オーバーフロー
第11話 オーバーフロー
孤児院は、とうに限界を越えていた。
木造の建物は増築を重ね、廊下には簡易ベッドが並び、食堂は三交代制。
それでも入りきらない子どもたちが、門の前で順番を待っている。
だから――暗黙の決まりがあった。
十二歳になれば、自活する。
小さな子のために、場所を空けるのだ。
男の子はまだいい。
工場、製材所、建設現場、蒸気トラック工事――引き合いはいくらでもある。
だが、女の子は違う。
家事手伝い、子守、家畜番。賃金は安く、現物支給も多い。
小麦や米を袋で渡されても、現金がなければ未来は開けない。
それでも――サンブレロ村には希望があった。
社長の商会だ。
噂を聞きつけ、町中から孤児が集まる。
最近では、十歳で孤児院を出る少年もいるほどだ。
試験を受け、手先が器用なら工場へ。
読み書きや計算ができれば店へ。
それ以外は雑務から始める。
他の店に雇われる者は、ほとんどいなかった。
皆、社長を慕っている。
尊敬し、感謝している。
――あの人のためなら、何だってやる。
本気で、そう思っているのだ。
孤児院に来て十年になる少年がいた。
今日が卒業の日だ。
緊張で喉が渇く。
それでも、社長室の扉を叩いた。
「失礼します!」
「おう、来たか。」
机に向かっていた社長が顔を上げる。
「俺、社長に恩がある。だから何だってやりやす!」
深々と頭を下げる。
社長は苦笑し、少年の頭をくしゃりと撫でた。
「恩返しはいらん。皆のために、商会を大きくするのを手伝ってくれ。」
「はい!」
試験は満点。
手先も器用と太鼓判を押された。
石鹸、ロウソク、玩具。
なんでも覚えた。なんでも作った。
上手くできるたび、社長に褒められる。
それが何より嬉しかった。
寒い日も、暑い日も。
体調が悪くても、休まず働いた。
そんなある日。
「お前、なかなか良い瞳をしているな。」
「は、はい?」
社長は腕を組み、しばらく考える。
「見込みがある。俺の助手にならないか?」
心臓が跳ねた。
「やります!」
「俺の側で手伝いをする仕事だ。」
――最高の仕事だ。
孤児の中で一番の出世。
胸を張って自慢できる。
だが。
実際に始まった仕事は――
「書類をこの順番で並べろ。」
「この図面を製材所に届けて来い。」
「蒸気機関の圧力計を確認して来い。」
「孤児院にこの樽を運べ。」
ただの雑用だった。
テンションは、一気に下がる。
(……こんなものかよ。)
胸の奥が、少し冷える。
だが、その帰り道。
少年は足を止めた。
抱えていた書類が、風にあおられた。
「うわっ――!」
紙が宙に舞う。
慌てて拾う。
必死に集める。
だが―― 一枚、足りない。
顔が青ざめた。
発電所の改良指示書。
あれが無ければ――工事が止まる。
血の気が引く。
必死に探す。
路地を戻る。
石畳を這うように見渡す。
――あった。
泥にまみれていた。
震える手で拾い、抱えて走る。
息が切れる。
肺が焼ける。
それでも止まらない。
現場に飛び込む。
「すみません! 遅れました!」
職人が振り返る。
「……来たか!」
書類をひったくるように受け取る。
一瞬の沈黙。
そして――
「助かった! これが無けりゃ今日の作業は全部やり直しだ!」
膝から力が抜けた。
――ただの雑用じゃない。
その瞬間、理解した。
自分の仕事が、この巨大な商会を動かしているのだと。
それからだった。
少年の足は、誰よりも速くなった。
仕事は、誰よりも正確になった。
気づけば、社長の一日を間近で見るようになっていた。
発電所の改良。
蒸気トラック工場の設計。
学校建設の構想。
孤児院の増築案。
机の上は、常に山積みだ。
人も、仕事も、金も――
すべてが、溢れかけている。
その時。
――バサッ。
書類の山が崩れた。
「あ……!」
少年は慌てて拾う。
だが社長は、それを気にも留めず次の図面に手を伸ばしていた。
目は赤く、手はわずかに震えている。
「休んでくださいよ。」
思わず口に出た。
社長は小さく咳き込み、笑った。
「王命だからな。止まれん。」
かすれた声だった。
ペン先が止まる。
一瞬だけ――動かなかった。
その瞬間。
少年の中で、何かが変わった。
――このままじゃ、壊れる。
強い人だ。すごい人だ。
でも――無敵じゃない。
ならば。
自分がやる。
書類でも、荷物でも、使いでも。
この溢れかえった仕事を、少しでも減らす。
社長が、前だけを見て走れるように。
少年助手は、今日も走る。
溢れそうなこの商会を――
決壊させないために。
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