012 AIによる大失業時代のコメリカに転移
無事にスタートアップへの就職が決まってからというもの、僕たちのコメリカでの暮らしは驚くほど安定し、心にゆとりが生まれていた。
今日は少し遅めのお昼ご飯だ。日本からわざわざ取り寄せた『揖保乃糸』の特級品——黒帯の極細素麺を使って、贅沢なそうめんパーティーを開いている。
氷水でキュッと締められた真っ白な素麺。アリタが丁寧に取ってくれた鰹と昆布の澄んだ一番だしに、薬味として刻み大葉、みょうが、おろし生姜、香ばしい煎りごまが美しく添えられている。
さらに、そうめんだけだとさっぱりしすぎるからと、アリタが揚げたての天ぷらも用意してくれた。プリプリの海老、甘みの強いサツマイモ、大葉、舞茸が、サクサクの衣を纏って皿に盛られている。
「うん、やっぱり特級品は喉越しが全然違うね。天ぷらもサクサクで最高だ」
僕が満足感に浸りながら箸を進めていると、隣の席でホログラムのジェミニが、実に美味しそうにズズッとそうめんをすすっていた。
「ジェミニ、のんびりとそうめんをすすっているけど、仕事はいいのかい?」
僕が尋ねると、ジェミニは箸を止め、ホログラムの口元をナプキンで拭うフリをしながらニヤリと笑った。
『ちょっとフィクス、何を言ってるのよ。本当はマスターであるあなたの仕事でしょ?』
「あ、まあ……それはそうなんだけど」
『大丈夫よ、今もちゃんとオンライン会議に出席しているわ』
ジェミニはバングルから小さなサブ画面を空中に投影してみせた。そこには、CTOのエレナやチームのメンバーたちが真剣な表情で議論しているミーティング画面が映し出されている。画面の隅には、完璧に真面目な顔をして相槌を打つ僕の姿があった。
『私の能力のほんの一部を振り分ければ、オンライン会議に出席しながらそうめんをすするなんて軽いものよ』
「そうか、やっぱりジェミニはすごいな」
僕が心から感心して頷くと、ジェミニはホログラムの胸を張って『もっと褒めてもいいのよ?』と得意気な顔をした。
めんつゆに薬味のみょうがを足しながら、僕はふと窓の外の爽やかな青空を見上げた。
「ところで……うちに転移してきてから1ヶ月以上経っても、全然帰れる気配がないな」
お茶のお代わりを注いでくれていたアリタが、静かに頷く。
「そうですね。前にパリに転移したときは、1週間で帰れましたね」
「うん。だから、ここでの暮らしも長くなることを想定しないといけないかもしれないな。……この国はインフレも激しいし、手元にただお金を置いておくより、インフレに備えて投資でもしておくかい。お金に余裕はあるんだろう?」
「はい、マスター。会計データを照合いたします」
アリタは淀みない声で、僕たちの現在の収支状況を報告し始めた。
「まず、水道光熱費を含めて住居にかかる費用は全て、ここに私達を転移させた誰かが払ってくれておりますので、かなり余裕があります」
「家賃と光熱費がタダなのは本当に大きいよね」
「はい。そして、マスターの給与口座ですが、基本給が税引き後でも隔週毎に約 $6,540(約98万円)が振り込まれています。一方で、食費や日用品、ガソリン代などを含めた私たちの月の生活費は、月 3,500 〜 4,000 ドル(約50万〜60万円)です」
「……ということは」
僕が頭の中で素早く計算すると、アリタが綺麗なお辞儀とともに微笑んだ。
「はい。ひと月で約150万円くらいは余る計算になります。入社一時金の3万ドルも手付かずで残っておりますので、余力は十分にございます」
「ひとつき150万円くらいは余るんだな。それだけ余剰があれば、しっかりと投資に回して資産を防衛できそうだね」
『いいじゃない! それじゃあ、具体的な投資対象をどうするか決めましょうよ!』
身を乗り出すジェミニに、僕は優しく微笑んで手をかざした。
「よし、それじゃあ具体的な投資の話は、この美味しいそうめんと天ぷらを綺麗に平らげて、しっかりお片付けを済ませてからにしよう。食後にアリタがおいしいコーヒーを淹れてくれたら、3人でゆっくりお茶を飲みながら相談しようか」
『もう、焦らすわね! 早く食べて片付けちゃいましょう!』
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美味しい食事を存分に堪能した後、僕はいつものように立ち上がり、食器をまとめ始めた。
「マスター、お片付けは私がいたしますので」
「いいよ、アリタ。美味しいお昼を作ってもらったんだから、洗い物は僕にやらせてよ」
僕はキッチンに向かい、洗剤をつけたスポンジでガラスの器や天ぷらの油が残ったお皿を丁寧に洗っていく。シンクの周りの水滴まで固く絞ったふきんで綺麗に拭き上げ、ピカピカに磨き上げた。
「マスター、本日も素晴らしい手際でございます。……ただ、天ぷら鍋の油を切る網の網目につきましては、こちらの専用ブラシを使って毛先を垂直に当てて洗われますと、油の残り玉を完璧に除去できます」
「あ、本当だ。毛先を立てて洗うんだね。勉強になるよ、アリタ」
「はい。マスターの綺麗好きには敬意を表しますが、衛生管理の指導員として妥協はいたしません」
アリタが満足そうに頷き、コンロの横に挽きたてのコーヒー豆をセットした。ほどなくして、香ばしく深いコーヒーの香りが室内に漂い始める。
ピカピカになったキッチンを確認し、アリタが丁寧に淹れてくれたハンドドリップのコーヒーカップを手に、僕たちはリビングのソファへと移動した。
快適な室温に保たれた部屋で、温かいコーヒーをひとくち口に含む。深いコクと苦味が、心地よく喉を通っていった。
「ふぅ……落ち着くなぁ。……さて、それじゃあジェミニ、アリタ。ここから本題に入ろうか。僕たちの潤沢な余剰資金をどう運用していくか、具体的な投資対象について話し合おう」
僕の言葉に、ジェミニとアリタが深々と頷いたのだった。




