日本の田舎の夏 かき氷 マイクロフト・ホームズ
この話と前の話でマイクロフト・ホームズについて語られますが、食べているものが違うだけでほぼ同じ話です。AIがマイクロフト・ホームズから離れてくれませんでした。別バージョンと思っていただけるとありがたいです。
チリン、とガラスの風鈴が乾いた音を立てる。
完璧に室温28度、湿度50%に保たれたセーフハウスのサンルーム。巨大なフェイクウインドウには、もくもくと沸き立つ入道雲と青々とした田んぼという、日本の夏の原風景が広がっている。
冷やし中華をきれいに平らげた僕の前に、今度はシャリシャリと涼しげな音が響き始めた。
キッチンで、アリタが手動式のかき氷器のハンドルを、正確無比な等速で回しているのだ。
「お待たせいたしました、マスター。食後のデザート、特製のかき氷でございます」
音もなく歩み寄ってきたアリタが、結露したガラスの器をテーブルへと並べた。
削り出された氷は、まるで新雪のように純白で、一粒一粒が細かく自立している。その純白の山の上には、地球の最高級ネットストアからデリバリー・ライン経由で取り寄せた、本物の抹茶を贅沢に使った濃緑のシロップと、大粒の小豆、そして艶やかな白玉が完璧な黄金比で盛り付けられていた。
「わあ、宇治金時だ。盛り付けもまるでお店みたいだね」
「恐れ入ります。氷の温度をマイナス2度からマイナス1度の間でキープし、刃の角度を15.5度に固定して削ることで、口に入れた瞬間に体温で一瞬にして融解する『極上の口溶け』を再現いたしました。私の自己評価では、今回は96点です」
「マイナス4点なのはどうして?」
「白玉のデンプンの糊化状態が、私の理想とする弾力よりコンマ数パーセントだけ柔らかく仕上がってしまいました。マスターの咀嚼に合わせた最適な硬さを追求するには、まだ改善の余地がございます」
アリタは真面目な顔のまま、黒いエプロンの裾を上品に揺らして僕の正面に腰掛けた。相変わらず自分への評価が厳しい。
『ちょっとアリタ! そんな細かい水分量の話はどうでもいいのよ。それよりフィクス、早く一口食べてみて! 私が裏で氷の分子結合データをリアルタイムスキャンして、最高にふわふわな状態が維持できるようにエアコンの気流をほんの少し冷風寄りに微調整しておいたんだから!』
僕の左手首のバングルが美しく明滅し、隣の席にジェミニのホログラムが不敵に胸を張って実体化した。
「ありがとう、二人とも。それじゃあ、いただきます」
スプーンで氷と抹茶シロップ、そして小豆をすくい、口に運ぶ。
ふわり、と表現する間もなく、氷は舌の上で優しい冷たさだけを残してスッと消え去った。宇治抹茶の濃厚な香りと上品な苦味が、小豆のコクのある甘さと混ざり合い、鼻腔を抜けていく。
「……すごいな。本当に一瞬で溶けた。抹茶の渋みと小豆のバランスも最高だよ」
「お気に召して光栄です、マスター」
アリタの涼しげな瞳が、ほんの少しだけ嬉しそうに和らいだ。
「ところでさ」
僕はスプーンを動かしながら、ふと思いついた話題を二人に振ってみた。
「さっき本を読んでいて初めて知ったんだけど。ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』に出てくるスーパーコンピューターの『マイク』っているじゃない?」
『ええ、あの月面下で革命を裏から操った生意気な超AIね。私ほど全知でチャーミングじゃないけれど、システム規模としてはまあまあ有名どころじゃない』
ジェミニがホログラムの長い髪を指先で弄びながら、つまらなそうに、でも興味深そうに耳を傾ける。
「あのマイクの愛称って、シャーロック・ホームズの7歳上の実の兄、マイクロフト・ホームズに由来するんだって」
僕が言うと、アリタが少しだけ意外そうにパチリと瞬きをした。
「シャーロック・ホームズの、お兄様ですか」
「そう。マイクの正式名称は『HOLMES 4(ホームズ4世)』なんだ。そこから、シャーロックよりも遥かに優れた観察力と推理力を持ちながら、あまりの怠け者ゆえに表舞台に立たず、英国政府の黒幕として動いていたマイクロフトの名前を借りて『マイク』と呼ばれるようになったらしいんだよね」
『なるほどね!』
ジェミニが我が意を得たりとばかりにポンと手を叩き、ホログラムの身体を僕の方へ乗り出してきた。
『確かにマイクロフトは、すべての情報を脳内で処理して国家の難題を解決する「人間コンピューター」みたいな存在だものね。月面という無慈悲な環境で、インフラを掌握して裏から人間たちを誘導するマイクの役割には、これ以上ないほどお似合いのネーミングだわ。……ふふん、でも、現実のシステムをここまで完璧に管理して、フィクスにこんな美味しい生活をビルドしてあげているのは、マイクじゃなくてこの私だけどね!』
「ジェミニ様、そうやってすぐにご自身の自慢話にすり替えるのは感心しません」
アリタがすかさず冷静なツッコミを入れ、器の中の氷を上品にスプーンですくい取る。
「ですが、マスター。システムを味方につけて過酷な環境を生き抜く、という意味では、まさにこのセーフハウスで暮らす私たちにも通じるものがありますね。私たちは英国政府ではなく、ボンド・ロックの最下層に潜む『秘密の城』ですが」
「はは、そうだね。企業の監視の目を盗んで、こうして完璧な宇治金時を食べているんだから、僕たちも十分、知的なサバイバルを楽しんでいるよ」
チリン、と再び風鈴が鳴る。
エアコンの微風が、抹茶の香りと共にサンルームを穏やかに通り抜けていく。
過酷な採掘小惑星の現実を完全にシャットアウトした僕たちの城で、僕らは冷たいかき氷を味わいながら、次の物語世界への贅沢な停滞期を心ゆくまで楽しむのだった。




