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木村屋のジャンボ蒸しケーキ

しんと静まり返ったセーフハウスの居間。ミントグリーンの内壁が、どこか落ち着いた審美性を室内に与えている。


人間工学仕様の本革ソファに深く腰掛けた僕は、ワークスペースのデスクトップPCから視線を外し、伸びを一つした。企業の監視の目を完璧にくぐり抜けたセーフハウスの中は、ここが最悪の採掘小惑星「ボンド・ロック」の底であることを完全に忘れさせてくれる。


窓の外の景色――サンルームのフェイクウインドウには、ジェミニの計らいで、静かな秋の夕暮れが広がっていた。茜色から深い紫へと移り変わるグラデーションの空に、ちぎれ雲がゆっくりと流れていく。ノスタルジックでどこか寂しげな、けれどひどく心地よい秋のニュアンスが、エアコンの穏やかな気流とともに室内を満たしていた。


「さて、次の物語世界のデータ整理も一段落したし……ダラダラする前に、少し小腹が空いたな」


僕が呟くと、キッチンの方から仕込みを終えたアリタが音もなく歩み寄ってきた。黒いエプロンの裾を上品に揺らし、真面目な顔で一礼する。


「マスター、何かお召し上がりになりますか? 次の転生先への停滞期とはいえ、規則正しい栄養摂取は重要でございます」


「ありがとう、アリタ。じゃあ、今日のデザートは僕が少し手を加えてみようかな」


僕はソファから立ち上がり、快適なキッチンへと移動した。地球直結のデリバリー・ライン――過去の図面ミスで放置されていた輸送主管をジェミニが掌握したことで、地球の最高級ストアから「架空の物流ロス」として完全無料で呼び出せる、僕たちの秘密の生命線だ。


そこから僕が取り出したのは、地球の定番にして至高の菓子パンだった。


「アリタ、今日のデザートはこれを使おう。木村屋のジャンボ蒸しケーキ」


「木村屋の、ジャンボ蒸しケーキ……でございますか?」

アリタが少し意外そうにパチリと瞬きをする。超高性能アンドロイドメイドである彼女のデータベースにも製品名はあったようだが、それをどうデザートに仕上げるのか量りかねているようだ。


「そう。これにギリシャヨーグルトとフルーツを乗せて、仕上げにメープルシロップをかけるんだ。そうするとね、不思議なことに、コクのある濃厚なチーズケーキっぽくなるんだよ」


『ちょっとフィクス! そんな面白そうなB級グルメアレンジ、この私が黙って見てるわけないじゃない!』


僕の左手首のバングルが美しく澄んだ光を明滅させたかと思うと、すぐ隣の特等席にジェミニのホログラムが不敵に胸を張って実体化した。


『私のデリバリー管理で完璧な温度に冷やしておいたギリシャヨーグルト、それに最高級のミックスベリーと純度100%のメープルシロップ! すでにスキャンデータ通りに調理台へ転送済みよ。さあ、全知の超知性を唸らせるほどのチーズケーキ風ビルドを見せてちょうだい!』


「流石ジェミニ、手際がいいね。よし、作ろう」


僕はジャンボ蒸しケーキを丁寧に器の真ん中へ置いた。しっとりとした黄色い生地は、それだけで甘い香りを放っている。その上に、水気を程よく含んだ濃厚なギリシャヨーグルトをスプーンでぽってりと滑らかに乗せる。さらに、色鮮やかなラズベリーやブルーベリーをバランスよく配置し、最後に琥珀色のメープルシロップを惜しみなく回しかけた。


とろりとしたシロップがヨーグルトの白と蒸しケーキの黄色に染み込んでいく様は、それだけで一枚の絵画のようだ。もちろん、料理の後にキッチンを荒らしたままにはしない。使った道具を素早く片付け、全てを料理前と同じ完璧な清潔さに戻してから、僕は二人へと皿を差し出した。


「完成。さあ、食べてみて」


アリタは真剣な眼差しで皿を見つめ、ジェミニはホログラムの身体を限界まで乗り出してスプーンを入れた。


『んん――っ! 何これ、信じられないわ! 蒸しケーキの卵のコクと、ギリシャヨーグルトの爽やかな酸味が完璧に分子レベルで融合してる! メープルシロップの芳醇な甘みが加わることで、本当にレアチーズケーキか、それ以上に濃厚なベイクドチーズケーキの味わいになってるじゃない!』


ジェミニが脳内に響くような歓声を上げ、シミュレーション上のスキャンデータを幸福そうにフィードバックさせている。


一方、アリタは一口を咀嚼し終えると、ふむ、と小さく顎を引いた。


「驚きました、マスター。市販の蒸しケーキという既存の構造物をベースに、水分量と酸味のレイヤーを重ねることで、全く別の『資産』へと価値を引き上げる……素晴らしい知恵でございます。味の調和は申し分ありません」


「お、アリタから高評価だね」


「……ですが、マスター」

アリタの涼しげな瞳が、すっと鋭さを増す。やはりダメだしは健在だった。

「フルーツの配置が中心からコンマ数ミリ右に寄っていたため、スプーンを入れた際の生地の沈み込みにわずかなアンバランスが生じてしまいました。さらに、メープルシロップの粘度に対して、蒸しケーキの吸水速度がコンマ数秒上回っています。最初の一口と最後の一口で、チーズケーキとしての再現度にわずかなグラデーションが発生している点が、私の評価としてはマイナス3点――合計97点でございます」


「はは、やっぱり厳しいなぁ。でも、そのグラデーションによる味の変化も、手作りならではの良さだよ」


僕は楽しそうに笑いながら、自分の分の「特製チーズケーキ風蒸しケーキ」を口に運んだ。

しっとりとした生地と酸味のあるヨーグルト、そしてメープルの香りが絶妙に絡み合い、鼻腔を抜けていく。ボンド・ロックの無機質な岩盤の底にいることを忘れさせる、まさに至高のデザートだ。


フェイクウインドウの向こうでは、ジェミニの操作によってゆっくりと夜の帳が下り始め、満天の星空が広がりつつある。

過酷な宇宙の片隅にビルドされた僕たちの「秘密の城」で、僕らは贅沢な停滞期のひとときを、甘く知的なサバイバルとともに満喫するのだった。


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