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私の返事を聞き、呆然というより愕然としたフィリクに、どれだけ自分は都合のいい存在だと思われていたのかと。
断られることを、まったく想定していなかったと言わんばかりの顔。
あの夜といい、今回の件といい、謝罪して、情に訴える体を取っておきながら、とどのつまり、私をどう扱ってもいいという考えが透けて見える言動。フィリクに自覚はないだろうが。
私の想いを踏み躙る真似をしておきながら、その想いがあることを当然のように。
私の好意があることが、当然であるかのように。
そしてそれを盾に、自分の望みが叶うことを疑わない。
なんと傲慢で浅はかなのだろう。
一度も、私を顧みたことなどないくせに。
一度も、私を愛したことなどないくせに。
今の今まで、私の献身に気付きもしなかったくせに。
確かに、フィリクを愛していたはずだった。
幼い頃に出逢って、ずっと。
けれど今の私は。
そんなフィリクに、はっきり軽蔑と嫌悪を感じていた。
「妃殿下、面会を希望される方がいらっしゃっているのですが…」
「今日は面会の予定はなかったはずよね」
「はい。その、…リュースウェル公爵夫人がお見えになっていると」
「申請はあったのかしら?」
「いいえ」
「でしょうね。──申請のない方は、誰であろうと追い返して構わないわ」
「かしこまりました」
それから数時間後、また執務室の外が賑やか…騒々しくなった。
なんとなく、想像はついた。
そして、前触れなく開け放たれたドアの向こうには、正妃と母が揃って姿を見せた。
やっぱりね。
「ちょっとあなた! 母親が折角来ているというのに、面会を拒むなんてどういうことなの?!」
既視感がありすぎる状況に、思わず溜息が漏れる。
フィリクは、間違いなくこの正妃の子だ。いや、出自を疑ったことはないが、気性とか行動パターンとかそういう意味で。
「正妃様にご挨拶いたします。…そして、血縁者だとしても、緊急性のない面会は申請するのが規則です」
「規則より、会いに来た母親の方が大事じゃない! フィリクのことといい、情がなさすぎじゃないかしら…!」
正妃の言葉に、周囲がざわめく。
何を言っているのだ、この正妃は。
そもそも、ここをどこだと思っているのだろうか。
「正妃様、そのご発言、少々問題があるように思いますが」
「何が問題なのよ?!」
「ここは王城の、王太子妃執務室であることはご理解いただけてますか」
「そんなこと分かってるわよ!!」
「ならば何故、国家の規範となるべき正妃様ともあろうお方が、この場所で、規則を軽んじる発言をされるのですか」
何故も何も、きっと後先など考えていないのだろうとは容易に想像はつく。
門前払いされた母が正妃に泣きついて、見当はずれの正義感で勢いやってきたというところ。
言葉に詰まるくらいなら、もう少し考えてから行動に移せばいいものを。
これ以上、こんな人たちのために、私も含め、皆の時間を奪うのは忍びない。
「──リュースウェル公爵夫人」
「ル、ルシア。…そんな他人行儀な呼び方をしなくても…」
「私は、公爵の決定には関与しておりません。そして、口出す権利も持ち合わせていません」
「?!」
母の用件も、先日の、父の面会で割れている。
私に取り成してもらおうとしたのだろうが、無駄なことだ。
「ご理解いただけましたら、どうぞお引取りを。退出されない場合、業務妨害で衛兵に捕縛させます」
「で、でも、ルシア! わたくし、このままだと伯爵家に戻されてしまうわ…!」
これまた迂闊な発言を。
母の言葉の意味することを、理解できない者はこの場にはいないというのに。
「再度言いますが」
私はどんな顔をしているだろう。
「私に、公爵家の内情、当主の決定を覆すことはできません。──お引取りを」
私の周りにいた人たちは、最近よく同じような目を向ける。
アドリエ嬢も、フィリクも、そしてこの母だった人も。
その後、リュースウェル公爵は泣いて縋る妻をものともせず、離縁したと聞いた。
公爵夫人として責務も職務も放棄していることすら無自覚で、正妃と戯れてばかりだった母。
正直、父は何故あの母と結婚することになったのか疑問だったが、祖父やら叔父やらが関わっていたらしく、どうにも血縁者が絡むと結婚とは途端に面倒な事態を生むものだなと、我が事と合わせて実感した次第だ。
その正妃だが、以前から兆候はあったのだが、急激に求心力が落ちているらしい。
元々、自分が好意を持つ者など、一部の者への肩入れや重用で不満が挙がっていたが、特にここ最近の失態に人心が離れつつある。それは、第二側妃も同様のようであるが。
国王が見限る日も近いかもしれない。
それから。
アドリエ嬢は、どうやら腹を括ったようで。
フィリクに選択を迫っていると聞いている。
自分に王族としての責務を背負うことはできない。養子縁組を解消して、子爵家に戻りたいと。
蛇足だが、2人が何度なく私に面会申請しているものの、すべて却下していいと許可している。
申請なしに押しかけては、護衛に追い払われているフィリクの姿が、1度2度ではなく目撃されているとか。
私に説得やら、私を説得やらしても、取り返しがつく段階はとうに過ぎていると、あの愚かな元王太子はいつになったら気付くのだろうか。
アドリエ嬢は王宮を去りたい。
フィリクは、現状維持したい。臣籍降下はしたくないけれど、彼女も留めておきたいといったところか。
王子としての地位と、アドリエ嬢への愛と、どちらを選ぶのか。
離縁か、臣籍降下か。
ただ、アドリエ嬢の身には王族の子が宿っている。
──選択によってその子の未来も決まることを、2人が理解しているかどうか。
私はというと、新しく王太子妃となる、シャロン=ヴァーノン侯爵令嬢に最後の引継ぎを行っている。
緊急の案件は既に終わらせてある。あとは、長期的な事業や他国と関わりのあるものなどだ。
「妃殿下、こちらの案件についてなのですが…」
「これは、隣国との調整が必要だから、外務と財務の担当者に話を通してください。あと、王太子妃はもうあなたなのですよ、ヴァーノン嬢。いいえ、王太子妃殿下」
新しい呼称にまだ馴染めないのも無理はない。寝耳に水くらいの、降ってわいた事態だろうし。
ヴァーノン嬢は、知識も教養も申し分なく、応用力に加え、機転もきくから、今後も問題なくやっていけるだろう。
「まだまだ慣れません…わたくしにとって、妃殿下はあなただけでしたから」
「それももう終わりです。今日で、引継ぎも終わりましたから」
彼女の顔に浮かんでいるのは、哀しさ? 淋しさ?
何とも名状しがたい表情を浮かべていて。
「──妃殿下」
あくまでそう呼ぶ彼女に苦笑を禁じ得ない。
ヴァーノン嬢は、私の補佐の1人だった。
王太子妃だった私を支えてくれた、有能な女性の1人だった。
「この度のこと、わたくし個人としては、残念でなりません。このまま、あなた様をお支えすることが、わたくしの責務と信じてまいりました。
城内にも惜しむ声は多いでしょう。職務としてだけではなく、あなた様の行動や責任感の強さ、お人柄を傍で見てまいりました。
お優しく、身分問わず分け隔てなく接し、民が安心して暮らせるように、尽力していたお姿を、ずっと、見てきたのです、妃殿下」
そう言った彼女の、美しい顔に涙が伝う。
周囲の文官、補佐官、秘書官、侍女、侍従、すべてが私を見ている。
私と、共に職務に当たってきた者たちが。
「ここに、あなた様を軽んじる者など、1人もおりません」
室内にいる者すべてが、私に敬意を払っていることが分かる。
それだけでも、私のこれまでの努力は無駄ではなかったのだと。
フィリクには最後まで真の意味で理解されなかったとしても、理解者はこんなにもいたのだと。
「あなた様の姿勢を、在り方を、尊敬しております、妃殿下。これからも、ずっと」
認めてほしい人には、最後まで顧みられることはなかった。
愛してほしかった人には、最後まで想いを向けられることはなかった。
理解してほしい人には、最後まで、理解し合えることはなかったけれど。
私を慕ってくれる人も、理解してくれる人も、私という個人を見てくれるひとは、いた。
少なくとも、ここにいるひとたちは、『ルシア』という私を見ていてくれた。
私との別れを惜しんでくれている。哀しんでくれている。
それだけのことが、それを告げられたことで、何だか胸が苦しくなって。
私も、涙を堪えられなかった。




