042 AIによる大失業時代のコメリカに転移
2036年 第3フェーズ 旧市街エリア
インフラの途絶から42日が経過した旧市街エリアは、昼なお重苦しい死臭と沈黙に包まれていた。
かつて片側三車線の幹線道路だったアスファルトには、ガラスを割られ、内部を削ぎ落とされるように強奪された自動運転トラックの無造作な残骸が転がっている。街灯や信号機は電力を失って黒く変色し、落書きだらけのビルの壁面には、不法占拠者たちが炊き出しのために燃やすゴミの煙がくすぶっていた。
自治体の財政破綻に伴い警察機能は完全に停止し、ここでは「力」と「資源」だけが唯一の法だ。時折、上空をかすめるように通過する富裕層用の警備ドローンの高周波音に、影に潜む人々は警戒の視線を走らせるが、ドローンがこの見捨てられた街路に降り立つことはない。
その旧市街の一角に立つ、外壁の崩れた7階建ての雑居ビル。
3階の元オフィスと思われる一室は、窓が木板と厚手のシートで固く塞がれ、外部への光の漏れを遮断していた。部屋の隅には、バッテリーから粗雑に引き伸ばされた細いコードの先に、一個のLEDランタンが頼りなげに揺れている。
室内には、先日までの争奪戦で手に入れた物資が雑然と積み上げられていた。保存食の段ボール箱、医療品パック、工業用バッテリー、そして燃料の入ったポリタンク。どれも崩壊した都市においては金以上の価値を持つ宝の山だった。
「傷の具合はどうだ、ベア」
部屋の奥、パイプ椅子に深々と腰掛けた巨漢に向かって、小柄な少年——レオ・ヴァルデス(ブレイン)が声をかけた。18歳とは思えないほど華奢な体に、使い古されたタブレット端末を抱えている。
「痛むか? 警備ドローンのゴム弾とはいえ、至近距離じゃ骨が折れてもおかしくなかった」
190センチを超える巨躯を持つギャングのリーダー、マーカス・“ベア”・ホリスは、無造作にシャツを捲り上げ、湿布が貼られた脇腹を大きな手で擦った。
「かすり傷だ。気にするな」
ベアは低く太い声で笑い、足元に転がっていた保存食の缶詰をひとつ拾い上げると、手慣れた手つきで金属の蓋を破った。
「それより、今回の成果は大したものだぞ、ブレイン。お前が指図した通り、物流ルートの抜け道を張った甲斐があった。自動運搬車をまるまる一台、通信遮断器で足止めして足回りを潰す作戦……見事にハマったな」
「まあ、合格点(まあまあの成功)ってところさ」
レオはタブレットの画面を指で素早くスライドさせながら、素気なく応じた。
「護衛ドローンの到着が想定より15秒早かった。おかげで積載量の八割しか持ち出せなかったし、ベアに怪我までさせた。ルート上の街頭カメラの映像を迂回させて誤認させる処理が、あと一歩甘かったよ」
「八割獲れりゃ十分だ」
ベアは缶詰の肉塊を口に放り込み、豪快に噛み砕いた。
「この缶詰だけで、うちの連中が二週間は飢えずに済む。高価な抗生剤と大容量バッテリーまで手に入ったんだ。他のストリートギャングどもなら、トラック一台襲うのに二人や三人は死人を出しているところだぞ。お前の知恵のおかげで、俺たちは無傷に近い」
ベアの言葉には、若い参謀に対する絶対的な信頼が込められていた。武力だけでは生き残れないこの泥沼の都市で、レオの割り出す情報とインフラの盗電技術、そして冷徹な作戦立案こそが、彼らのチームを生き延びさせている最大の武器だった。
「褒めても何も出ないよ」
レオは小さく肩をすくめたが、その瞳には仲間を守り切った安堵の色が微かに浮かんでいた。彼は手元の端末の画面を消し、静かに息を吐くと、パイプ椅子に座るベアの正面へと足を進めた。
部屋を照らす明かりが、レオの真剣な眼差しを際立たせる。
「……ところで、ベア。今回の襲撃の成果も悪くないが、『いい情報』が入ったんだ」
「いい情報?」
ベアが肉を噛む手を止め、眉をひそめた。
「ああ。ここから少し離れた郊外……広大な果樹園の中に立っている『ファームハウス』のことだ」
レオは声を一段落とし、慎重に言葉を選びながら報告を始めた。
「僕が張り巡らせた情報の網と旧市街の物流データの残骸から拾った情報なんだけどね。物流が完全にストップする直前、あの果樹園のファームハウスに向けて、かなりの量の缶詰や乾燥野菜、医療品、それに工業資材が定期的に運び込まれていたんだ」
ベアの目が微かに光った。
「物資の大量搬入か。……住んでいるのはどんな奴らだ?」
「聞き出したドライバーたちの噂だと、住んでいるのは『変人ITワーカーと女の子』らしい。個人シェルターでも作っている『気取ったテック野郎』の道楽って扱いだったみたいだ」
「ITワーカーと女、ねえ……」
ベアは顎を擦り、思案するように天井を見上げた。
「大停電で身動きが取れなくなった都市部を余所に、そのファームハウスには手がつけられていない莫大な備蓄物資がそのまま眠っている可能性があるわけだ」
「そういうことさ。ただ……」
レオは手元のタブレットを開き、不確定なデータを指で示しながら付け加えた。
「そこの詳しい警備体制までは、まだ掴めていない。単なる見た目通りの古い農家で、怯えたITワーカーが物資に抱きついているだけなのか……それとも、何か警戒すべき防衛策があるのかは不明だ」
ベアは缶詰を置くと、重厚な体を起こしてニヤリと不敵に笑った。
「警備がどうあれ、調べてみる価値は大いにあるな。もし噂通り膨大な物資が残っていて、相手が怯えたITワーカーだけなら……俺たちがこの腐った旧市街で泥水をすする生活にも終止符が打てる」
「同感だ。焦って突っ込む必要はないけれど、まずは偵察を入れてあのファームハウスの周りを洗ってみるよ。警備の隙が見つかれば、次の作戦目標にできる」
「よし、決まりだ。頼んだぞ、ブレイン」
崩壊した都市の片隅で、彼らの鋭い視線が、郊外の果樹園に静かに佇む「箱舟」へと向けられた瞬間だった。




