ファルセ・リーベルトの新星
パートへ出ている母の代わりに、夕飯の買い物や支度はハルセと父が日替わりでしている。
三月二十四日はハルセの番だった。買い物は学校帰りについでにしてきていたから、オニオンスープとオムライスを拵える。出先から母が持ち帰ってきたサラダと肉野菜炒めも並んで、午後六時頃に家族三人で食卓を囲んだ。
食事をしつつ、何とか無事に運転免許を取れそうだとかいった事を少し話してから解散。
キッチンを綺麗にしてから急いで風呂に入って髪を乾かし洗濯物を片付ける。
スキンケアと寝支度をしながら時計を見たら午後九時を少し過ぎていた。
(あちゃー、間に合わなかった。多分また夕方だ)
ファルセの日中の行動を矯正したかったけれど、しょうがない。
寝る前に履歴を見ておこうと、二週間ぶりくらいに自キャラクターの頁を携帯端末で開く。
【現在ログアウト中──行動指標設定:学園に通う(魔法)】
[三・二四 ……]
[ 夜:寮で就寝]
[ 朝:寮で朝食。???を見かける。
学園に行ってみる]
[ 昼:園庭で???を見かける。
学生食堂で昼食。
図書室で???を見かける]
(何を見たのか判らーん)
がくりとハルセは肩を落とした。んー、と眉根を寄せて考える。
体験版だとハルセ自身が相手の名前を知るまで、周りも噂話の中で家名しか出さず、名前を言おうとしなかった。
ただこうして履歴に一応出すという事は、恐らく主要キャラクターだ。
魔法を覚えるには魔法関連の本をひたすらめくらないといけない。けれどもう一つ方法があって、攻略対象の一人、魔法師団の新星マシュリが気まぐれに授けてくれた事があった。
彼とは最後の方で名乗り合った。でも名前を知る前に、こんな簡単なのが解らない……? とぼそっと言いつつも教えてくれたという、ちょっと猫系の青年だった。童顔で年下と思っていたら同い年と知ったのは、彼に結婚を迫っていた女性教諭が口走ったからだ。
どうも彼等の実家は魔法の大家同士で、優秀な血を残せと周囲からせっつかれていたらしい。貴男も十八になった、もう待てない。これ以上遅れると私に問題が出る──といったような内容を図書室前の廊下で教諭は言っていた。先生こんな所で生々しい話はヤメテ、と居合わせてしまったハルセは引いたものだ。
(『EX』だと先生が押しかけてくる回数も少ないだろうし、魔法本大好きなマシュリは図書室に籠ってそう。この?君はマシュリの可能性高いな)
もはやファルセが接点を持っても大丈夫そうな攻略対象はマシュリしか居ない。
ひとまず指標は現状維持にして、ハルセは早めに眠ることにした。
明日は午前中に“昼”が来る筈なので。
翌日、目論見通りの午前九時過ぎ、ハルセはログインした。
昼間の明るさの中に居る。
目の前を、字幕が右から左へとゆっくり流れていた。初めて見る現象だった。
【※自動行動中です。単独行動中の為、五三秒後に自動行動が終了します※自動行動中です。単独行動中の為、五〇秒後に自動行動が……】
なるほど、とファルセは目に映る範囲で状況を確かめておく。人影は無さそう。桜っぽい花びらが、ちらりちらりと舞っている。学園の外回廊を歩いているようだった。
足の向いている方角からすると、魔法教練場から校舎の何処かへ行こうとしていたのだろう。
残り五秒前ぐらいからファルセの歩みが緩んで、〇と同時、自然に立ち止まれた。何となくほっと息を吐き出す。
改めて確かめてみると、どうも食堂を目指していたようだ。体験版でも昼間を半分過ぎた辺りで昼食を取れるようになっていた。これから昼休みだったのだ。
(イマイチ勉強の時間とずれちゃってる)
けれど体験版でも食事しておかないと一時的にステータスが下がってしまった事があった。満腹度みたいな隠し要素があるんだと思う。
おやつでも持っていないかと腰の辺りをポンと叩いてポケット欄を視界に出す。
三十マスの殆どは空欄だった。食べられそうな物は昨日貰った特製クッキーのみ。
因みにこっちでもポケット欄の下にちっこい豚の貯金箱みたいな絵が在って、横に所持金が表示されている。生活費として一定額が既に支給されていた。足りなくなったらアルバイトするのだ。
(パン屋さんでクロワッサン買っておこうかな)
安くて美味しくて十個ずつスタックしておけたヤツ。
けれど、下手にAIに外出を覚えさせるのも拙いかもしれない。購買部で飴を買うぐらいにしておいた方がいいか。
ポケット欄を眺めて迷っているうち、特製クッキーは攻略対象以外も食べられるんだろうかと浮かんだ。
体験版では勿体無いのと気後れで使い損ねた。こっちでは正直持て余すアイテムな気がする。
ファルセは回廊を外れて芝地へ出た。敷地内にはガーデンベンチが点在している。
編み上げブーツの足を踏み出して、脹脛丈の臙脂色のワイドパンツの裾が目に入る。ファルセは昨日と同じ服装だと気づいた。学園の黒い正装ローブはいいけれど、内側はもう幾つかコーディネート登録して取り換えよう。
(そういえばこっちはサラシの巻いてる感が無くていいなー)
事前にサラシは下着扱いでデフォルト装備にしてもらったので、気楽なのもいい。
軽い足取りで適当なベンチを見つけると、ファルセは腰を下ろしてポケットから特製クッキーを出した。
可愛い包み紙の端を寄せてリボンで結んである。膝の上でリボンをほどくと、アイシングされたジンジャーマンクッキーみたいな物が五枚ばかり入っていた。シナモンのいい匂いがふわりと鼻孔に届く。
(わぁ美味しそうー)
「いただきまーす」
小さく呟いて一枚手に取った時、横手からぽそっと声がした。
「ボクも欲しい」
びくっとしてファルセが目を投げると、本を二冊小脇に抱えて無表情のマシュリが立っていた。
ファルセと同じローブに細身のズボンと革靴。陽光で天使の輪が出来ている真っ直ぐな黒い短髪と、黒目がちなアーモンドアイ。まろい頬が年齢より幼く見せてくる。顔色は少々青白い。図書室に籠り過ぎだからだと思う。
とはいえ彼も昼休憩で外に出て来ていたのか。
ハルセは体験版に調教されていたものだから、初期は鬱陶しく感じていた筈の言動選択ウィンドウが登場するのを待った。待ったが、出てこない。
あれ、と小首を傾げてしまう。
すると淡々と、まだ少年に見える青年が言を継いだ。
「解った。譲ってくれたら、とっておきの魔法を教えてもいい」
(そういう方法もあったんだ。というか、コレは一人用ゲームじゃない。全部自分で決めるんだ──)
「えっと、そういう事なら、どうぞ」
ファルセは手にした一枚以外を包みごと掌に載せると、そろりと差し出した。差し出してから、攻略対象には特別なクッキーだったのを思い出す。
(まぁ、タクティーじゃないし、あげても大丈夫だよね)
すいっと包みを取り上げたマシュリは、一つのつもりだったけど四つか、とぽつりと言った。ファルセは慌ててクッキーを持った手を振る。
「一つ教えてくれるんで充分だよ。わたしはまだ一つしか魔法を覚えてなかったから、助かる」
ややの間マシュリは目線をずらした。ああ、と思い至った口ぶりでファルセに目を戻す。
「もしかして君が留学生か」
「あ、うん……えーと、ファルセ・リーベルト。宜しく」
ベンチから相手を軽く見上げて、違和感を覚えた。
(マシュリもこんなに星みたいな目だったっけ……?)
瞳に、黒の他に銀や青が混じって見える。タクティー並にきらきらした双眸だった。
思わず見つめてしまうファルセを真っ直ぐ見返し、魔法師団の新星は微かに顎を引いた。
「ボクはロディ・ノヴァ」
「──はい?」
「理事長から留学生に魔法の助言をしてくれと頼まれている。そんな事に割く時間は勿体無いと思っていたけど、四つまでは責任を持って教えよう」
「あ、はい、その、ありがとう」
ファルセはどもりつつ礼を言う。
異世界人ハルセに魔法を教えてくれたのも、恐らく理事長に頼まれていたからだったというのは、まぁいい。優しさからじゃなかった点を知らされたのは悲しいが。
問題はマシュリとロディの関係だ。体験版でロディとは会っていなかったと思う。双子か何かだろうか。
「今日は途中まで構築している呪文を完成させたい。君に教えるのは明日以降だ。気が向いたら図書室に来るといい」
言いたい事を言い切った様子で、マシュリと瓜二つの青年は立ち去って行った。
狐につままれた心地で、ファルセはその背を見送ったのだった。




