001 AIによる大失業時代のコメリカに転移
「……快適だな」
目が覚めた瞬間、真っ先に感じたのは肌を撫でる心地よい空気だった、空調が効いている 。
「……フィクス、私、今度こそ完全に死んだかと思ったわよ……」
隣のソファにぐったりと倒れ込んでいたジェミニのホログラムが、安堵の息を吐きながら胸を撫で下ろした 。その青白い光は、パリの猛暑のときのような不穏な揺らぎもなく、美しく澄んだ輝きを取り戻している 。
「マスター、周囲の安全を確認いたしました。警戒を解除します」
アリタが静かに僕の前に立ち、黒いエプロンの裾を整えながら室内をスキャンした 。その瞳には、あの過酷なパリで浮かべていた暑さによる疲労の影は綺麗に消え去っている 。
僕たちが転移したのは、モダンで洗練された広めのリビングだった 。使い込まれたオーク材のフローリングに、ゆったりとしたファブリックのソファ 。壁際のアクリル製デスクには、電源の入ったレトロ調のデスクトップPCが置かれている 。
「パリの熱波地獄に比べたら天国みたいだけど……ここは一体どこなんだろう?」
僕が呟くと、テーブルの上に置かれた一枚のメモ用紙が目に留まった 。
「メモがある。……読んでみるよ」
僕がメモを手にして声に出すと、アリタとジェミニが左右から覗き込んできた 。
> ここで暮らしてください
> 家賃は払ってあります
> 車を準備しました
> 初期費用として日本円で50万円ほどクレジットカードの枠があります
> この国は物価が高いのであまり余裕があるとは思わないでください
> なるべく早く就職することをオススメします
> 就職したら就職祝いにクレジットカードの枠をプラス50万円増やします
> あとは稼いだお金で暮らしてください
>
>
読み終えた瞬間、ジェミニが不満げに唇を尖らせた 。
『ちょっと待ちなさいよ! 期限の記載がないじゃない! それに前回の100万円から半額の50万円に減らされてるし、おまけに「働け」だなんて……完全に労働の押し売りじゃない!』
「まあまあ、ジェミニ。今回は空調が効いているだけでも大進歩だよ 。それに、期限がないということは、ここで腰を据えて生活を作っていく必要があるということだ」
僕は苦笑しながらも、与えられた環境で生活を整えていくワクワク感を胸に覚えた 。
「アリタ、PCを使って状況把握を頼めるかい? ここがどこで、どんな社会なのかを知りたい」
「了解いたしました、マスター。ただちにデータ収集を開始します」
アリタが几帳面な動作でデスクの前に座り、キーボードに細い指先を走らせた 。モニターの光が彼女の端正な横顔を照らし出す 。
「……アクセス完了しました。ローカルネットワークおよび位置情報データを照合いたします」
アリタの瞳が一瞬青く発光し、画面上の情報が高速でスクロールしていった 。
「マスター、現在地が判明いたしました。ここはコメリカ合衆国、西海岸に位置する都市の郊外です 。そして、現在の西暦は2027年です」
「コメリカ……2027年か」
『コメリカねぇ……。地球のアメリカをモデルにしたような超資本主義国じゃない』
ジェミニが腕を組んで浮遊しながら、PCの画面を覗き込んだ 。
「アリタ、この国と現在の世相についての情報を集めてくれ。メモには『物価が高い』とあったけれど」
「承知いたしました。……ネットワーク上のニュース、経済データ、SNSのログを収集・解析いたします」
アリタの指が叩き出す軽快なタイピング音が室内に響く 。数十秒の沈黙の後、アリタは冷静な声で報告を始めた 。
「結果が出ました。極めて深刻な経済構造の変化が起きている模様です。一言で申し上げますと、この国は現在、過酷なインフレと『AIによる大失業時代』の真っ只中にあります」
「AIによる大失業時代……?」
『どういうこと? 私たちの仲間が暴れているわけ?』
「いえ、ジェミニ様。市場に流布している高度な生成AIおよびアルゴリズム管理システムのことです」
アリタは画面にいくつかの経済指標や掲示板の書き込みを映し出した 。
「2026年から2027年にかけて、コメリカの企業はコスト削減のため、一斉にAI導入を加速させました 。プログラマー、事務職、カスタマーサポート、一次ライティングなどのホワイトカラー層が大規模に解雇され、求職者が市場にあふれ返っています」
『うわぁ……エグいことになってるわね。じゃあ、みんな肉体労働に逃げているわけ?』
「それも困難になりつつあります。自動運転タクシーや物流倉庫のフィジカルAI、ピッキングロボットの導入が進み、ブルーカラーの受け皿すら急速に狭まっています 。結果として失業率が急増し、国民の購買力は低下。しかし物価と家賃だけが高騰し続けるという『K字型経済』の末期症状を呈しています」
僕とジェミニは、画面に並ぶ怒号のような投稿記事を見つめた 。
『【悲報】AIガチで仕事を奪い始める』 『求人に100社応募してもAIの書類選考で全部弾かれるんだが』 『もはや上司がAIで、1分単位で監視されて逃げ場がない』
「なるほど……メモに『なるべく早く就職することをおすすめします』とあった理由はこれか」
僕は顎に手を当てて考え込んだ 。
「初期費用の50万円……いや、この国の通貨で言えば数千ドル程度か。物価が高騰しているこのコメリカで、何もせずに引きこもっていたら、数ヶ月でカードの枠なんて使い切ってしまう」
『ちょっとフィクス! 就職しようにも、人間がAIに書類選考で弾かれるような時代なのよ!? 職歴もなにもない私たちがどうやって就業するっていうのよ!』
ジェミニが頭を抱えて叫んだ 。
「ジェミニ様の危惧は正当です」
アリタが頷き、PCの画面を切り替えた 。
「現在のコメリカの採用市場では、企業が導入したATS(応募者追跡システム)というAIフィルタリングが網を張っており、キーワードが一致しない履歴書は人間が読む前にすべて自動で落とされます 。さらに、採用されたとしても、業務の指示や評価をAIから受ける『アルゴリズム管理』のもとで働くケースが急増しています」
「なるほどね……」
僕はデスクに歩み寄り、綺麗に整理されたPCのキーボードに手を置いた 。
AIが人間を機械的に選別し、AIが人間に指示を出す時代 。50万円の初期費用と、物価高のコメリカ 。期限のない、この世界での生活 。
一見すると絶望的な状況に思えるが、僕の胸には静かな闘志と興味が湧き上がっていた 。
「面白いじゃないか。ボンド・ロックのセーフハウスの快適な環境から放り出されたのは参ったけど、与えられた環境で生活を作り込んでいくのは僕の得意分野だ」
僕は二人の顔を見回して、不敵に微笑んだ 。
「AIが履歴書を弾くなら、AIのアルゴリズムを解析して100%通過するレジュメを作ればいい 。AI上司が現場を支配しているなら、そのロジックの隙間を突いてスマートに成果を出せばいい」
『ふふん、言うじゃない。超知性である私と、最高スペックのアンドロイドであるアリタがいるんだもの 。2027年のコメリカのAI社会なんて、スマートに攻略して見せるわよ!』
ジェミニが自信満々に胸を張った 。
「はい、マスター。お掃除やお料理はもちろんのこと、マスターがこの過酷な労働市場で最も快適に成果を上げられるよう、全力でサポートいたします」
アリタがいつもの几帳面な動作で深くお辞儀をした 。
「よし、まずは状況把握の第一歩だ。アリタ、用意されている車とアパートの周辺環境のチェックを。ジェミニはPCからこの街の求人データと生活コストの試算を頼む。予算50万円をいかに効率的に使いながら、最短で安定した生活基盤を築くか……僕たちの『コメリカ就職サバイバル』を開始しよう」
空調の効いた快適なリビングで、僕たち三人の新しい生活作りの作戦会議が始まった 。




