010 AIによる大失業時代のコメリカに転移
「あはは、分かってるって。正式なオファーレターを待つよ」
ジェミニにたしなめられ、苦笑いしながらシートベルトを締めた僕は、ダッシュボードの通信端末からアパートで待つアリタへ電話をかけた。
数回のコール音の後、静かで落ち着いたアリタの声が車内に響く。
『お電話ありがとうございます、マスター。面接はお過酷なものでしたでしょうか?』
「やあ、アリタ! 無事に終わったよ。まだ正式なオファーレターを待つ段階だけど、手ごたえはバッチリだ! 現場のエンジニアも社長も大絶賛してくれてね。月1回程度の出社で済むリモートワークの条件も呑んでもらえたよ!」
電話の向こうで、アリタが小さく胸を撫で下ろす気配が伝わってきた。
『それは素晴らしい知らせでございます、マスター。ジェミニ様のご協力と、マスターの普段からのご準備が実を結びましたね。本当にお疲れ様でした』
「ありがとう、アリタ。だからさ、家に帰ったら『就職の前祝い』をしようと思うんだ。何か美味しいものでも食べて、ゆっくり疲れを癒やしたいなと思ってね」
『承知いたしました。マスターがご帰宅される頃合いに合わせて、最高のお食事とテーブルセッティングをご用意してお待ちしております。どうぞお気をつけてお帰りくださいませ』
「よろしくね、アリタ。それじゃあ今から戻るよ」
通話を切り、僕は軽快な足取りでアクセルを踏み込んだ。サンフランシスコの街並みを抜け、快適な空調が効いた僕たちの部屋へと車を走らせる。
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2時間ほどのドライブを経てアパートに到着すると、玄関ドアを開けた瞬間から、香ばしいバターとハーブの芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
「おかえりなさいませ、マスター、ジェミニ様」
玄関で待機していたアリタが、美しい動作で深くお辞儀をして出迎えてくれた。僕が着ていた上着を丁寧に受け取り、ハンガーへと掛けてくれる。
「ただいま、アリタ。部屋の中がすごく良い匂いだね」
「マスターのご帰宅に合わせて、メインディッシュの焼き上がりを調整いたしました。どうぞお召し上がりください」
ダイニングルームへ向かうと、そこには洗練されたレストランのような食卓が作られていた。
メインは、表面がパリッと香ばしく焼かれた「カリフォルニア風ローストサーモンのディルソース添え」**と、柔らかく煮込まれた**「骨付き鶏もも肉のトマト&ハーブ煮込み」。サイドには、ガーリックの効いたマッシュポテトと、彩り鮮やかな温野菜のグラタンが並んでいる。
「うわぁ……! すごいご馳走だ! アリタ、短時間でこんなに作ってくれたのかい?」
『ちょっとアリタ! 私の分の視覚データも完璧じゃない! カロリーを気にせず眺められるのはホログラムの特権ね!』
バングルから飛び出したジェミニが、食卓の上で浮遊しながら嬉しそうに声をあげる。
「さあ、マスター。どうぞお席へ」
アリタが椅子を引いてくれ、僕たちはさっそく「前祝い」の晩餐を開始した。
冷えたスパークリングジュースで乾杯し、ローストサーモンにナイフを入れる。しっとりとした身と爽やかなディルの香りが口いっぱいに広がり、長時間の運転と面接の緊張で疲れた身体にしみ渡っていく。
「本当に美味しいよ、アリタ。外のレストランで食べるよりずっと落ち着くし、美味しいな」
「マスターにお気に召していただけて光栄です」
アリタが静かに微笑み、グラスに飲み物を注ぎ足してくれた。
「それで、マスター。本日の対面面接はいかがでしたか? どのような議論が行われたのでしょう」
「それがね、すごかったんだよ」
僕はスープを口に含んだ後、楽しそうに面接の様子を話し始めた。
「僕の秘策っていうのがさ、ジェミニに僕の身体と声帯を直接操ってもらう『生体ジャック』だったんだ。だから、面接官がホワイトボードに難解なAIの数式やコードを描き始めた瞬間、僕の体が勝手に立ち上がって、スラスラと高度な理論を書き加え始めたんだよ」
『フフン! 面接官の二人とも目を見張って感動してたわよ! 私の完璧なコントロールにかかれば、どんな難しい質問も即答なんだから!』
ジェミニがホログラムの胸を張る。僕も苦笑しながら頷いた。
「本当に凄かったよ。僕の口から一度も聞いたことがないような高度な専門用語が連射砲みたいに飛び出してさ……。僕は自分の体の中で『はえ~』とか『ほえ~、なるほど全くわからん!』って心の中で感嘆しながら、特等席で講義を見ている気分だったよ」
僕の話を聞いて、アリタも珍しくクスリと小さな笑みを漏らした。
「マスターの意識はそのような状態だったのですね。ですが、AIの不正利用を警戒する面接官の前で、遅延なく生身の対話を成立させるには、確かにそれ以外に方法はございませんでした。無事に突破されて何よりです」
「うん。午後の社長との面談でも、ジェミニが熱狂的なビジョンを僕の声で語ってくれてね。リモートワークの条件も一発でOKをもらえた。本当にジェミニのおかげだよ」
『感謝しなさいよね! まあ、正式なオファーレターのメールが届いて、就職祝いでクレジットカードの枠がプラス50万円されてからが本当の祝杯だけどね!』
「あはは、そうだね」
美味しい料理に舌鼓を打ちながら、面接の裏話で大いに盛り上がる。
一通り食べ終えた後、僕はいつもの習性で立ち上がり、空いたお皿を綺麗にまとめてキッチンへ運ぼうとした。
「マスター、お下げするのは私がいたします」
「いいよいいよ、僕も一緒にやるよ。美味しいご飯を作ってもらったんだから」
僕はキッチンで手際よくお皿を水につけ、洗剤で丁寧に洗い始めた。食べ終わった後のキッチンを綺麗に整えるのは、僕の大好きな時間だ。
水気を拭き取り、シンクをピカピカに磨き上げていると、隣に立ったアリタが僕の手元をじっと観察していた。
「マスター、手際はお見事でございます。……ただ、こちらの煮込み鍋の焦げ付き予防につきまして、洗剤をつける前に少しぬるま湯で浸けておかれますと、フッ素加工を傷めずに水分量を最適に保つことができます」
「あ、なるほど! 力を入れすぎて加工を傷つけちゃうところだったね。教えてくれてありがとう、アリタ」
「いえ。マスターがいつも楽しそうに家事をしてくださるのは大変喜ばしいことです。ですが、プロのメイドとして妥協はいたしません」
アリタが几帳面にふきんの位置をミリ単位で整え、少しだけ誇らしげに胸を張る。ダメ出しをされつつも、そうやって生活の細部をみんなで磨き上げていく時間が、僕にはたまらなく愛おしかった。
「よし、キッチンもピカピカだ! 後はPCの前で、正式な採用オファーのメールを待つだけだね」
快適な室温に保たれた部屋で、美味しいご飯とおしゃべりを堪能した僕たちは、穏やかで満ち足りた夜の時間を過ごすのだった。




