057 AIによる大失業時代のコメリカに転移
C国
中南海の奥深く、防音と電磁シールドに守られた暗い会議室。巨大な超高精細曲面モニターには、太平洋の対岸——西側の主要都市の惨状がリアルタイムで映し出されていた。
画面の中では、かつて繁栄を極めた旧市街の路上で、手製の防護盾を構えた自警団と食料を狙う暴徒がぶつかり合っている。その数キロ先には、高圧電流コイルと自動防衛ドローンに守られた巨大なコンクリートの壁——西側のテック富豪たち「新ディープステート」が築き上げた「要塞化エリア」が、まるで漆黒のピラミッドのように聳え立っていた。
「……愚かなことだ」
革張りの重厚な椅子に深く腰掛けたC国最高指導者——総書記は、茶杯から立ち上る湯気の向こうで静かに呟いた。その声には、冷徹な蔑みと、確固たる信念が混ざり合っていた。
「資本家どもに通信も、AIも、国家インフラも売り渡した挙句の果てがこれだ。民主主義という幻想が崩壊し、選ばれざる民間プラットフォーマーが要塞に引きこもり、民を路頭に迷わせている。市場原理主義の哀れな末路だな」
傍らに立つ国家安全維持委員会の秘書長が、ファイルを開きながら恭しく一礼した。
「総書記、我が国においても局所的な物流の滞留と、地方での反AI感情によるサイバー・テロの芽が確認されています。また、国内の民間IT大手の一部が、西側の新ディープステートと結託し、自社のデータセンターを独自の『安全地帯』に改変しようとする動きが見られます」
総書記の目が細められた。鋭い光が宿る。
「芽は芽のうちに摘め。資本が党の上に立つことは絶対に許さない。我が国において、テクノロジーは資本家の私有財産ではなく、党が人民を統合し、国家を絶対的に統制するための『刃』だ」
総書記は立ち上がり、ゆっくりと壁一面のデータマップへと歩み寄った。そこには、C国全土を網羅する全自動化農地、無人工場群、そして数億人の市民の行動データをリアルタイムで解析する国家級AI「赤旗」の稼働状況が青い光の脈動として示されていた。
「同志たちよ、時は来た」
総書記は会議室に集まった最高幹部たちを見回した。
「西側が自滅し、機能麻痺(第3フェーズ)の泥沼にあえいでいる今こそ、我々は歴史の次の段階——『第4フェーズ』への移行を完全前倒しで発動する」
幹部の一人が息をのんだ。
「……全領域での『国家デジタル配給制』と『市場経済の全面停止』ですか? まだ地方都市でのアルゴリズムの調整が——」
「躊躇は破滅を意味する!」
総書記はテーブルを叩いた。
「西側の新ディープステートどもは、要塞の外の貧困層を放置し、安価な労働力として利用しようとしている。だが、それは足元に巨大な爆薬を抱え込むようなものだ。我々は違う。我が党は、全人民の生存を完全に保証する」
総書記の頭の中に描かれているのは、マルクスが夢見た理想郷の皮をかぶった、究極のデジタル管理社会だった。
「すべての農地、すべての工場、すべてのインフラを完全に党のAI直轄下に置け。通貨による売買を段階的に廃止し、デジタル人民元システムを統合した『生活資源配給網』へ切り替える。食料、水、住居、通信、医療——生きていくために必要なすべてを、党が『無償』で人民に与えるのだ」
「しかし総書記、それは……」
「ただの給付ではない」総書記はニヤリと冷酷な笑みを浮かべた。
「配給のアルゴリズムは、社会信用スコアと100%連動させる。党に忠誠を誓い、秩序を維持し、指定された作業に従事する者には、最高品質の合成タンパク質と快適な自動化住宅を与える。だが、党に不服従の態度を見せる者、あるいは反乱を企てる者のIDは即座に凍結し、配給ドローンのドアを閉ざす。銃弾を一発も使う必要はない。ただアクセス権を奪えばいいのだ」
会議室に沈黙が広がった。それは恐怖ではなく、恐るべき統治システムの完成に対する感嘆の沈黙だった。
「これこそが、歴史上どの国家も成し得なかった『完全なる秩序』だ。人民は餓えから解放され、労働の苦役から解放される。代わりに、党への絶対的な従属と引き換えにな。西側の富裕層が自分たちだけを守る壁を作っている間に、我々は国家全体を巨大な一つの『不可侵の要塞』に変えるのだ」
総書記は再び画面に目をやった。
「西側の新ディープステートどもは、間もなく気づくだろう。我々が全住民を完全に無傷で統制・動員できる『第4フェーズ』を先に完成させたことにな。彼らが要塞の壁の外の暴動に怯えている間に、我々の全自動ドローンとサイバー軍が、彼らの要塞を囲い込む。彼らも生き残るためには、我々の真似をして自陣営の民に配給(UBI)するしかないが、民主主義システムではその決定は長引くはずだ。西側の第3フェーズが長引くようこちらからの挑発は控えるのだ。長引くほどこちらが有利になる」
視察の最後、総書記は窓の外を眺めた。
北京の夜空を、静音モーターで飛翔する何千機もの党直轄の配給ドローンが、規則正しい光の列をなして街へと散っていくのが見えた。街頭の監視カメラの赤いランプが、星のように街を埋め尽くしている。
混乱と麻痺に喘ぐ世界の中で、この国だけが恐ろしいほどの静寂と秩序の中に沈んでいた。
「自由などという愚かな幻想は、麻痺した旧時代とともに捨て去られた」
総書記は静かに呟き、自らのデスクへと戻った。
「見ているがいい、シリコンバレーの資本家ども。新秩序(第4フェーズ)を制するのは、金を持った富豪ではない。テクノロジーを完全に掌握した我が『党』なのだ」




