アンマン
異国の街を練り歩く。
地図なんて野暮なものは持たず、感覚に導かれるままに進む。
階段があったら階段を登るし、気になる路地があるならそこを選ぶ。
途中見晴らしの良い高台があれば腰を落とすし、現地の人が声をかけてきたら雑談するのも良いだろう。
僕たちは今、ヨルダンの首都アンマンにいる。
この地は各地域へのハブの役割を担っており、数日滞在することにしたのだ。
「こんな散歩も悪くないな」
高台の縁に腰掛けているメテムが呟く。
「そうだね、これこそが旅だね。完全な異国の地で、見知らぬ景色、新しい文化」
そう言いながら僕はメテムの頬を軽くさすった。
「こういう何気ない日常をみるために旅してるようなもんだからなあ」
僕の手を振りほどくことはせずに、メテムは視線を街並みへ向けた。
「で? この街にはなんで来たんだっけ?」
街を眺めながらメテムが言う。
「この街はそもそも中継地点って意味合いが大きいんだよね。中近東は始めてだから少し文化も味わいたいし。でも一つだけ見どころがあるよ」
「ほうほう?」
「死海文書」
「死海文書?」
「うん、昔々に書かれた宗教の聖書関連の遺産でね。この地の人にとっては重大な意味合いがあるんだよ」
「宗教ってユウキお前無神教だろ。なんだってそんなもの見たがるんだ?」
「いや実はとあるアニメーションで有名になってね。気になってるんだよ」
「アニメーションねえ……」
「まあまあ、とりあえず言ってみようよ」
そういうと僕は気乗りしないメテムの背中を押した。
死海文書はヨルダン博物館に収められている。
アンマン市内地から歩いて数十分ほどの場所にあり、アクセスも悪くない。
適当に人に道を聞きながら向かうと、ユニークなオブジェが並ぶ広間にたどり着いた。
博物館らしき建物があるので間違いなくここだろう。
「案外近代的な博物館なんだな」
メテムが最初の感想を呟く。
「まだできたばかりらしいよ」
「なるほど、だからこんなにお洒落なのか。ヨルダンらしからぬ作りだ」
ヨルダンらしからぬ……という表現に苦笑をしながら、僕たちは入り口でチケットを買って中に入った。
「死海文書はどこにあるんだろうね」
入り口に立って地図でも探そうと僕がうろつく。
するとメテムは僕の手をすぐに引いた。
「どこかなってお前、あれだろ。すぐ隣にデッド・シー・スクロールって書いてあるぞ」
目線に釣られて入り口横の部屋を見ると、確かにそう書いていた。
「あ、本当だ。こんな入口にある」
多少驚きながらも、僕たちは部屋へ入った。
死海文書の部屋は薄暗くなっており、おそらく死海文書と思われるモノにはそれぞれライトが当てられていた。
「おー、これかあ」
眼の前にある死海文書と言えば、僕ら旅人の間でもしばしば会話に上がる遺産だ。
この数枚の紙切れこそが二十世紀考古学上最も偉大なる発見の一つと言われている代物なのだ。
その為若干僕は興奮していた。
しかしそんな僕とは裏腹に、メテムはいつもと変わらない様子だった。
「紙切れ一枚なのに大した扱いだ」
辺りを見渡してメテムがいう。
「いや、これ結構凄い発見なんだよ、この世界では」
「へー、どれどれ、って中はあんま大したこと書いてないぞ、これ」
そう言いながら覗き込むメテム。
「そりゃ聖書だからね」
「うん、昔の寓話だの何だのが断片的に書かれてるだけだ」
「まあ中身はさして重要じゃないんだよ」
「うーん、まあ考古学で偉大っての分からんでも無いけども」
「まあさ、少なくとも使徒については書いてないね」
「使徒?」
「いやなんでもない、こっちの話」
「うーん、わがらん、わがらん……」
終始不思議そうにするメテムだった。
「おい、ユウキ、腹減ったぞ」
博物館を出るとメテムはいつものように可愛らしくお腹をさすった。
「任せてよ。とても良いところを調べてきてるよ!」
「ほうほう、美味しいところ?」
「たぶんね。この地方の伝統料理が食べれる高級レストラン!」
「お、そりゃいいや」
タクシーを路上で捕まえる。
中に乗り込むと僕はお店の名前を告げた。
するとタクシーの運転手は僕らの様子をみて怪訝そうな顔を浮かべた。
「お客さん、大丈夫なんです?」
「大丈夫? ってどういう意味ですか?」
運転手の質問の意図が分からず聞き返す。
すると運転手は何やらモゴモゴと口にした後、タクシーを動かした。
「こちらが目的地です」
タクシーの運転手にそう言って降ろされた先には、果たして立派な門構えのある由緒正しいレストラン「ファハルディーン」があった。
建物が豪華なだけでなく、門番や入り口からのエスコート係までいるのが分かる。
「あぁ……なるほど……そういう意味か。ドレスコードね……」
そう言いながら僕たちはお互いを見合う。
僕は旅人用の機能性を重視した服装だし、メテムに至ってはサンダルにショートスカートで、上半身なんて皮ブラだけだ。
「どうしよう、メテム……」
「うーん、ここしかないんだろ?」
「うん、ここはアンマンでも一番有名な高級レストランなんだよね。料理が本当に美味しいらしくて……」
「仕方ないなあ、ユウキ、ちょっとこっちゃ来い」
そう言うとメテムは僕を木陰に誘導した。
「何するの?」
「いいから、そこを動くなよ」
僕を立たせたままメテムはカバンからいつもの魔法書を取り出す。
そして僕に手を当てたまま呟いた。
「……ディスガイズ……」
メテムの声と共に僕ら二人は強い光に包まれる。
そして光が引けてきたと思ったら……目の前には綺麗な白いドレスを着た綺麗なメテムがいた。
「ふふふ、これで良いだろ」
ニヤリと笑みを浮かべながらメテムはその場で体を回した。
レースのドレスの裾が綺麗に舞う。
「……驚いたよ。本当に綺麗だよ、メテム」
「お前もそのタキシード姿、似合ってるぞ」
そういったお互い笑いながらファハルディーンへと向かった。
「ようこそいらっしゃいました、紳士、淑女のおふた方」
豪華な店内に入ると、きちんとした身なりをしたウェイターが早速僕たちを迎え入れた。
お互いにニヤリと笑い合いながら、僕たちは奥のフロアーへと招かれる。
旅ではほとんど味わったことのない接待を受けながら僕たちは着席した。
「何が有名なんだ?」
メニューを手にするとメテムが僕に尋ねた。
「いちばん有名なのは羊肉だね」
「ほうほう」
「クッペナイエっていうのが看板料理。あとはマンサフって米料理と、ホンモスっていう豆のペーストかな」
「なるほど、この地は羊か」
「そうみたい。遊牧民の名残かな」
「よっしゃ、んじゃそれを片っ端に頼んでみよう」
メテムがそう言うので、僕はメニューから選び、ウェイターに伝えた。
「しかし豪華な作りだな」
店内を見渡すメテムが呟く。
「そうだねえ、このレベルはあまり見ないね」
「まさかヨルダンでこの待遇を受けるとは……。おい、ユウキ」
「ん? 何?」
「お前もうちょっと私をこういう場所へ連れてけよ。大切に扱え、大切に」
そういうメテムに思わず苦笑を浮かべる僕だった。
「お客様、こちらがホンモス・ビルラハムでございます」
そんなことを話していると、ウェイターが最初の皿を持ってきた。
皿の上に白い豆のペーストが盛られ、上に焼いた羊肉が乗っている。
「ユウキ、お前、豆嫌いだろ」
「そうなんだよね。まあでも中近東って豆の文化なんだよ。だから試してみようかなって」
「ほーう、んじゃ早速……」
メテムはそういうと皿から器用に自分の分をとりわけ、そして珍しく丁寧に口へ運んだ。
「うん、丁寧に濾されていて滑らかだ。豆もまろやかで、ジューシーな羊肉と相性が良いぞ。なかなかのレベルだ」
笑顔を浮かべるメテム。
僕もそれに釣られるようにして口へ入れる。
ホンモス(豆のペースト)は思ったより癖が弱く、メテムの言うようにまろやかな味だった。
全体的にはやはり豆の味がするけれど、これならば僕も食べれないことは無い。
今後出てくる料理を考えて、僕はセーブするように食べた。
次にウェイターが運んできた料理は、皿の上に黄色いライスが盛られ、そこの上には煮込んだ羊肉が載せられていた。
ついでに白いスープも一緒に運ばれてきた。
おそらくこれがマンサフだろう。
匂いからしてそそられる香りで、僕とメテムは嬉々として自分の皿に取り分けた。
「お、これもなかなかいけるじゃないの」
先に口にしたメテムが上機嫌に言う。
それならばと期待して食べると、やはり旨い。
出汁の味がする米と羊肉だ。
多少ワイルドな味わいがするが、この組み合わせで間違いが起きるわけがない。
そう思い、僕はサクサクとスプーンを進めた。
メテムも勢いよく食べてたが、同時にサーブされたスープが気になったようだ。
「おい、ユウキ、そのスープこっちによこせよ」
そう言われて僕はメテムの方へスープを渡した。
香りを確かめるように可愛らしく顔を皿に近づける。
「ふむ、これはヨーグルトスープだな」
「ヨーグルトスープ?」
「うん、酸味の強い香りがする」
そう言うとメテムはヨーグルトスープらしきものを口に入れた。
「うーん……」
「どう?」
「いや、ハズレじゃないんだけど、なんだってこれを一緒に持ってくるのかが分からんって感じ」
「どれどれ……」
メテムに続いて飲んでみると、確かに酸味の強いヨーグルトの味がする。
まずくは無いのだけれど、これだけ飲むとなると味が強すぎる。
「この地域に住むやつの味覚には合うのか……」
メテムが不思議そうに感想を言った。
「まあ全く文化が違うからねえ。そんな事言ったら日本人の味噌とか醤油だって変わってると思われるし……」
「まあいいけど……ってユウキ、おい」
「どうしたの?」
「お前違うぞ、あれ見てみろ」
ちょっと大きな声を出しながらメテムが指したのは別テーブルの人々だった。
手元に注目すると、黄色い米と白いスープが見える。
間違いない、彼らもマンサフを頼んでいるようだ。
「あいつら、このスープ、米にかけてるぞ」
「え? そうなの?」
「うん、ちょっと見てみろよ」
メテムの声に従って彼らを凝視する。
すると彼らはヨーグルトスープにスプーンを入れると、それを直接飲むのではなく、ライスと羊肉の上に大量にかけ、そして合わせて口に運んだ。
「なるほど……これってそう食べるのか……」
ようやく腑に落ちた僕たちは、スープを米にかけて食べたのだった。
「お客様、おまたせしました。当店そして当国名物の料理、クッペナイエでございます」
そう恭しく差し出された皿には、羊の赤い肉をペースト状のものが綺麗に置かれていた。
同時に白いクリームソースが入っている皿が置かれる。
「ユウキ、これか、クッペナイエとやらは」
「そうみたいだね、どうやって食べるんだろう」
そう思っていると、隣に立っていたウェイターが僕らに丁寧に話しかけてきた。
「お客様、クッペナイエは食べられたことありますか?」
「いや、初めてです。僕たちはこれを楽しみにきたんですよ」
「それでは私が準備しましょう」
そう言うとウェイターはクッペナイエに白いソースをかけ、それからオリーブオイルと幾つかの香草を入れる。
その後にそれらを全てミックスにして、小奇麗に仕立て上げた。
「お客様、是非お楽しみください」
クッペナイエを準備すると、ウェイターはそうやって後にした。
「ユウキ、これ私かなりそそられるんだけど」
そう言うとメテムは待てないかのように(まあ実際待てないんだろう)、クッペナイエをスプーンで手元の皿に移し、それからすばやく口に入れた。
「う、こ、これは……」
この出だしはもう過去に何度も体験したことがある。
よほど美味いか、よほど不味いか、のどちらかだ。
「美味い、これは美味い……」
そうただ一言だけ発すると、メテムは皿のクッペナイエを次々口に入れた。
僕はと言えば、メテムに取られないように自分の分を皿に取り分けた。
スプーンでクッペナイエを掬う。
匂いを嗅ぐとガーリックの強烈な匂いがした。
この白いソースはガーリッククリームソースのようだ。
メテムのリアクションからハズレではないのを知っていたので、僕は一息でクッペナイエを口に入れた。
口に広がるのは、ガーリックの強烈な味、オリーブオイルの滑らかさ、そして生肉独特の濃厚な味わいだった。
今までに食べたことがない味だったが、敢えて言えば羊肉はネギトロのような味わいが近い。
それもガーリックと脂の練り込まれたネギトロだ。
「メテム、これ、抜群に美味しいんだけど……」
僕が自然に言うと、メテムも同様だったのか、食べながら頷いた。
「ユウキ、これ旨いや。私の世界じゃ羊肉は焼いて食べるもんだけど、この世界じゃ生で食べるんだな。いや美味いぞこれ」
一気に話しながら、同時にメテムは次々とクッペナイエを口に運ぶ。
「このオリーブオイルがまた良い脂っこさを出してるんだよなあ」
「そうだね、滑らかさが違うね」
「そしてこの香草がガーリックの強烈さを柔らかくしている」
「うんうん」
「もちろん極めつけはこの生肉。普通考えないぞ、羊肉をそのまま食べるだなんて。お前の国でも食べないだろ」
「うんうん、日本じゃ焼いて食べる文化はちょっとあるんだけど、それにしたってこの食べ方は初めてだよ。そして抜群に美味い」
「だなあ、この世界も広いや。まだ私の知らない食べ方があるだなんて」
そう言いながら僕たちは取り合うようにしてクッペナイエを食べた。
「いやー、美味かった美味かった」
料理を食べ終わると、メテムは満足したようにお腹をさすった。
とは言っても今は魔法で出来たドレスを着ている。
白いレースの上からさすったので、妙に色っぽい仕草に見えた。
メテムとの会話を楽しみながら、ウェイターにお礼を良い、お会計をすませる。
そして出口まで案内されて、ご丁寧にもドアの外までお見送りの人がついた。
「お客様、当レストランはいかがでしたか?」
「いやもう大満足だったよ。クッペナイエは抜群だった」
メテムは大満足にウェイターに告げていた。
「あなた方のような上品な二人にお越しいただいて大変嬉しく思います。また是非お越しくださいね」
そう言われながら僕たちは店をでた。
あとはホテルへ向かうだけだ。
と、そう思った時、一瞬強い光が僕たちから発された。
何が思ったのか。
不思議に隣をみてみると、メテムが「しまった」という様な表情を迎えている。
そして見れば僕たちはいつもの小汚い格好へと戻っていた。
「お、お客様、その格好は一体……」
僕らの変化に硬直しながらもウェイターが声を出す。
「あは、ははは……」
苦笑いをしながら、僕たちは一目散に逃げるようにして通りの人混みへと消えたのだった。




