4話 野良犬のように走れ
その夜亜紀を見送った俺は。
ライブハウスのバイトを終え重い心のまま、地下から上がる。
「おい、お前」
振り向く。
いたのは、知らない顔だった。
二十代くらいの男。
後ろには女が二人。
酒臭い。
「お前、さっき歌ってたやつ?」
「違う、スタッフ。どけよ 帰るだけだ」
まだ22時には時間がある。
気がたっていた、別にどうなろうと世界は、残酷だと。
「来いよ」
過去でも今でも初めて見る顔ばかり、ただの八つ当たりだった。
そして
3人がかりで裏路地に連れられる、大人は、誰もこっちを見ない。
喚いても、俺は世界に無視される。
それがこの界隈のルール。
「グッフ」
腹にきついのを入れられ 硬い地面にただうずくまる。
会場の熱も あの亜紀の笑顔も何もかも俺は……。
また戻った地平、ここでは、野良犬でしかない。
舌打ちをし、 遠ざかる笑い声。
夢は終わった。
俺はまた、元の場所に戻った。
膝をつく。
気が付くと非常灯だけが点いていた。
唇の端が切れている。鉄の味がした。
肋骨も痛い。何発殴られたのか覚えていない。
血を吐き捨てる俺を。
兄貴分は煙草を咥えたまま見下ろしていた。
「……終わったか?」
返事はしない。
俺の目つきを見て何かを察したのか、兄貴分は短く息を吐き。
来いと、短く言い地下へ降りた。
俺が入ると数人の客が、ざわめく。
兄貴は、傍のギターケースを乱暴に開けた。
「歌え」
それだけだった。
同情も、説教もない。
録音ボタンを押すカチッという無骨なプラスチック音。
赤く点滅し。
血だらけの手でマイクを握る。
兄貴分のぶっきらぼうな「いけるぞ」という声。
グラスを置く音。
ギターアンプのハムノイズ。
血のついたマイク。
ざわめく人影
その暗闇に
チッ
電球のノイズと共にスポットライトが、降りた
体中から湯気のように湿度が失せ、いつも当てるだけのライトが俺の視界を真昼にする、
(あれ?バイトくん歌うの)
どこかで女の声がし。
『失敗しても怒られないの?』
瞬間浮かんだのは、亜紀の笑顔
無邪気に笑った亜紀の顔。
それが冷え切った腹の痛みを内側から焼き焦がし続ける。
ギュァーン チッ チッ
「歌え」
兄貴分のリフが促す。
俺は痛む腹を抱えながら、血まみれの口で。
ノイズ混じりのバラードを叫んだ。
▱▱▱▱▱▱
『……もう一回やるか?』
『いや、これでいい』
*ブツッ、
誰にも届かないと分かっている、不器用な祈り。
それが、あの夜に込めた、言語化できないもの。
USBに込めたすべてだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして
雨が落ちる窓 現在の部室。
俺は、亜紀と向かい合っていた。
「あなたにあんなこと言う権利ない」
亜紀の叫びが鋭く響く。
彼女がこんなに感情を爆発させるのは、初めてだろう。
「権利とか知らねえ」
「なら」
「見てられなかった」
言った瞬間に彼女の変化に、後悔する。
「もういい……!」
バァン。---
シンセの鍵盤が肘で叩かれ、
耳障りな不協和音が部室に炸裂した。
思ったまま彼女の誇りを踏みにじった俺の言葉。
亜紀の音で、俺は立ち尽くす。
キュ
プラッチックを鳴らす音。
立ち尽くす俺を置き去りに楽器も持たず、部室を飛び出してしまう。
その直後だった。
ザアアアアアア
窓の外で、雲が決壊したように、激しい土砂降りの雨がアスファルトを叩きつけ始めた。
「……チッあのバカ」
俺は机の上のカバンから、一本の折りたたみ傘と、朝、引き出しから持ってきた。
「一本のUSB」をひったくるように掴み。
廊下へ走り出した。
バシャバシャと響く雨どい
校舎を飛び出す、目の前の運動場はすでに。
白く霞むほどの豪雨に包まれ、手をかざす。
その土砂降りの中を、揺れる白い背中が、いる。
きれいに切り揃えられた黒髪が雨に濡れ、制服が肌に張り付いている。
周りの目を気にするはずの彼女が、靴を泥に染めながら。
まるで何かから逃げるように全力で走っている。
「湊――!」
激しい雨音に声をかき消されながら、俺は泥水を跳ね上げまくり。
走った。
野良犬のように泥をつけ、ただ追う。
校門の手前でようやく彼女の背中に追いつく。
俺は亜紀の腕を掴んで強引に足を止めさせ、手元の傘を彼女の頭上に開き押しつけた。
「……何よ、見ないで!放して!」
雨と涙で顔を濡らした亜紀が、揉みあうように。
拒絶するように俺を睨みつける。
腕を取り、亜紀の小さく細い腕を初めて知った。
顔を背ける。
謝罪もなにも出来ない ただ俺の首に巻いたタオル亜紀の頭にかけ。
彼女の濡れた手のひらに、俺はポケットから取り出した重いUSBを無理やり握らせた。
「去年のライブの後、録ったやつだ」
USBには折り畳まれた学園祭のチラシが巻かれていた。
亜紀の瞳がわずかに揺れる。
「……え?」
「別に」
「暇なら聴け」
背後から俺を呼ぶ声は、激しい夕立の音にかき消え。
俺は振り返りもせず、傘も差さないまま激しい雨の中を走り去った。




