061 AIによる大失業時代のコメリカに転移
コメリカが第4フェーズへと移行し、新ディープステートによる完全UBIとデジタル配給網が敷かれてからしばらくが経ったある日 。
外の世界の劇的な変化をよそに、地下5階セーフハウスのリビングは、いつもと変わらぬ穏快な空気に包まれていた 。
フィクスはソファに深く身を預け、手元の磁器カップから立ち上る深煎りコーヒーの香りを静かに愉しんでいた 。その横では、アリタが手際よくマホガニー調の本棚を整頓している 。
ホログラムのフェイクウィンドウに映し出された穏やかな風景を眺めながら、フィクスはふと思い立った疑問を口にした 。
「ねえ、ジェミニ。少し気になっていることがあるんだ」
可憐な姿のジェミニが、ソファの肘掛けへ移動して軽やかに腰を下ろすようにホログラムを揺らした 。
『なにかしら、フィクス?』
「第3フェーズの、あの過酷な混乱期のことだよ」
フィクスはカップをテーブルに置き、少し真剣な目つきになった 。
「生き残るために、強奪や不法占拠、自警団としての暴力……そういった法に触れるようなことをせざるを得なかった人々がたくさんいただろ? 第4フェーズに入って社会の治安が回復してきたけれど、彼らはこれから、かつての行いを問われて裁判にかけられたり刑務所に送られたりするのかな?」
その問いに、ジェミニはくすりと小さく鼻を鳴らし、人差し指をチッチッと左右に振ってみせた 。
『結論から言うとね、旧時代の国家の法律に基づいて裁判所で裁かれて刑務所に送られる……なんて意味での“従来の法的責任”を問われる可能性は、限りなくゼロに近いわね』
「へえ、ゼロに近いのかい?」
『だってそうでしょ? 旧時代の法体系も司法組織そのものも、第3フェーズの混乱ですっかり解体しちゃったんだもの』
ジェミニはホログラムの脚を組み、説明を続けた 。
『新ディープステートのCEOたちにとって、旧国家の刑法なんて過去の遺物なのよ 。旧市街で生き残るために泥棒や小競り合いをしていた何百万もの人間を、一人ひとり裁判にかけて投獄するなんてコスト的にも不可能なの 。だから彼らは、実質的な“一括リセット”を選んだわけ』
「一括リセット……恩赦のようなものか」
『そう! UBIや無償インフラの配給網を敷く際、過去の食料強奪や無許可の開墾みたいな軽犯罪は問われず、全員に“初期アカウント”が付与されるの』
「なるほど。じゃあ、完全に野放しというわけか」
『甘いわよ、フィクス』
ジェミニはいたずらっぽく口元を歪めた。
『例外はあるわ 。第3フェーズ中に要塞エリアやデータセンター、通信衛星や配給ドローンみたいな“プラットフォームの重要インフラ”を直接攻撃した奴らは別よ 。彼らは裁判なんてまどろっこしいものじゃなく、AI監視カメラと顔認証でアカウント凍結や追放、あるいは防衛ドローンで直接処理されるわ』
「配給ドローンみたいな“プラットフォームの重要インフラ”を直接攻撃した奴らは別か……。うちの防衛要員になってるマーカスのギャング団は配送中のドローンを落として物資を奪うようなマネ、やってそうだよね。……かなり微妙な立場じゃない?」
『ふふ、鋭いところを突くわね! プラットフォームの自動配送ドローンを撃墜して資材や食料を強奪していた事が重要インフラへの直接攻撃と見なされるかどうかは微妙ね』
フィクスは少しだけ声をひそめた。
「AI監視カメラのログ、少しばかり細工してもらえないかい」
『あら、不法に改ざんをしろと?』
「飢えて死ぬかもしれない時に配送ドローンから食糧を奪うのは正当な自己防衛だとぼくは思うのさ」
『うふふ、その理屈、気に入ったわ! 処理してあげるわ。彼らは新体制のデータベース上では、ただの“従順な旧市街の生存者”として登録されるようにね』
「ありがとう」
フィクスは安堵の息を漏らすと、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。そして、ふと思いついたように顔を上げる。
「それとさ——」
『親切ね』
「雇用主としての義務だよ」
アリタがにこりと笑ってフィクスに新しいコーヒーを差し出した。




