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獅子座の今日の運勢:医療従事者には絶対に近寄るな!

縁側に響く小鳥のさえずりで、キラは目を覚ました。布団に寝そべったまま、ガラス戸越しに庭園を眺める。一日しっかり休んだおかげで、気力も体力もすっかり満タンだった。今日は朝食を用意してもらえる上に、職場まで車で送ってもらえる。まさに極楽、人生最高の朝だ。


キラはゆっくりと身を起こし、スマホを手に取った。午前五時四十五分。余裕がありすぎる。口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、メッセージを打ち込んだ。


『起きました! 今日の集合は絶対に遅刻しません。ご安心を、主任』


本気を出せば早起きくらい朝飯前だとアピールするためだ。環境さえ整えば、自分だって模範的な社員になれる。ヨシへ送信すると、キラはぐっと伸びをして布団から抜け出し、洗面所へ向かって身支度を整えた。昨日の熱もすっかり引いたことだし、十分ほどの朝風呂なら問題ないはず。


脱衣所で浴衣を脱ぎ、タオルを巻いて温泉の扉を開けた。四月の朝の冷気に思わず肩をすくめたものの、湯船に足を踏み入れた瞬間、立ち上る湯気が全身を包み込んだ。昨日の乱闘と風邪で軋んでいた筋肉が、じんわりと心地よくほぐれていく。ガラス越しに朝靄に煙る庭園を眺めながら湯に浸かる時間は、まさに至福そのもの。やっぱり温泉は地上の楽園だ。


湯から上がり、キラはクローゼットの前で服を選んだ。シンプルな白Tシャツにベージュのワイドパンツ、上からゆったりとしたモスグリーンのジャケットを羽織る。野外ロケにはうってつけの装いだ。ヘアクリップを留め直していると、扉を控えめにノックする音が響いた。


「キラさん、起きていらっしゃいますか?」


キラは急いで扉を開けた。


廊下には五十代の上品な男女が立っていた。女性は穏やかな笑みを浮かべている。抹茶色の優美なスーツを身に纏い、首元には白真珠のネックレス、髪は清潔感のある夜会巻きに結い上げられていた。隣の男性はチャコールグレーのスーツに細縁の眼鏡をかけ、白髪交じりの短髪。小柄で丸顔な風貌は、父親の新井会長とは似ても似つかない。二人の背後には、制服姿の歩美が神妙な面持ちで俯いて立っている。胸元にエンブレムが刺繍された濃紺のブレザーに、膝丈のチェックスカート姿だ。


「おはようございます、キラさん。朝早くにお邪魔して申し訳ありません」男性が落ち着いた丁寧な声で口を開いた。「歩美の父親の正人です。昨夜は帰宅が遅くなりまして、先ほど涼介と父から事情を聞いた次第です」


「どうぞ、お入りください」キラは慌てて体を横に引いた。


歩美の母が静かに足を踏み入れ、申し訳なさそうに視線を向けた。「本当に申し訳ございませんでした、キラさん。娘は幼い頃から甘やかされて育ったせいで、衝動的な行動に出てしまい、お客様に対して大変無礼な真似をいたしました。若気の至りとお許しいただけますと幸いです」


母親が振り返ると、歩美は小さく何かを呟きながらためらいがちに一歩前へ出た。そして、刺繍入りの風呂敷包みを両手で差し出し、直角に腰を折って深く頭を下げた。


「キラさん……昨日は本当にごめんなさい。どうか許してください。これからもご指導よろしくお願いします」


キラは両手で包みを受け取り、その場を和ませようと明るい笑顔を返した。「ありがとうございます! 私の方にも至らない点がありましたし、昨日の身のこなし、すごく見事でしたよ! 気にしていませんから、心配しないでくださいね」


和解を終えたキラは、家族と共に広間へと向かった。朝の光が燦々と降り注ぐ部屋からは、みずみずしい庭園が一望できる。長い木製テーブルには個別の朝食膳が整然と並んでいた。本日の献立は、炊きたての白米、コールスローサラダ、わかめの味噌汁、こんがり焼けた塩鯖、ふんわりとした厚焼き玉子、小鉢の香の物、そして熱い緑茶。


全員が席に着いた。上座に座る新井会長は、キラが入ってくるなり相好を崩して両手を擦り合わせた。


「キラさん、昨夜はよく眠れたかね?」


「はい、とてもぐっすり眠れました。ありがとうございます」キラは礼儀正しく答えた。


新井会長は満足そうに頷くと、一同を見渡して紹介を始めた。「紹介しよう。長男の正人と、義理の娘の翠だ。そして、これが末っ子の涼介」


キラは微笑んで軽く会釈した。「あ、涼介さんとは昨晩お会いしました」


新井会長は目を丸くして眉を上げ、豪快に笑い声を響かせた。「もう顔を合わせていたのか! 私の息子二人は、一人が眼科医で、もう一人が心臓内科医だ。嫁も医者でね。誰一人として私の事業を継ごうとせんのだよ!」


新井会長は『心臓内科』と言いながら、左胸をトントンと叩いておどけて見せた。


キラはその仕草を見て目を瞬かせ、尋ねた。「心臓の専門医ですか?」


「そう、そう、そう!」新井会長は満面の笑みで大きく頷いた。


正人さんが静かに口を挟んだ。「父さん、お客様との朝食の席にふさわしい話題ではありませんよ」


新井会長は言葉を切り、咳払いをして叱られた子供のように肩をすくめた。しかし直後、キラに向かってこっそりとウインクしてみせる。「続きは後で二人きりの時に話そう」


「はい……」キラもつられて微笑んだ。


隣に座る涼介が、新井会長の耳元に顔を寄せて囁いた。「父さん、キラさんはまだ日本語に完全に慣れているわけじゃないんだから、分かりやすい言葉で話してあげて」


新井会長はキラへ向き直り、探るように尋ねた。「今の話、分かったかい?」


キラは自信を持って頷いた。「はい、分かりました。お二人ともお医者様だとおっしゃいましたね。正人さんがどの専門のお医者様なのかが少し気になっただけです」


新井会長は感心して目を見張り、再び笑い声を上げて涼介の腕を肘で小突いた。「ほら見ろ! キラさんは日本語が上手だと言っただろう!」


その時、正人さんが腕時計に目をやり、穏やかに促した。「父さん、そろそろ召し上がってください。今朝は大事なお約束がおありでしょう」


歩美の学校は新井邸から都心へ向かう途中にあり、正人さんと翠さんが信濃町の慶應義塾大学病院へ向かう途中で彼女を送り届けることになっていた。一方、涼介は近くの若松町にある国立国際医療研究センターに勤務しており、キラの会社のオフィスへ向かうルートの途中にあったため、彼女は彼の車に同乗することになった。


食事を終えた新井会長は立ち上がり、キラの肩をポンと叩いてこっそりウインクし、小声で囁いた。「神崎で会おう!」


キラは驚いて目を丸くした。「新井会長も神崎へいらっしゃるんですか?」


「ああ」新井会長は耳元に顔を寄せて囁いた。「神崎の酒蔵の当主が昔からの友人でね。今日は彼を訪ねるついでに、君の仕事ぶりも見学させてもらおうと思ってな」


キラは微笑んで頷いた。「分かりました。では、酒蔵でお会いしましょう」


正人さんと翠さんはキラに挨拶を交わし、歩美と共に車寄せで待つ車へと向かった。涼介がキラへ向き直る。


「出発の準備はよろしいですか?」


「はい、大丈夫です。送っていただきありがとうございます、涼介さん」キラは手早く荷物をまとめ、彼の後に続いて車へと乗り込んだ。



涼介は前方に視線を向けたまま、何気ない調子で口を開いた。

「ヨシと同じ会社に勤めているそうですね?」


キラは小さく頷き、丁寧に返した。「はい、ヨシさんは私の上司です」


涼介はハンドルを滑らかに切り、隣の車線へと合流しながら言葉を継いだ。「それで、日本人の恋人と付き合う気分はどうですか? おまけに直属の上司だそうですね」


予期せぬ言葉に、キラは唾を詰まらせて激しくむせ返った。顔を一気に真っ赤に染め、信じられない思いで隣の男を凝視する。


「だ……誰からそんな話を聞いたんですか?! 私たちはただの上司と部下で、付き合ってなんていません!」


涼介はバックミラー越しに彼女の視線を捉え、わずかに目を丸くしながらも、淡々とした声で返した。「付き合っていないのですか? 奇妙ですね……」


「何が奇妙なんですか?」キラは恥ずかしさで頬を火照らせながら問い返した。


涼介は一瞬言葉を止め、失言に気づいたように表情をわずかに動かした。「ああ、歩美があまりにも確信を持って話すものですから。それに、ヨシが家族に女性の友人を紹介した前例が今まで一度もなかったもので……」


引き下がりたくないキラは、すかさず反論した。「でも、お屋敷に招いてくださったのは新井会長ですよね?」


「ええ……歩美があなたをヨシの恋人だと思い込み、どうしても会いたいと懇願したからです」涼介は至って冷静に説明した。「あの子は幼い頃からヨシに憧れていましてね。彼に恋人ができたと聞き、どんな女性なのか見極めたいと言い張ったのです」


キラは怪訝そうに眉をひそめた。「でも、歩美ちゃんは誰からそんな話を?」


「莉奈子ちゃんから聞いたのではないでしょうか。莉奈子ちゃんがそう言ったのなら、間違いようがないはずですし」


キラは言葉を失い、返す言葉が見つからなかった。一体莉奈子の頭の中でどんな思考回路が働けば、こんなとんでもない誤解が生まれるのだろう。


涼介がちらりと横目で視線を送った。「では、本当に付き合っていないのですね?」


キラは激しく首を横に振った。


「では、キラさんに彼氏はいますか?」


「い……いませんけど」キラは視線を逸らしながら小さく呟いた。


「そうですか……」


涼介はしばらく沈黙した。車が交差点を滑らかに通過すると、彼はアクセルを踏み込み、極めて平然とした口調で告げた。


「では、僕の彼女になっていただけますか?」


キラはその場で気絶しそうになった。頭から氷水を浴びせられたような衝撃を受け、目を丸くして彼を見つめる。「じょ……冗談ですよね?」


「いえ、至って本気です」涼介は何食わぬ顔で答えた。「僕は三十五歳で独身、交際相手もいません。あなたにも彼氏がいない。お互いを知るために交際を始めるのは、極めて合理的な選択だと思いますが。なぜそんなに驚かれるのですか?」


キラは唇を震わせ、声が出なかった。この叔父と姪のコンビは一体どうなっているのだろう。見た目は上品で礼儀正しいのに、中身はどちらも常識から大きく外れている。


「涼介さん」キラは深呼吸して冷静さを取り戻そうとした。「率直なお申し出はありがたいですが、昨日会ったばかりの相手に告白するのは、少々唐突すぎませんか?」


涼介は眉をわずかに上げた。「唐突……ですか? そう感じられたのであれば謝罪します。結婚相談所を利用する予定だったのですが、多忙で面談に赴く時間が取れなくてですね。あなたが家に滞在されるのであれば、好都合だと思ったのです」


好都合? キラは隣に座る男の横顔を呆然と見つめた。正気なのだろうか。自分と付き合いたい理由が、単に……『好都合だから』? 一体どんな思考回路をしているのだろう。


「涼介さん」キラは声を低くし、唇を強く結んだ。「あなたにとって恋愛は、単なる利便性の問題なんですか?」


「何か違いがありますか?」涼介は淀みなく答えた。「適切な時期、適切な場所、適切な条件。同じ屋根の下に暮らし、通勤路も同じで、互いに独身。交際を重ねれば情は自然と湧くものです。それに、どの夫婦も結婚すれば、いずれ恋愛感情は夫婦の義務や子供への責任へと置き換わっていくのが自然な帰結でしょう」


頼むから誰かこの人を止めてほしい。付き合う話を飛び越えて一気に結婚まで話を進めた上、全てを生殖と生活のための手続きとして処理しようとしているのだろうか。


「待ってください、涼介さん」キラは困り果てて手をかざし、会話を遮った。「誤解されているようですが、私が言いたいのは、二人が惹かれ合って愛を育み、その自然な結果として結婚に至るべきだということです」


涼介はその主張に答えることなく、唐突に別の質問を投げかけた。「キラさん、おいくつですか?」


キラは彼を睨みつけた。「女性に年齢を聞くのはマナー違反だと教わったことはありませんか?」


「二十五歳以上ですね」涼介は自身の観察に基づいて結論づけた。「女性にとって結婚の適齢期です。三十歳を過ぎると条件に合う相手を見つけるのは格段に難しくなります。卵子の質と保有数は急速に低下し、妊娠のリスクも高まります。見知らぬ誰かを待つために、目の前にある合理的な機会を見送る理由がどこにあるのですか?」


キラは心の中で絶叫した。お願いだから誰かこの男を元の星へ送り返して!


「涼介さん」キラは残された理性を総動員して言い放った。「昨日会ったばかりの女性に対して、生殖科学の講義をなさっている自覚はおありですか?」


「そうですか?」涼介は小首をかしげ、心底不思議そうに返した。「単なる基礎医学の知識ですが」


キラは座席に深く沈み込み、ため息とともに天井を仰いだ。これ以上この男と一言も言葉を交わしたくない。家柄が良く、容姿端麗で、医師という肩書きを持ちながら、三十五歳になっても独身をこじらせている理由が痛いほどよく分かった。


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