アマンダ=リュースウェルの場合
「何故です、何故、離縁など…旦那様!!」
伯爵家から嫁いで20年近く、夫の突然の宣告にアマンダは驚きを隠せない。
政略結婚だったとはいえ、何事もなく順調にいっていたはずだ。強いて言えば、娘のルシアの不祥事くらいだが、それも特段、何か言われるでもなかった。
「もしや、ルシアのせいなのですか? 子供が流れたのも、離縁もわたくしの責任では…!」
「それもないとは言わないが…言うことはそれだけなのか?」
夫であるダスティンの目は凍えるほど冷たい。未だかつて、このような目で見られたことはなかった。
というより、公爵としての職務の関係で常に多忙で、結婚してしばらくしてからあまり顔を合わせることがなくなったのだ。
久しぶりに時間をとるように言われ、ゆっくりお話しできると嬉しく思ったのは、離縁の話が出るまでだった。
「それだけとは、他に何があるというのです?!」
訳が分からず、悲鳴のような叫びで聞くも、夫の目は少しも揺らがない。
ただただ、冴えた相貌を冷たくとがらせるだけ。
「これは、公爵家当主としての決定だ。お前に拒否権などない」
話はそれだけだ。
そう言って応接間を後にする夫を何度も呼ぶも、振り返ることはなく。
室内に1人残されたアマンダは。
「どうして…なぜ…」
呆然としたその呟きに答えが返ることは当然ない。
やがて、はっと何かに気付いたかのように、立ち上がる。
「王城へ行くわ。支度をして」
控えていた侍女に指示すると、応接間を出た。
そうよ。ルシアのせいで離縁を決められたというなら、娘から言ってもらえばいいのよ。
どうにか離縁を回避する手立てがないものかと考え、最初に思いついたのがそれだった。
自分に何の瑕疵もないのだから、ルシアから取り成してもらえば、きっとダスティンも思い直してくれるはず。
そう考えていた。
だが。
「面会申請してない方は、お通しできません」
「え? わたくしは、ルシアの母なのよ? 申請などなくても、今までは会えたわ」
「妃殿下は、ただ今執務中です」
「いいから、ルシアに聞いてきなさいよ。きっと会うと言ってくれるわ」
「……では、少しお待ちください」
まったく、王城の使用人だというのに、教育がなってないわ。
ルシアは情の深い子なのだから、母が来たと知ったら、いくら忙しくても時間はとってくれるのに。
「お待たせいたしました」
「そう、じゃあ早く案内なさい」
「妃殿下は、申請してない者は通さなくてよいとのことです」
「何ですって?!」
そんな馬鹿な話があってたまるか。
あの子が母が王城まで会いに来てるのに、追い返すだなんて。
「そんなはずないわ! ちゃんと聞いてきたんでしょうね?!」
「…何度言われましても、妃殿下の意向ですので」
「あなたじゃ話にならないわ!!」
使用人を押しのけ通ろうとすると、衛兵がアマンダの道を阻む。
「どきなさい! わたくしを誰だと思ってるの?!」
「王城の規則ですので」
「いい加減になさい!!」
「公爵夫人といえど、騒ぎを起こされるのであれば捕縛いたしますが」
何の感情もなく職務に忠実なだけの衛兵たちは、アマンダの娘に会いたいという気持ちに無理解すぎて。
しかし、このまま強行すれば、間違いなく自分は捕らえられてしまうことだけは分かる。
じっと睨みあうこと数分。
「分かったわ…。では、正妃様に面会希望を伝えてくれない?」
正妃様なら、イリアなら何とかしてくれる。
今までもそうだったから。
アマンダの言葉に、使用人が伺いに行くと間もなく、正妃が姿を現した。
「正妃様…!!」
「あなたが面会したいと言うから来てみたけれど…何があったの?」
「それが…」
「まあいいわ。とにかく1度、わたくしの私室にいらっしゃいな」
「ありがとうございます…!」
行き慣れた正妃の私室に通され、お茶を供される。優しい眼差しに触れていると、アマンダの目からほろりと涙が落ちた。
「…アマンダ? どうしたの?」
「正妃様…イリア様…」
「何か、哀しいことでもあったのかしら? わたくしに何かできることはある?」
イリアの温かい言葉に、アマンダは淑女としての顔も忘れ、ぼろぼろと涙をこぼしてしまう。
止まらない涙に、思いの外、夫の冷たい態度に傷ついていたのだと気付く。
そんな自分が落ち着くまで見守っていてくれた正妃に、申し訳なく思いながらも嬉しい気持ちもある。
「実は…」
公爵であるダスティンに離縁を申し渡されたこと。
ルシアに取り持ってもらおうとしたが、面会を断られたこと。
感情混じりで要領を得ないアマンダの話を、根気よく正妃は聞いてくれた。
そして聞き終わると、目を吊り上げ、おもむろに立ち上がる。
「イリア様?」
「アマンダ、行くわよ」
「…はい!」
頼もしいイリアの言葉に、どこに行くかなんて聞くまでもなかった。
正妃の行く手を遮る者などいるわけもない。
そう思って、これで何とかなると期待していたのに。
執務中のルシアは何をやっているのかアマンダにはまるで理解できなかったが、確かに忙しそうにしていた。
正妃が声をかけると挨拶はするが、相手にしていないということは自分にも分かるくらいで。
ひたと見据えた娘の目は、母を見るものではなかった。
夫が自分に向けたような目で、どうにもならないことを告げられる。
衛兵に捕縛させるという言葉もその場しのぎではないようで、強制的に退出させられた。
公爵家に戻ると、珍しくダスティンは帰宅していた。
呼び出され、改めて離縁を突き付けられた。
「通常、双方の合意なしに離縁は不可能だ。お前が何も分かってないようだから、説明はしてやろう。最後だしな」
大きな理由としては、公爵夫人としての職務、責務放棄。
次に、娘のルシアへの虐待。
「どれも、身に覚えがありません、何かの間違いです!!」
「……自覚なしとは、救いようがないな」
淡々としていながらも、侮蔑の籠った声だ。
何故そんなことを言われなければならないのか。
「では聞くが。お前はこの20年、何をしていた。公爵家の家政、領地、社交。何か1つでもまともにこなしていることはあったか?」
「家政は、執事長と侍女長に命じて管理させておりました! 領地は代官がいるではありませんか!!」
「執事長と侍女長は優秀ではあるが、決定権はお前にあった。報告や管理はどうしていた」
「……」
逐一、報告は受けていたが、すべて任せると言っていたのは覚えている。それで何の問題もなかったからだ。
「領地にしてもそうだ。一任しているといえ、管理するのはお前の仕事だったはずだ。…報告書に目を通し、必要があれば支援や是正するのも。それらすべて、誰がやっていたと思う?」
それがアマンダの仕事であったなら、代わりにできる者は限られている。
「社交も、正妃のお茶会ばかり。何の益もない、社交とも言えぬ、時間と経費の浪費」
正妃との大切なお茶会を。
アマンダにとって何よりも優先すべき時間を揶揄され、怒りが湧いてくる。
カッとなって言い返そうとするが、夫の次の言葉で遮られる。
「最後に、ルシアへの虐待」
「わたくしは、虐待などしておりません!!」
言いがかりだ。ルシアは、大切な娘だ。
大事に大事に育ててきたのだ。
家にほとんどいなかったダスティンに何か言われる筋合いはない。
「お前は覚えがないというのだな?」
「あるわけがありません! ルシアはわたくしの大切な、」
「何故、ルシアに殿下のことで相談されたとき、私に言わなかった?」
「は?」
「お前は、ルシアが殿下とのことで悩んでいたことを知っていただろう。何故、婚約を解消できないか問われたとき、私に報告しなかった」
ここで初めて、夫に責めるような目で見られて、訳が分からない。
「たった1度、言われただけですわ! あの子が悩んでいたとは知りませんでした!」
忙しい夫に報告するまでもないことだ。若いうちにありがちな迷いなど。
アマンダの主張に、夫は侮蔑よりいっそ憐れみの目で見ている。
何故。何故、そんな目でわたくしを見るのですか。
「1度で諦めたのは、お前と正妃の仲を理解していたからだろう。ルシアはお前と違って聡い。あれほど精神的に追い詰めておいて、何も知らなかったとよく臆面もなく言える」
気付かなかった私も、同罪だがな。
自嘲気味のダスティンの台詞も理解できない。
「そもそも、殿下との婚約の話はどこから出た?」
「殿下との婚約? それとこれと何の関係が…」
「ルシアは公爵家唯一の嫡女。王家との縁など必要なかったというのに」
「それは…」
思い当たることはあるどころではなかった。
正妃とのいつかのお茶会で、ちょうど同じ年の男女が生まれたなんて運命よね!とはしゃぎながら、じゃあ2人が結婚したら姻戚関係になるわねと。
「ルシアは言ってたよ。母に相談しても無駄だと」
「生みの親に向かって、何てことを…!」
「言われても当然のことをしてる自覚もなしか」
「自覚? 自覚とは何です?」
「……その生みの親たるお前は、ルシアが子を喪ったとき、何をしてたんだ」
また質問が変わる。
理解できないことばかり羅列され、段々苛立ってくるが、問われて思い出す。
知らせを受けたとき、アマンダは正妃と共にいた。
その正妃が言ったのだ。
フィリクが対応するでしょうし、問題ないわよと。
「正妃様が…殿下が慰めるだろうし、いいだろうと…」
「それで母を名乗るとは」
嘲笑され、顔中に血が集まる。
羞恥か怒りか、自分では判別つかない感情に呑まれる。
「そういう旦那様とて、何もされていないでしょう?!」
「…ルシアから面会申請されてすぐ会った。今後も含めて相談があると言われてな」
アマンダには何もなかったのに、何故夫にだけ連絡したのか。
やはり正妃の言うように、情のない子だったのだろうか。
「万全な体調でもなかったのに、ひどく落ち着いていて。大丈夫かとの言葉にも、微笑んで頷いていたよ」
ほらやっぱり大丈夫だったんじゃないかという内心が漏れたのか、夫が刺すような目で睨んでくる。
「お前はやはり、公爵夫人だけではなく、母親としても失格なのだとその反応で確信した。──3日やろう。それ以降は公爵家にお前の場所などないことを、理解しておけ」
「お待ちください、旦那様! わたくしは納得していません、旦那様…! ダスティン様ーーーー!!」
何が悪かったのか、アマンダには分からない。
涙ながらの訴えも、返ってくるのは冷たい目と言葉だけ。
そうして、伯爵家に戻ることになったアマンダだが。
「よくもおめおめと戻ってこれたものだな」
「お、お兄様…」
生家である伯爵家に戻ってきたアマンダを迎えたのは、ダスティンと同じような目をした実兄の姿だった。
兄の妻で伯爵夫人である義姉も同様に、アマンダを見る目は冷え切っている。
「お前は知らないだろうが、お前の元娘のルシアは、貴族の横暴や不正を罰し、街道の設備や税制の見直し、商業の発展や福祉などにも力を入れていた。国に多大な貢献をしていたんだよ。民衆にもその名と功績が知られているくらいにな」
「元ではありません! ルシアはわたくしの娘ですわ!!」
「ほお? お前は親らしいことを何もしてないのに、そう言い張るんだな」
「お兄様こそ、何も知らないではありませんか!」
「よーく知ってるさ。嫌という程な」
吐き捨てるような兄の言葉に、心底意味が分からないアマンダ。
自分が何をしたというのだ。
「いいか。この屋敷…いや、少なくともこの領地にお前の居場所などない。最後の慈悲として、修道院へ入れてやるから大人しく出て行け」
思いもよらない兄の提案にアマンダは目を剥く。
「何故、わたくしが修道院などに入らなければならないのです?! 伯爵家に置いてくだされば…!」
「お前のような役立たずを置いておいて、伯爵家に何の益がある?」
「!? ひどいですわ、それでも実の兄なのですか?!」
「公爵家でもまともに仕事をせず追い出されたくせに、どこまで厚かましいんだ? 修道院が嫌なら、他にもないことはないが」
「では、そちらを、」
「修道院じゃなきゃ娼館になるが、いいんだな?」
「何故、その二択なのですか?!」
「言っただろう?」
役立たずを食わせるほど、伯爵家は甘くないんだよ。
兄は本気だと実感し、背筋が寒くなる。
「そ、そうです。どこか、後妻でもいいので嫁ぎ先はないのですか?」
「そうだな…あ」
「何ですか、どこか当てが…!」
光明が見えたとばかりにアマンダが飛びつく。
「1つだけ、お前みたいなのでも引き取ってくれそうなところがあるが」
「どこです?! 修道院と娼館以外ならどこでもいいです!!」
「その言葉、忘れるなよ」
その後の伯爵家にて。
「よろしかったのですか、旦那様」
「ん?」
「妹君のことです」
「あー…でもあいつ、あんな有名な話も知らなかったからな」
「そうですわね。貴族なら知れ渡ってるものと思ってましたが」
「あの家の奥方、あいつで何人目だったっけ?」
「………確か、8人目ではなかったかと」
「1年も持ってないもんなぁ」
「今までの方は、」
「──…詮索はするな。命が惜しいなら」
「失言でしたわ」
夫妻の会話が、アマンダに伝わることはなかった。




