表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

3話 回想 学園祭 出会いと共鳴。

◇◇◇


パーティー会場の中で大人達は中央を見ていた。


チェロとピアノ


主催者の娘の奏でる音は機械のように完璧。


しかし彼女の瞳の奥には、何の熱も宿っていなかった。


煌びやかなシャンデリアの下、ドレスを着飾った大人たちの愛想笑い。



やがて


「素晴らしい」


「本当お上手」

ふうと息を吐き弾き終わった亜紀は、丁寧にお辞儀する。


わざと外した箇所があった。


しかし誰も疑わない。


(あんな奴でも、ちゃんと音を聞いてた。じゃあここは、?)



拍手喝采が静まり


グラスの触れ合う音が渦巻く空間。


以降は背景音とし「完璧な正解」を弾き始める。


チェロの独奏にはいり、



横に、置かれたグラスを見る。


夏服のままに来た、いつもなら手を伸ばすほど喉は、乾いていない。


下のかばんを見る 挟まった紅茶缶。


しかし彼は、おしるこを夏に飲んでいた、ありえない。


すぐに演奏に備え ゆっくりと旋律に乗せていく。


ここでの仮面も部室も同じ。


息苦しく着飾った世界で、自分を押し殺して生きる。



「ごくろうさん」

ドレスを着た部活の部長が声をかける。


いつの間にかBGMが音響にかえられていた。

黙り楽譜を揃える、もう出番はない。


(亜紀――部室は、君に合わない匂いだったね 嫌なら明日は来なくていい)

部長の呟きが聞こえる。


スピーカーの音が変わり。


チャイコフスキーの協奏曲が流れる。

部長の選曲だろう。



ありがとうと言い部長は去っていった。


─── ◈ ───


翌日


部室から音がする 清らかなそして懐かしい調べ。


高音が気高く、深い音が廊下に反響する。


俺は扉を開けても部室で湊は気づかず


ただ弾いていた、軽やかに。




コホン咳払いすると。


さっと顔に朱がさし彼女は、顔を伏せる


「――そのゴメン 今のに俺の歌を乗せていいか?」



交わるはずがない。そう思っていた。


だが――その日を境に、部長のその目論見は、良い意味で完全に裏切られることになる。



▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

去年の九月、学園祭本番。


体育館にこもった熱気と、マットの焦げたような匂い。


ステージの端、譜面台の前に背筋を伸ばして座る彼女は、どう見てもこの場所に浮いていた。


クラシックで培われた正確な指使い。狂いのないリズム。

対する俺は、マイクスタンドを握り、地下で覚えたやり方で、ただ叫んでいた。


歪んだギターと、腹の底を殴るようなドラムのノイズ。

その暴力的な波を、彼女はあざ笑うように切り裂く。


——タタ、ターン。


彼女の指が鍵盤を跳ねる。

空気が塗り替わり、観客の呼吸が揃う。


俺は笑った。


ドラムが置いていかれるほどの超高速。なのに、亜紀だけは追いついてきた。

もう譜面通りの“正しさ”なんて捨てたと言わんばかりに、今の彼女は、俺の音を置き去りにする気だ。


俺がギターを叩きつけてリズムを歪ませると、


ヴァイオリン協奏曲ニ長調

——タン、タララーン タタタ ターンタン、 シャーシャン。


「ッ!」

彼女も即座に、シンセの音色を冷たく尖らせて返してくる。

圧倒的だった 俺のロックが浸食される



ドラムが必死に食らいつく。俺は声を張り上げ、彼女の領域へ強引に踏み込んだ。


これは音楽じゃない。

互いの呼吸と波形を、どちらが先に飲み込むかの物理的な殴り合いだ。


——そして。曲が終わり、一瞬の静寂が訪れる。


客の熱狂も、拍手も、何もかも今は入らない。


ただ、スポットライトに浮かぶ亜紀の鍵盤だけを見ていた。


しーんとするホール。

だが、耳の奥ではまだ、互いの音が殺し合っている。


——ジャーン、ジャジャ、ジャジャアアン。


予定にないコード。もう譜面にないはずの展開。ドラムはついてこない。


——ピン。


蚊の鳴くような、しかし絶対的な音が、俺の手を止め、刺した。

ピアノが旋律の刃を振り下ろした、たったの一音。


鳥肌が立った。

あっけにとられる俺を置いて、ドラムが静かに、引きずり込まれるように鳴り始める。音量を下げざるを得ない。


——シャーン、タッ・タ・タ、タタタタ。


彼女の指が鍵盤を跳ねるたび、体育館の空気が塗り替えられていく。

観客の呼吸すら、俺たちの鳴らすリズムに強制的に同期させられていた。


「その歌を——、始めよう」


もう俺に残るのは、ノイズのみ。


絶対に交わるはずのない二つのシステムが、ステージの中央で激しく衝突し、そして——溶け合った。


そうだ。そうやって、音で俺を潰しにこい。


しがみつくべき現実も、責任も、何一つ関係ない。

ただ今、この瞬間、どちらの音が高みに到達するか。それだけだ。


ノイズの壁を切り裂くようにして、澄み切った一音が空気を震わせた。


その瞬間、脳内で何かが弾けた。


冷たいガラス細工のような、シンセサイザーの音色。


それはかつて、俺が孤児院の礼拝堂で聴いた、あの懐かしい「聖歌」の響きそのものだった。


ぞく、と背筋が震える。息を吸い、さらに声を高める。

本気の、その先へ。


彼女の指が、俺の咆哮に呼応するように力強く鍵盤を跳ね上げる。持てる熱のすべてが、ソロパートの中で爆発していく。


垢まみれのマイク音と、白く輝く旋律。

それらを繋ぐ一本のケーブル。


互いの伸びを見極めようと、ただ、視線が真っ向からぶつかった。


普段は伏し目がちな亜紀の瞳に、燃えるような強い光が宿っている。


ただ音をぶつけ合うだけで、俺たちは互いの奥底にある、一番熱い場所に触れていた。


誰の指図も受けない。ただ純粋にお互いの魂をぶつけ合った、一年の秋。


それは、俺が初めて「共鳴」という名前の怪物の正体を見つけた、夜だった。



▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱


ステージの照明が消えた後も、体育館には耳鳴りのような歓声が残っていた。


楽屋に戻る薄暗い通路で、亜紀と視線が合った。

いつも完璧に整えられている彼女の黒髪が、汗で少し額に張り付いている。


「失敗しても怒られないの?」


「は?」


「私は怒られるから」


彼女は小さな胸元を激しく上下させながら、見たこともないような、ひどく高揚した笑顔を俺に向けた。


「あ、ラウンドワン」


「いや、違う、湊。ラウドネス。そのさ、ダンパーペダル――」


この前、ラウドネスなんて身勝手な言い方をしたのを反省する。


けれど、オルガンの視点で言えば、俺たちの音は一歩もすれ違っていなかった。


同じアンプで、一本のケーブル越しに感じ、繋がった正体。


それまで彼女と交わした言葉なんてなかった。


けれど今は、互いの音楽を認め合った絶対的な確信があった。


「俺も昔、オルガンを――」


「ごめん、ちょっとどいて」


次のステージに臨む生徒たちが、俺たちの間に割り込んでいく。

そして――。


「……湊、迎えが来てるわよ」


前部長が申し訳なさそうに、廊下の奥から声をかけた。


その瞬間、亜紀の顔から一気に熱が引いていくのがわかった。

いつもの、あの冷たくて人形のような「お嬢様」の仮面に戻っていく。


「……うん。今、行く」


彼女は小さく頷き、高価な楽器ケースを背負った。

制服のシワを丁寧に伸ばし、俺の横を通り過ぎる。

すれ違う瞬間、彼女の身体から微かに、いつも通りの、石鹸のような綺麗な匂いがした。


泥臭い汗の匂いが染み付いた俺の日常とは、あまりにも違う、境界線の匂い。


「俺も帰る。バイトあるし」


つまらない日常へ帰るため、俺たちは無機質な廊感を歩く。


「湊」


思わず声をかけたが、言葉の続きが出てこなかった。

『お前との音楽は最高だった。また明日から、部室で合わせよう』

そんな普通の高校生が口にするような眩しい言葉が、孤児院育ちの俺の喉に引っかかって、どうしても解けない。


亜紀は足を止め、振り返らないまま、ただ一言だけ小さく呟いた。


「……ありがと。楽しかった」


校門の外には、黒い高級な送迎車が、エンジンをかけたまま静かに待っていた。

運転手らしき男がドアを開け、亜紀は吸い込まれるように後部座席へと消えていく。


スモークガラスの向こう側は、外からは一切見えない。

遠ざかっていく車の赤いテールランプを、俺は夕暮れの校門で、ただ見つめることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ