくなっていく。
「そのみんなって、お前のことネクスって呼ぶのか?
『なんとかの弟』ってお前を呼ぶ奴の言葉はノイズだ。
ネクスと呼ぶ奴の言うことだけ聞けよ」
……ボクをネクスと呼んでくれる人。
「いないんだったら、俺がネクスって呼んでやる。俺は親分だからな。」
エースのどや顔が頼もしく感じたことが、ボクは悔しくなった。
「ボクが強くなれば、親分じゃなくなるんだよね?」
「うん、その時は友達な」
ボク達が喧嘩すると思ったのか、時間なのか双方の騎手に引き離されて連れていかれる。
検量室前で、ボクの世話をしてくれるシゲさんが待っていた。
「ネクス、お疲れ様。がんばったね」
あ、ボクの名前。
騎手が告げ口する。
「ネクスは、初めて負けたから勝ったヤマモトエースに食ってかかったんですよ。くやしかったのかな」
ボクの名前を呼んでくれる人いるじゃないか。
シゲさんから、もらったミントキャンディ。
かじると香りが鼻からすーっと抜けていく。
でも子分のままはいやだな……友達は……なってやってもいい。
数か月後、ボクはエースと再会した。
エースは、顔が丸かった。
ボクは勝つつもりだったけど、あっさり勝った。
釈然としない結果だけど、レースの体形じゃないエースを見ていると、レースって楽しいんだと思えてきた。
兄はレースが楽しかったのかなと気になった。
子分撤回ってエースに突きつけるのを忘れていたことに気づいたのは馬房に戻ってからだった。
―――ダービー後のある日―――
日課の朝の散歩。日差しが強くなってきた。
ひさしぶりに同じコースをエースが歩いている。
「エース、おはよう。ダービー勝ったんだっておめでとう」
近づいて挨拶する。
「おはよ。ありがとう。」
エースの武勇伝を聞いてやろう。
「レースどうだった?」
「おう。子分が増えたぞ」
「子分?」
レースの話じゃないんだ。エースらしいな。
「ネクスっていうんだけど、『なんとかの弟』って言われていじめられてたらしいんだ」
「へぇー、暴君な兄だったのかな」
俺のイメージでは、騎手を振り落とす、馬房を壊す、他馬に噛みつく、厩務員を蹴とばす、暴れ馬が思い浮かぶ。
俺もいつか弟妹ができたときに、俺のせいでいじめられることないように、いい子にしてようと心に誓った。
エース
本名:ヤマモトエース
所属:美浦
戦績(1着, 2着, 3着, 4着以下):4-4-0-1
備考:声がでかい
ネクス
本名:ネクストカイザー
近親:兄 ヤマトカイザー
ヤマモトエース号の出走履歴(現時点)
■2歳
6月 函館 芝1200 2着 (勝ち馬:スイートポテト)
7月 函館 2歳未勝利 芝1200 1着
8月 札幌 芝1500 1着
10月 東京 サウジアラビアロイヤルC 芝1600 1着
12月 中山 ホープフルS 芝2000 2着 (勝ち馬:ネクストカイザー)
■3歳
3月 中山 弥生賞 芝2000 2着 (勝ち馬:ネクストカイザー)
4月 中山 皐月賞 芝2000 2着 (勝ち馬:ネクストカイザー)
5月 東京 日本ダービー 芝2400 1着
9月 京都 セントライト記念 芝2400 5着 (勝ち馬:ネクストカイザー)




