044 AIによる大失業時代のコメリカに転移
2036年 第3フェーズ ファームハウス
サンフランシスコ郊外に広がる果樹園の朝は、秋の澄んだ空気と穏やかな陽光の中に明けた。
地上に佇むファームハウスのダイニングルームでは、アリタが淹れ立てたばかりの浅煎りコーヒーのフルーティな香りと、香ばしく焼き上がったトーストの匂いが満ちていた。
フィクスはマグカップを両手で包み込み、温かな液体を一口含んでから、リビングの壁一面を占める大型ディスプレイに視線を向けた。
画面には、GNNの朝の情報番組『グッドモーニング・サンクチュアリ』が映し出されている。ダークスーツに身を包んだ男性キャスターのブライアンと、親しみやすい笑顔の女性キャスター・ケイトが、洗練されたトーンで語りかけていた。
『……旧市街エリアでの停電と断水は本日で42日目を迎えました。警察機能の事実上の停止に伴い、反AI思想を掲げる集団による通信基地局への破壊活動も報告されています』
画面が切り替わり、偵察ドローンからの映像が映し出される。かつて幹線道路だった場所には黒焦げの無人自動運転トラックが無造作に放置され、消えた信号機と途切れた送電線の奥に、電力が途絶えた不気味な旧都市部が伸びていた。食料を求めて無人車両を取り囲む人々の姿は、もはや19世紀の過渡期そのものだった。
「外の混乱は、いよいよ第3フェーズの深部まで進んだみたいだね」
フィクスがトーストにバターを塗りながらぽつりと呟くと、隣で優雅に紅茶のカップを引いていたアリタが静かに首を振った。
「ええ、マスター。流通とインフラの麻痺が連鎖し、旧市街は完全に野放しエリアと化しております。画面の向こうで起きている悲劇は、過渡期における制度の真空地帯が生み出した構造的な悲劇と言わざるを得ません」
『富裕層のゲートコミュニティだけは自前のアトミックネットワークと地下バイパスで「完璧な平穏」を気取っているけれど、中から崩壊すれば、あんな壁なんてあってもなくても関係ないわ!』
フィクスの左手首のバングルから弾け出たジェミニのホログラムが、呆れたように肩をすくめて見せた。
ニュース画面の中では、キャスターたちが「サンクチュアリ・ヒルズ内は地下ライン経由で食材も医療品も通常通り配送されます」と爽やかに市民を安心させている。壁の内側と外側の致命的な断絶を冷徹に見つめながら、フィクスはコーヒーをもう一口含んだ。
ジェミニが思い出したようにポンと手を叩いた。
『あ、そういえばフィクス! 最近この果樹園の周りに、誰かさんの「調査」が入っているのよね』
「調査?」
フィクスがトーストを口に運ぶ手を止め、首を傾げた。
『そう! 果樹園の外苑から誰かが探っているわ』
ジェミニの報告を聞いても、フィクスは慌てる様子もなく、どこかのんきそうにマグカップをテーブルに置いた。
「へえ……。ということは、そろそろ襲撃者が来るのかな」
「おそらくは、旧市街で生き残っているストリートギャングの類かと推測されます」
アリタが静かな手つきでフィクスのカップにコーヒーを注ぎ足しながら、淡々と状況を整理する。
「マスターのご指示通り、襲撃を誘導しやすいよう地上の警備は極めて緩めてあります。地上に配置しているのは、ゴム弾を発射する市販のガードロボットと、敷地境界で警告を発するための小型ドローンが数台だけです。防犯設備としては極めて手薄に見えるはずです」
「それだったら、向こうも十分に食いついてくれそうだね」
フィクスは満足そうに頷き、最後のトーストを口に含んだ。
「物流が完全に死んで警察も来ないとなれば、彼らにとってもここがおいしそうな標的に見えるだろう。……よし、もし本格的な襲撃者が来たら、計画通り僕たちは地下5階のセーフハウスに引きこもろうか。第1層の迷路と第2層の快適なエリアを準備してあるんだから、彼らには存分に防衛要員として働いてもらわないとね」
『いつでも地下へ移動できるよう、転移陣の準備は万端よ』
実体化したジェミニが楽しそうに瞳を輝かせた。
地上の果樹園へと迫る影の存在を感じながらも、コーヒーの香りが漂うダイニングには、揺るぎない確信に満ちた穏やかな朝の時間が流れていた。




