④
この期に及んで、ルシアが正妃に戻れば何とかなるのではないかと思っていた。
王子として、マリエルも失わずに済むのではないかと思っていた。
だが、フィリクがどうあろうが、執務は待ってはくれないし、ルシアもまた、そんな自分を待ってなどくれなかった。
マリエルでさえ。
悠長に構えていたつもりはなくとも、時間も待ってくれるはずはなく、ルシアが城を出るときまで行動に移せなかった。
追い縋ろうと、大声で呼ぼうと、ルシアは振り返りもせず。
近づこうにも、ルシアの護衛だった者たちに阻まれる。どけと命令しても聞かず、あまつさえ、王子である私を拘束して遠ざけようとする。
「何の権限があって、私を拘束する?!」
「陛下のご命令ですので」
「…父上の?」
「もし、妃殿下を追うようなことがあれば、拘束し、陛下の御前に連れてくるようにと」
「…何?」
どういうことなのかと尋ねるも、護衛たちはそれ以降口を開かず、拘束されたまま父の元へ連行された。
「実に愚かな行動をとってくれるものだな」
「ち、父上…」
玉座から見下ろす父は、国王として厳しい顔をしていてフィリクは怯む。
「ルシアは…リュースウェル嬢は、お前などには過ぎた女性であったというのに。子爵家の小娘などに踊らされ、大切にすべきものを疎かにし。挙句、捨てられたことに気付きもせずに、情を盾に縋るとは、なんと情けない」
事もあろうに実の父親からはっきりと軽蔑を顕わにされ、羞恥で顔に血が集まる。
言い返したいことも、主張すべきこともいろいろあるのに、言葉が出てこない。
「政務の件もそうだ。我が正妃の至らなさもさることながら、お前の執務もどれだけ陰で動いていたか。
お前との離縁が決まった際にすべて元に戻すよう命じたが、何ひとつ、書類1枚、イリアは理解できなかった。
これまでの失態、求心力の低下、政務の放棄は見過ごすことのできる範疇を超えた。故にお前の母は、表向き静養と称して、離宮での幽閉が決まった」
衝撃的な内容にフィリクは驚愕の表情を浮かべるが、目の前にいるのは、そんな息子を冷たい目で見据える国王の姿だ。
フィリクが目指し、近い将来、継ぐはずだった姿。
「通達は既に終えている。そしてお前も、決断を先送りにしたことによって失ったものが何かを、思い知るがいい」
それは。
それは、どういうことなのか。
「マリエル=アドリエ。あの娘も、お前の決断を待つ時間など残されていなかったというのに」
どこか憐れみの籠った声。
父からその名が出た瞬間に、フィリクは踵を返し、走り出した。
マリエルは私室にはいなかった。教育で使用している部屋にも。
どこにいるのか侍女に尋ねると、医務室と言われ、血の気が引いた。
まさか、まさか…!
「マリはいるか?!」
「第一王子殿下、お静かに。…今、処置がすべて終わったところですので」
「処置?! 処置とは…?!」
「聞いておられないのですか?」
──お子の、堕胎処置です。
無慈悲な医務官の言葉に、眼前が真っ暗になる。
ふらりとよろめいたところを、支えられ、椅子が用意された。
選択を迫られた日から、マリエルとは会っていなかった。
どうにか、現状のままいられないかと足掻いていたのだ。
「側妃様の目が覚められたようですが」
「…分かった」
寝台に横たわったままの彼女の目は、確かに開いていた。
蒼白な顔色は、あの日を思い出して、やはり痛々しく感じる。
「マリ」
「……」
視線は、フィリクにあるのに、マリエルは何も言わない。
「何故…何故、こんなことを…」
「……」
フィリクの問いに、僅かに表情が歪む。
何故そんな顔で見られるのか分からない。
「マリ、何故なんだ…?」
ふい、と顔ごと逸らしたまま、やはり何も発することはない。
見かねた医務官が、フィリクを呼び寄せ、応接室まで案内する。
「どうぞ」
「……」
差し出されるがお茶など飲む気分ではなかった。
「側妃様から概要は聞いておりますので、私で分かる範囲でお話しますと」
医務官が言うには、堕胎するには期限があると。日数が経過するにつれ、母体の中の子も育ち、処置ができなくなると。
彼女の場合、これ以上引き延ばすと、母体の命も危ぶまれただろうということだった──。
国王に離縁の旨で謁見したときに言われたそうだ。
フィリクが臣籍降下を望まず、マリエルが王宮を辞するならば、子は諦めよと。
正当な王族の血を、世に放つことはできないと。
マリエルの決意は固かった。
フィリクの選択に関わらず、王宮からは去ると決めていた。
だから、待てなかったのだ。
いつまでも、答えを引き延ばしていたフィリクを待つことなどできなかったのだ。
これが、私の選んだ結果なのか。
決断の遅れが、取り返しのつかない事態になることがあると、分かっていたはずだったのに。
そして、この件でフィリクも完全に見限られたことを、知る。
謁見室に呼び出され、国王としての父に対峙することになった日。
「フィリク=ディジルド。ルシア=リュースウェル、並びにマリエル=アドリエとの離縁、政務状況など、失態が続いており民衆の批判も多数。決定的だったのは隣国との軋轢を加速させた罪。以上の件により、王族として不適格との結論に至った。
よって、正妃イリアと共に、離宮での蟄居を命ずる。これは議会で決定したものである」
離縁と政務状況は分かるが、隣国との軋轢?!
フィリクにはまったく覚えがない!
「お待ちください。隣国との軋轢とは…」
「何だ、聞いておらぬのか。リュースウェル嬢が進めていた事業に隣国と関わるものがあったが、そなたの独断で決断したものに問題があったのだ。何故、担当の者と連絡を密にせず、確認を怠った」
そういえば、マリエルの件で悩んでいたときに、そのような案件があったような気がする。
あれが、そんな大きな問題になるとは思わなかった。
「未だに何が問題なのか理解していないその浅はかさが、王族に向いておらんのだ。誰か! フィリクを連れて行け!」
父の合図で衛兵が動き、成す術もなくそのまま離宮に連行され。
「ああ、フィリク! 何故わたくしたちが、こんなところに押し込められなければならないの?! あなたからも陛下に言ってちょうだい!」
連れて行かれた先では、母がちょうど癇癪を起こしていたところだった。
「高貴なるわたくしたちが、こんなろくな調度もない狭いところで蟄居なんて! 侍女の質も悪いし、護衛もいないなどありえないわ!!」
侍女は黙って控えている。
護衛は姿がないようだが、おそらく逃亡防止として見えないところにいるだろう。
逃亡防止といっても、フィリクたちには戻るところも行く当てもない。
ここは王宮へ、徒歩で行けるような離宮ではない。表に出ることを許されず、さりとて処分には決定的なものが欠ける王族や貴人が、一生涯過ごすための離宮。
つまり、一生ここから出られない。
「食事も口に合わないし、料理人を変えろと言っても聞かないし! 水すら飲めたものじゃないのよ?!」
次々に不平不満を零す母。
こちらが返事をしようがしまいがお構いなしだ。
贅沢に慣れ、下にも置かない生活が当然の母にとって、不自由極まりないのだろうことくらいは理解できる。
賛同するわけではないが。
「ドレスもアクセサリーもお気に入りのものは持ち出し禁止って言われて…」
延々と続く母のヒステリックな声に、これからこれが死ぬまで続くのかと思うと。
…ああ、気が狂いそうだ。
だってマリエルと一緒に子爵家に行ったら、「こんな人生も悪くなかったかもしれないな…」なんて思う日が来るかもしれないじゃないですか。
まあ、別にそんな私の意図がなくとも、フィリクはこうなってたと思いますが。




