マチュピチュ
車両からは、地鳴りのような振動が続く。
その振動は、窓際に乗せた肘から僕の体に直接伝わってくる。
外に広がる荒涼とした景色がそれに合わせて微妙に震える。
僕たちは今、そんな荒れ果てた地を通ってマチュピチュへと向かっている。
乗っているのはペルーレイルという列車で、クスコからマチュピチュに向かう専用車だ。
三つのクラスに分かれていて、乗っているのはちょうど真ん中のビスタドームというセカンドクラスだ。
本当はファーストクラスのハイラム・ビンガムに乗りたかったのだけれど、料金がべらぼうに高かったから妥協したのだ。
しかしセカンドクラスと言っても立派なもので、綺麗な座席とテーブルクロスが敷かれた机が備わっている。
サービスで軽食がついてきたのだけれど、これもパンにハムやチーズなどが付き、結構豪華だった。
ビスタドームの車両は側面以外にも天井に大きな窓がついていて、地面以外の全方位から外を眺めることが出来る。
これはなかなか乙な作りだ。
「しかしどんなところなんだろうなあ」
僕が外を眺めてると、メテムが呟く。
「イメージ湧く為に写真見てみる?」
そう言ってスマホを取り出そうとすると、メテムは手でそれを制し、首を横に振った。
「しかしえらい山奥に入るもんだなあ……」
確かにメテムの言う通り、もうさっきからかれこれ三十分近く山を進んでいる。
「まあ僕たちの世界でも有名な秘境だからねえ」
肩をすくめながらメテムに返答した。
「こんなところに作るんだから、どの世界のやつも考えることは一緒、か……」
遠くを眺めながら口から息を吐くようにしてメテムが声を出した。
それから何の気なしにメテムを眺めていると、後ろから扉の開く音が聞こえてきた。
誰か来たのかと思って覗き込んだら、しっかりと身支度を整えたウェイターが籠を抱えながらやってきた。
「お客様、何かお困りのことはありませんか?」
綺麗に作られた笑顔を浮かべながら、柔らかな物腰で訪ねてくる。
僕は特に困ってはいなかったので、尋ねるようにしてメテムの方を見る。
「んー、ちょっと喉乾いたなあ」
視線をこちらに向けること無くメテムが言った。
するとウェイターは籠から一本の黄色いペットボトルを出した。
「こちらはいかがでしょう」
そう差し出すそれは僕たちには見覚えがなかった。
「なんです? それ」
当たり前の疑問をぶつける。
「インカコーラです。この地域ではポピュラーな飲み物ですよ」
ウェイターは少し自慢気になりながら答えた。
インカコーラ、初めて見る飲み物だ。
僕はウェイターにお金を渡して購入した。
そしてメテムに渡す。
メテムは相変わらず外の景色を見ながら、インカコーラの蓋を器用に口で開け、中身を飲んだ(蓋はプッと隣に吐き出していた)。
「ん? これ、なかなかいけるじゃないか。なんだかエナジードリンクの味がするぞ」
そう言うとようやく満足そうに笑顔を浮かべた。
大きく軋む音を立てながらビスタドームが止まる。
どうやらようやくマチュピチュへ到着したらしい。
と言ってもたどり着いたのは遺跡ではなく、マチュピチュ村だ。
ここから更にバスで行った先に遺跡はあるらしい。
やれやれ、もうひと踏ん張りが必要だ。
いつものようにメテムが軽快に列車を降りていったので、僕は慌てて後を追った。
列車から降りた先の光景は、意外にも土産物屋やレストランが並んだ賑やかな光景だった。
「メテム、見てよ。結構栄えてるんだね」
「まあ、観光地だからこんなもんだろ。見ろよ、大半が土産物屋だぞ」
メテムは周りを見ながら呆れたような口調で言った。
「しかし……結構ガスってるな。大丈夫か、現地」
空を眺めながら呟くメテムに、僕も頭上を仰ぐ。
確かに灰色の雲がなびき、今にも一雨降りそうな気配だ。
「まあ、どうだろうね。雨で入れなかったら明日行きなおせばいいよ」
明るい声でそう返した。
先にも記したように、村から遺跡へはバスで移動する。
バスターミナルは村の目立つ位置にあるので、迷うこと無くバスを見つけることが出来る。
僕たちも早速乗り込んだ。
そして舗装されていない道路に耐えながら三十分ほど経つと、ようやくマチュピチュ遺跡へ到着だ。
遺跡入り口でバスを降りる。
眼の前にはチケットセンターがあった。
「んー、ここからはまだ見えないのな」
メテムが呟いた。
確かにまだ遺跡は見えない。
チケットセンターの説明によるとまだ歩かないといけないようだ。
二人分のチケットを購入し、入り口のゲートを通り、僕たちは先へ向かう。
ここからは平坦な道は終わり、階段になるようだ。
少し驚いたことに階段は舗装され、手すりがしっかりついている。
邪推すると、まあ舗装されて手すりがついてるということは、過去に転げ落ちた人でもいたのだろう。
雨だから気をつけなければいけない。
階段を一段、また一段と登る。
普段あまり段差のあるところを登らない僕には結構キツイ。
思わず肩で息を切らせながら登る。
「タバコでも吸ってるのか?」
前を見るとメテムがニヤニヤしながら、タバコを吸う仕草をしていた。
「はぁ……はぁ……しょうがないでしょ……こんな段差が……あるなんて……知らなかったんだから……」
本当にタバコを吸ってるような感じで息をしながら僕はメテムに返事をした。
やれやれ。
そんな風に言いたげにしながらメテムが肩をすくめた。
「お、ユウキ、見えたぞ! 見えたぞ!」
しばらく歩いていると前方からメテムが大きな声を上げた。
おそらくマチュピチュが見えたんだろう。
僕も頑張って向かう。
そして立ち止まっているメテムにたどり着き、その視線を追う。
果たしてその先には、写真でしか知らない伝説の秘境、マチュピチュが佇んでいた。
「ひょー、これは凄いな……」
メテムが視線を外さずに言う。
「そうだねえ、これこそが秘境だねえ……」
僕も動くことなく答えた。
その先には何百年もひっそりと眠っていたマチュピチュがしっかりと見える。
ガスってるため若干薄暗いけれど、かつて多数の人が住んでいた住居や、神殿跡地、そして後ろに聳える山ワイナ・ピチュがはっきり見える。
ついに、ついに僕たちは遠いペルーの山奥にあるマチュピチュにたどり着いたのだ。
達成感に身を包ませながら、僕はマチュピチュを眺めた。
「しかし、こんなところに作るんだから、よっぽど人から離れたかったんだろうな」
「うんうん、征服者に逃げて逃げて作ったらしいよ」
「そうだろう、そうだろう。しかしこりゃ見事だ」
そう言うと僕らはしばらく立ちすくんだ。
「よし、ユウキ、あっちの居住区域に行ってみよう」
メテムが前方を指さしながら言った。
「良いね」
僕も元気よく答える。
そんなメテムは僕の言葉を待たずに身を翻し、元気よくステップを踏んだ。
「メテム、メテム」
僕は慌てて声をかける。
「ん? どうした?」
「ガスってて地面がスベスベになってるよ。気をつけて」
そう言うと石で出来ているマチュピチュの床を指した。
メテムはそれを見てフンッと鼻で返事をした。
そんなものに滑る私じゃないからな。
そんな心の声を聞いて心配になった僕は、メテムのすぐ後を追った。
「なんだよ、ユウキ。そんなぴったりくっついて……」
「いやほら、危険だからさ……」
「お前な、だーれに物を言ってるんだ? こんなんで滑るわけないだろ……」
声を高らかに上げて抗議するメテム。
が、その途端、湿気っている石畳の上を滑るようにバランスを崩した。
「うわっ」
声を出して崩れるメテム。
僕はすぐに後ろから抱きかかえるようにして支えた。
メテムの軽い体重を受けながらも、しっかりとその場で踏ん張る。
「……言っとくけどな……」
僕に体を預けたままメテムは言う。
「わざとだからな……わざと……」
具合が悪そうに呟く。
「あ、ユウキ、あそこ見ろ」
僕の体に支えられた状態のままメテムが前方を指さした。
釣られるようにして眺めたその先には、山々の間から虹が浮かび上がっていた。
「ようやっと、晴れてきたってわけか」
メテムは僕の体を押しのけるようにして立ち上がり、そのまま居住区へと向かった。
マチュピチュと言えば、先に上げたような構図でしか僕は知らない。
まあ殆どの日本人はそうだろう。
だから写真で映っている居住区の実際の作りは全くわからない状態だった。
メテムの後に続いて向かうと、その先には多数の家の跡地が残っていた。
各住居には部屋のような仕切り跡まである。
「ここは本当に街だったんだねえ」
感動するように僕はメテムに言った。
「そりゃそうだろ。沢山の人が住んでたんだろうな」
「僕ほら、こっち側って写真見たこと無かったし。ってメテム、今来た方向を見てよ。段々畑になってる」
僕は振り返って後方を指さした。
「驚いたなあ。有名な写真の反対側はこうなってたのか……」
意外な作りに呟かざるを得なかった。
しばらく歩いていると、遺跡の中から変な動物が現れた。
「お、アルパカだ」
「アルパカ?」
「なんだよ、お前知らないのか? こいつ、アルパカって言うんだぞ」
そう言うとメテムはチッチッと口を鳴らす。
すると不思議な事にアルパカはメテムに向かって歩いてきた。
そして体を預けるようにすり寄ってくる。
「メテムって動物本当に扱い上手いね。いつぞやどっかでも、羊相手にそんなことしてたでしょ」
アルパカを抱きしめ首元をさすってあやすメテムに言った。
「良い子だ良い子だ。お前、結構良い肉付きしてるじゃないか。美味しくなるぞー」
「ちょっと、何変なこと言ってるのさ」
「変なこと? お前本当に何も知らないな。アルパカ、美味いんだぞ。ソテーにすると」
「んもー……。この世界じゃ誰も食べないって……」
そんな事を言いながら僕はアルパカを眺めた。
「メテムー、そこはさっき通らなかったっけ?」
僕は力なくメテムに答えた。
「んー、だとしたら右かな?」
そう言うとメテムの姿が右手に消える。
慌てて後を追うと、行き止まりの壁を前にして腕を組んでいるメテムがいた。
そう、笑っちゃう話だが、僕たちは今道に迷っている。
マチュピチュなんて小さな遺跡だからと適当に進んでいったのだが、意外に広く、そして入り組んでいるようで、今どこだかわからなくなったのだ。
途中、観光客とすれ違う事があるのだが、彼らも同様に迷ってるらしく、結果皆してグルグル回っているのだ。
「不思議だ……なぜこんな分かりづらい設計にしているんだ……」
メテムが心の底から疑問の声を上げた。
「だよね……誰も攻めに来ないってのに……」
僕も疲れて途切れ途切れになりながら返事をした。
「わがらん……まじでわがらん……作りの意図も、そして今いる場所さえも……」
そういうメテムと、そしてその先を眺める。
すると何やら標識のようなモノが見えた。
「メテム、あそこに何か無い?」
そう伝えると、メテムも標識を見つけたのか、救いを求めるようにして進んだ。
そして標識の前に立つと、腹を抱えて笑った。
「どうしたのー、なんて書いてあるのー」
後ろからメテムに声をかける。
「あっはっは、ユウキ、来てみろよ。誰も同じ思いだってことだ」
笑うメテムが気になり、標識へ向かう。
そしてそこにはこう書いていた。
「出口はこちら」
「しかし大変な目に遭ったねえ」
村に戻った僕たちは、お腹が空いていたのでレストランへ駆け込んだ。
待ってる間にメテムに話しかける。
「まあ、誰もさ、同じ目に遭ってるってことだな」
標識を思い出したのか、ニヤニヤしながらメテムが答えた。
「全くだよ……」
僕もお腹が空いたのも相まって元気なく答えた。
しばらくゆっくりしていると、後方からウェイターの声と、同時に皿がテーブルにサーブされた。
「本日の特製ランチです」
そう出された皿には美味しそうなお肉とポテトが乗っていた(ついでにインカコーラもあった)。
「これなんだろう。チキンじゃないっぽいし……」
不思議そうに肉を眺める僕にウェイターが言った。
「こちらアルパカのお肉です」
「え? アルパカってあのアルパカ?」
思わず聞き返す。
ウェイターは表情変えずに「イエス」と僕に言った。
「はっは、ユウキ、良かったじゃないか。さっき言ったろ、アルパカは美味いんだぞ」
先程のやり取りを思い出したのか、ケタケタとメテムが笑う。
僕は可愛いアルパカを思い出し、イマイチ乗り気になれなかったが、渋々肉を口に入れた。
「どうだ、ユウキ、いけるだろ」
「う、美味い……」
消え入りそうな声で返す。
あの可愛いアルパカの肉は、淡白だけれども、柔らかく、それでいてハーブが効いていて美味しかった……。




