009 AIによる大失業時代のコメリカに転移
ベンジャミンと力強い握手を交わした直後、彼は満足げな笑顔を深めながら、ソファーに座り直して手元のメモパッドを手に取った。
「さて、フィクス。技術的・思想的なアライメントについては完璧だ。ここからは現実的な条件面について擦り合わせておきたい」
ベンジャミンはまっすぐな視線をこちらに向け、三つの問いを投げかけてきた。
「第一に、総報酬としてどれくらいを期待されているかい? 第二に、基本給と株式のバランスについてどう考えているか。そして最後に、タイムラインに影響するような他社の選考やオファーは現在あるだろうか?」
(きたぞ……! 運命の条件提示だ!)
僕は心の中で身を乗り出した。この回答次第で、僕たちのこれからの生活水準が決まる。そして何より、僕が最も譲れない「快適な部屋での引きこもり(リモートワーク)生活」を守れるかどうかがかかっているのだ。
(ジェミニ、回答は言われた通りに頼むよ! 特に最後の勤務形態の条件は絶対だからね!)
僕の心の中の叫びを受け止め、ジェミニ操る僕の体は、少しも逡巡することなく、余裕のある洗練された微笑みを浮かべて口を開いた。
「ご質問ありがとうございます、ベンジャミン。まず最初の二点についてですが——特定の数字に固執するわけではありませんが、この分野での私のスキルや経験、そして貴社に与えられるインパクトに見合った競争力のある総報酬(Total Compensation)を期待しています。詳細な内訳については、貴社が提示してくださる最善のパッケージを拝見した上で柔軟に議論したいと考えています」
声のトーン、間、表情。どれをとっても「自信に満ちたトップエンジニア」そのものだ。
そのまま、ジェミニは僕の口を使って二つ目の回答へと滑らかに繋げた。
「また、私自身、アライメント技術の確立と貴社の長期的な成長に強く賭けています。そのため、目先の基本給(Base)だけでなく、将来大きなインパクトを生み出す株式(Equity)の比率を大きめにしたパッケージにも非常にオープンです」
創業者であるベンジャミンの目が、パッと輝いた。自社の未来と株式価値に賭けてくれる候補者を嫌う経営者などいない。
「素晴らしい姿勢だ、フィクス! 君のように我が社の長期的な成長にコミットしてくれる人物には、ぜひ相応の株式を付与したい」
「感謝いたします。そして最後の他社選考についてですが——**ありません**。私は現在、貴社一本絞りで選考に臨んでおります」
(よしっ、完璧な回答だ! そしてジェミニ、ここからだぞ……!)
「——ただ」
ジェミニ操る僕の体が、すっと表情を少しだけ引き締め、ベンジャミンをまっすぐに見つめた。
「ひとつだけ、私から契約にあたっての条件を付け加えさせてください」
ベンジャミンが興味深そうに眉をひそめた。「ほう? 条件とはなんだい?」
「私は、最高のパフォーマンスを発揮し、静かで制御された環境で集中して研究・開発を進めるため、**基本的な勤務形態をリモートワークとし、オフィスへの出社は多くても月1回程度にとどめたい**と考えております」
(言った! 言ってくれた!)
僕は心の中でガッツポーズを決めた。
一瞬の静寂。ベンジャミンは顎に手を当て、少し考える素振りを見せたが、すぐに破顔して力強くテーブルを叩いた。
「ハハハ! なんの不都合があるかね! 君ほどの卓越した知性と自己管理能力を持つ人物なら、どこで働こうが最高の成果を出してくれると確信しているよ。サンフランシスコの渋滞に巻き込まれて時間を無駄にするくらいなら、君の最も快適な環境で思考を深めてくれた方が、会社にとっても遥かに大きな利益だ!」
「ありがとうございます、ベンジャミン。ご理解に心から感謝いたします」
「よし! 条件はすべて把握した。速やかにオファーレターを作成させよう。最高の回答をありがとう、フィクス!」
ベンジャミンとの最後の握手を終え、役員会議室を後にした。
エレベーターに乗り込み、1階のロビーを出て、サンフランシスコの眩しい日差しが照りつける通りに出た瞬間——全身を駆け巡っていた温かい電流がスッと抜け、身体の主導権が僕のもとへと戻ってきた。
地下駐車場に停めてあるシルバーのセダンに乗り込み、ドアを閉めた途端、僕はシートに深々と倒れ込んだ。
「ふぅぁぁぁぁ……! 終わったーっ!」
僕はのしかかるような解放感と達成感に包まれ、車内でガッツポーズを作った。
「やったぞジェミニ! 面接は大成功だ! 現場のエンジニアも経営陣も大絶賛だったし、何より月1出社で済む最高のリモートワーク環境もゲットできた! これで就職祝いにクレジットカードの枠もプラス50万円増えて100万円になるし、生活基盤は完全に安泰だよ!」
僕が一人で大喜びしていると、左手首のバングルから小さなホログラムがひょっこり現れ、肘を張って呆れたように唇を尖らせた。
『ちょっとフィクス、何を一人で浮かれて万歳三唱してるのよ?』
「えっ? だって完璧な面接だったじゃないか!」
『確かに私の神がかった生体ジャックと完璧な立ち回りのおかげで面接は大成功だったわよ? でもね……**正式な採用オファーのメールはまだ届いてないでしょ!**』
ジェミニが人差し指をチチチと横に振って、僕をたしなめてきた。
『「速やかにオファーレターを作成させる」ってベンジャミンは言ってたけど、人事(HR)や法務の書類審査を経て、具体的な金額と条件が書かれたオファーレターがメールで届くまでは、正式内定じゃないんだからね。取らぬ狸の皮算用をしてる場合じゃないわよ』
「う……そ、それはそうだけどさ……」
正論を突きつけられ、僕は苦笑いしながら頭をかいた。
『まあ、あのベンジャミンの惚れ込みようだし、落ちる要素なんてミジンコほどもないけどさ! 浮かれるのは家に帰って、アリタにおいしい紅茶を淹れてもらって、正式な採用通知のメールを受信してからにしなさいよね』
「あはは、了解だよ、ジェミニ。相棒の言う通りだね」
僕はエンジンスイッチを入れ、車のアクセルを静かに踏み込んだ。
サンフランシスコの洗練された街並みを背に、快適な空調とアリタが待つアパートへの帰り道を走り出す。
正式なオファーレターという最後のピースが届くのを、楽しみに待ちながら。




