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養子縁組しているのと側妃として嫁しているので、正確にはマリエルは「アドリエ」ではないのですが、統一しています。
彼女の後宮入りから1カ月経った。
フィリクは毎晩のように通っていて、朝まで一緒にいるらしい。いや、寝台で彼女を甘やかしている姿を、多数の侍女たちが目撃している。
寵愛の深さに、懐妊も間近だろうと言われている。
私のときとは違って随分と…と嫌味をわざわざ言ってくる者がいるが、何の痛痒も感じないので、笑顔で対応した。
そもそも、彼女を推薦したのは私で、2年後に離縁が決まっていることも知らないのだろうか。だとしたら、秘匿していない情報すら入手できないなんてと、むしろ哀れに思うくらいだ。
私としては、いつまでそんな蜜月のような状態が続くかといったところ。
蜜月と表現したものの、それはフィリク側のことであって、一方的なものだ。
将来を約束云々が偽りだったとしても、アドリエ嬢のフィリクへの好意は、恋慕ではないと断言できる。あくまで王族への敬意と、学生時代、現在なら職場での仲間意識というところだろうか。
フィリクをずっと見ていて、その彼がアドリエ嬢を見ていたから、よく分かる。
偽りを述べ殿下を躱したのは、王族の婚約に波風を立てたくないという思いももちろんあるだろうが、彼女自身がフィリクを異性として見ていないからだ。
それは、先日見た彼女からも十分窺えた。
どうだろう。
私に対する負い目もあり、フィリクに対して偽っている罪悪感もある中、閨を共にしているというのは。
自分は何とも思っていなくとも、自分を愛している人間に抱かれる気持ちは。
そのうち、彼女もほだされるかもしれない。
想う相手が実在するわけでなく、ひたすら愛を乞う人間と肌を合わせ、繋がっているうちに、情愛が芽生えるかもしれない。
もし、そうなったとして、フィリクがそれを信じられるだろうか。
フィリクにしてもそうだ。
諦めていた恋情が実ったのだ。それも、自分の地位を失わず、誰の気兼ねも要らずに。もろもろの事情は置いておくとして、理性と感情は別物だ。
話しが出た当初こそ、彼女の事情を鑑み、妃に迎えることに否定していた。
しかし、議会の承認は、王太子としての責務と義務になると、自分を正当化することもできる。彼女と後継を作るのは、義務だと。
現状は、義務の範疇を超えているとしても、咎めなどあるはずもない。後継を望まれていることに変わりはないから。
始めは、ただ彼女に触れられる歓びがあるだけだろう。今がそうだ。
だが、彼女には想い人がいると思い込んでいるフィリクは、手に入れられるのは身体だけで、心は決して自分のものにはならない。
抱いても抱いても、彼女の心を開かせることはできないことに。
それに、いつ気付くか。
気付いたとして、耐えられるか。
アドリエ嬢が、フィリクに想いを寄せるようになったとして。
国のために差し出された形になった彼女の言葉を、そのまま受け取れるだろうか。
想い人がいながら、フィリクの立場を思っての言葉ではないのかという、疑いを持たずにいられるだろうか。
彼女が仮に、彼女の真実を語っても、それが事実だと、信じられるだろうか。
ねえ、恋に狂ったフィリク殿下、あなたはどうなさるのでしょうね?
さて、王太子妃教育の方はどうかというと、可もなく不可もなくだそうだ。高位貴族としての下地がない状態から始めたにしては、進んでいる方ではないだろうか。
何せ2年で修了を目標とされているのだ。かなりの詰め込み教育なのは、推して知るべしである。
知識、教養、マナー、語学については、いずれ身に着けられるだろう。
だが、問題はそこではない。
たぶん誰も気付いてはいないのだろうけれど。いや、彼女自身は理解していたか。
殿下がそれを思い知るのは、おそらく手遅れになった後だろう。
それからしばらくして、またも書類の不備が多発するようになった。
決裁が遅れると、すべての業務、関係各所の対処に影響がある。すべて突き返していたが、こうも続くとさすがに一過性ではなさそうなので、陛下に上奏することになった。
そしてその夜。
就寝するために床に入ろうとする時間帯。
護衛が控えめに来客を告げる。
誰何すると、ある意味予想通りで予想外の人物。フィリクだった。
「このような身なりで申し訳ございません。しかし、時間が時間ですのでご容赦ください」
「…構わない」
取り敢えず、応接室に通した。何やら寝室に通す通さないで揉めたらしいが、頑として譲らない護衛に諦めたようだ。
彼女を側妃に迎えてから、私は居を移している。
王太子と妃に宛がわれる私室や寝室からは、最も遠い部屋へ。
「そういえば、側妃様が懐妊なさったそうで、おめでとうございます」
「…ああ」
「お祝いを贈らせていただきましたが、無事そちらに届きましたでしょうか」
「受け取っている。…マリも喜んでいた」
愛称で呼ぶ仲になったのか。まあそれはどうでもいいが。
「それで、こんな夜更けに何でしょう? 火急の用件でもありました?」
「こんな時間に、夫が妻を訪ねる理由など、ひとつしかないだろう」
苦々しい顔で恥ずかしげもなく、よくそんなことが言える。
ふふふっ…と声を立てて笑うと、一層苦みが増した表情をするフィリク。
「何が可笑しい」
「いえ、今まで決まった日の決まった時間しか、私の寝室に来たことのない方が、何の冗談かと思いまして」
可笑しくて可笑しくて笑いが漏れる。
不快そうに歪む殿下などお構いなしに。
「側妃様のお身体を慮ってというお気持ちは、理解いたしますが」
「それなら、拒む理由もないだろう。君はまだ、私の妃だ」
「離婚前提の、ね」
「…何が言いたい」
アドリエ嬢が懐妊したことだけで理由ではないことくらい、想像はつく。彼女の身体を気遣っていること自体は別段疑いの余地はないが。
その程度で、義務と責任しかなかった私と共寝しようなどと、フィリクが思い立つはずもない。
「お帰りください。私が王太子殿下と夜を共にする必要性はありませんので」
「子を成すことだけが共寝する理由ではない」
「それなら尚更、必要性を感じません」
処理の道具としてなど私を侮辱するのなら正式に抗議させていただくし、想い合った男女というわけではないので行為自体に意味を見出せない。
それくらいは、言葉にせずとも察しただろう。
「──…君は、私を愛しているのではないのか」
よりにもよって、そうくるのか。
冷笑が浮かぶのが、はっきり自覚できる。
「愛していましたよ。だから、何です?」
「では、何が問題だ」
「殿下の耳は飾りですか? 随分と愚かになられたようで」
「…何だと?」
「いました、と申し上げました。これ以上の説明が要りますか?」
アドリエ嬢に愛を告げようと抱こうと、本当の意味で得られない苛立ちと焦燥で、仕事ではミスの連続。
愛しても愛しても、返ってこない空虚感。
更に陛下に叱責を受け、失態が重なったことで自信喪失でもしたのか。
自分を絶対的に否定しない、愛をくれる、都合のいい相手として。
私を訪ねて来たのだと。
しかし、フィリクは楽観的なのか能力が退化でもしたのか、今は自分の感情なんかより優先すべきことがあることに、気付きもしていない様子。
納得していないフィリクを護衛に追い出させ、眠りに入る間に、そんなことを思う。
アドリエ嬢が懐妊しているという事実を忘れているのだろうか。私の懐妊中に何があったのかも。
公爵家の私でさえ、堕胎させる毒を盛られたのに、養子縁組したとはいえ、王太子妃に収まるのは元子爵家の令嬢。
ゆくゆくは王妃となる女性が、元下位貴族。
高位貴族や、側妃たちが、このまま黙っているとでも?
そういえば、見舞いの言葉ひとつなかったとふと思う。
関心を持たれないのが常態になっていたので、それがどれだけ非情で非道なことか、今更のように思う。曲がりなりにも、夫だというのに。自分の子を宿していたというのに。
子を喪ったのに平静を装えているのは、フィリクを想うことに疲れ切っていたのと、愛し愛された人の子ではなかったからだろうか。
喪失感はある。哀しみも。けれど、立ち直れないほどの傷でもない。
私の愛は、一方的だった。
フィリクの、アドリエ嬢に向けるものと同じように。
ただ、私の愛は決して報われることがなかったことが、相違点といえばそうなのだろう。
──社交界では、私の噂と並行して、フィリクやアドリエ嬢のことも回っている。
今までは、フィリクの立太子に疑問視するものはいなかったが、執務室での愚行、ここ最近の執務の停滞、元子爵家の令嬢を寵愛していること、同時に私を蔑ろにしていたことが表沙汰になり、声が上がってきているとか。
これまで、フィリクに相応しくあるために、努力してきたのは学業だけではない。
社交、貴族間の調整、孤児院や貧民街などの慰問に視察、福祉の見直し等々。すべて、殿下の隣に立つために、教育の傍ら、頑張ってきたのだ。
それが何を意味しているのか、分かっていないのは、正妃と殿下くらいだろう。ああ、母もか。
父は、私の影響力というものを、十分に理解していた。
母がまともに公爵夫人としての責任を全うしていたら、理解していたはずだし、たぶん、私がこうなるまで父が気付かないわけがなかった。
だからこそ、私の願いを聞き入れてくれたし、今後のことも相談できたのだ。
翌日、執務を粛々とこなしていると、前触れもなく城内が騒がしくなる。
何事か侍女に尋ねると、アドリエ嬢に毒が盛られたとのこと。
想定内とはいえ、動きが早い。
容態を重ねて問うと、処置が早くまた軽めの毒だったことで、母子共に無事とのこと。
それは何よりだが、アドリエ嬢が怯えて取り乱しているらしい。フィリクも怒り心頭だとか。
今回は誰の差し金だろうか。
第二側妃も可能性から排除はできないし、高位貴族で婚約者がいない令嬢もまだいる。軽めの毒だったということは、警告かもしれない。
まあ、下位貴族は幼い頃から毒に慣らすなんてことは必要がないからしないし、その状態で毒の影響が残らなかっただけ運がよかったのではないだろうか。
高位貴族ならともかく、普通に生きていれば、毒を盛られるなどという事態にはならないから、怯えるのも分からないでもないけれど。
こんなことで動揺していては、王族の妃など務まらない。




