長倉ハルセの体験版
『ニジゲンに飽きたトコロEX』へログインできるようになるのは、三月二十四日の九時からになっている。
キャラクター設定が確定した八日過ぎ、ソフトのダウンロードができるリンク付きメールが新たに届いた。ハルセは男装主体のコーディネート登録を叶えてもらった以外、変更点皆無のファルセ・リーベルトとなるのが決まった。
もっと感慨深いかと思っていた高校の卒業式は呆気なく終了し、面識の大して無かった筈の後輩達から、やたら薔薇の花を貰ってしまった。ピンクとオレンジが多めで白がちらほら。後で花言葉を調べてみてほっこりした。
式後に陽毬の声かけでクラスメイト達とカラオケに出かけ、定番の卒業ソングをメドレーしてから、またねー、と緩い再会を願いつつ別れた。
別れ際、スクショ待ってるねっ、と陽毬からは目をぎらぎらさせた笑顔で迫られた。タクティーの件だ。撮れそうだったら、と答えるしかなかった。中の人が居るのに黙って撮るのは躊躇する。しかし、スクショいいですか、と話しかけるのはファンが怖い。近寄りたくないけれど、しばらく第三王子の様子を窺ってはみようと思う。
完全な春休みに突入し、自動車学校の教習をちょいちょい受けつつ、ハルセは兄の友達から貰った『ニジゲンに飽きたトコロ(体験版)』を遊んでみることにした。ちょっとした予習感覚だ。
パッケージに書いてある簡単な粗筋によると、こちらのヒロインは一人だけで、日本人である。
幼い頃に両親を亡くし、親戚の所をたらい回しにされてきた。でも逆境に負けず、明るさを取り柄に高校に合格を果たし、晴れて一人暮らしをする事に。けれど転居先へ向かう途中で謎の穴に落ちてしまう。気づいた時には森のような場所に居て──
という事で、来ちゃった場所がエフィメラル王国。
VR対応PCへ、パッケージに入っていたチップをセット。携帯端末と繋いでから、ベッドに寝転んだ。
絵本の中に迷い込んだみたいだった。
(わぁ)
今やVRは殆ど現実と区別がつかない空間を構築してくるけれど、このゲームは全体的にイラスト風味だ。あやふやさが無く、ゲームだ、と認識できる。
片手に目を落とせば、手相を見る線などが無い。爪も簡易な描写になっている。
髪は、摘まんでみたら一本一本リアル寄りみたいだ。
(というか長い)
肩に届く辺りまである。長らくショートカットで来たので、そわそわしてしまう。
しかも膝の辺りが涼しい。膝丈のスカートを履いていると気づいて更に動揺した。
(制服? 制服着て引っ越し? あ、たらい回しで私物が少なかったのか)
金釦の付いたブレザーっぽい黒地の長袖をさする。やや薄暗い周囲の木々へきょろっと視線を巡らせていると、斜め後方で茂みが揺れるような音がした。咄嗟に振り返る。
(え)
こんな場所に王子が出て来た。服装はパッケージイラストと違って、ファンタジー風の粗末な旅装って感じだけれど。
焦げ茶の柔らかげな短髪。西欧の凛々しさと亜細亜の愛嬌が絶妙に混じり合っている、ハーフのいいとこ取りな顔立ちとシルキースキン。陽毬によれば“細マッチョ”らしい均整の取れた長身。
固まったハルセに、タクティーだろう青年は一つ瞬いた。
(すっごい再現性)
何より印象的な、幾つかの色が煌めく珍しい両の瞳。ハルセは芳月タクトのこの目は、初めてTVで見た時に感動した覚えがある。
優しい色合いの薄めの唇が、やはりTVで聞いたことのある、高過ぎず低過ぎずな声を紡いだ。
「君は……?」
唐突に、淡い色の黒板みたいなウィンドウが目の前に出現した。
【※どれかを自分なりにやってみよう。ストーリーが進行するよ※
〖無視して自由な言動も可能ですが、ストーリーが進まない可能性が高くなります〗
○ 名乗る(氏名推奨)
△ 相手に先に名乗らせる
◇ 走って彼の現れた方へ逃げる】
「えと、長倉、ハルセ、です」
衝動的に最後のヤツを選んでしまいそうになったが、尋ねられているのにそれはどうなんだろうと踏みとどまった。
「ナガクラ、変わった名前だね」
くすりと消え入りそうに口元を綻ばせ、僕は……タクティー、とやはり王子だったらしい青年は名乗ってくれた。
「あ──」
“ハルセ”が先だったと言おうとしたのに、ずいっとウィンドウが出てくる。
【○ よろしくと握手を求める
△ 彼も日本人らしくない名前だと指摘する
◇ 自分の名前を訂正する】
(出鼻を挫いてくるなぁ)
そんな少しストレスを感じるやり取りを数回繰り返した後、何処とも知れぬ所から来たと理解されたハルセは、森から連れ出してもらえる事になった。
ついて行こうと一歩踏み出した途端、エマージェンシー的な効果音と共に周囲の景色が渦になって中心に収束してからまた開いていく。
ハルセは肩を竦めて止まってしまっていた。そこへ、ヘドロのような何かが木の枝から降りかかってくる。
ゆらっとタクティーが前に出るや、流れるようでいて投げやりな仕草でそれを払いのけた。
ジュァッと嫌な音がして青年の手の辺りから白煙が上がる。スライムだったかもしれない何かは、ぼふっと黒い塵になって消えた。
「ぁ──っ」
悲鳴にもならない声をハルセがあげると同時に、ぱぁっと辺りが光る。
こんな時に又もやウィンドウが出てきた。
【※癒しの魔法が宿ったよ※
〖魔法を使うと意識しながら手の甲を手首方向から撫でると、覚えた魔法の使用が可能になります〗
○ 魔法でタクティーを癒す】
(あわわわ、痛い痛い痛い)
タクティーは痛覚が死んでいるような風情で、爛れてしまっている手に目を落としている。ハルセの方が顔をしかめて、ウィンドウの指示通りに手をさすった。幻想的な金の光の粒が舞う。
「はいっ」
言ってしまってから、はいって何だ、とセルフツッコミが浮かんだが、タクティーの傷ついた手に光が集う。たちまち綺麗な手に戻っていた。
青年はちょっと目を見張ってから、治った手に長めの睫毛を何故か伏せた。
(あれ、何か間違えた……?)
どぎまぎするハルセに気づいたようで、タクティーは儚く笑んだ。
「ごめんね。ハルセの魔法は、とても珍しい魔法だったから。驚いてしまった」
「あ、いえ……はい」
「その魔法がある人は学園できちんと学ばないといけないんだ。とにかく街へ行こう」
(なるほど)
タクティーが歩き出し、ハルセも従う。さっきは見通せなかった木立の隙から、学園街らしき外壁が見えていた。
数歩歩いたら、もう目の前に外壁が近づいていた。
四、五階分の高さがありそうな石の壁を見上げた時、後ろから軽やかに車輪が道をかむ音がする。
目を投げると、テーマパークで走っていそうな洒落た箱馬車が迫っていた。タクティーとハルセの所まで来て停まる。ここでハルセは、恐らくシステム的に身動きできなくなったと気づいた。
馬車の大きめの窓から、金髪のお人形みたいな美少女が翳りのある顔を覗かせた。
「殿下、又お一人で、そのようなお姿で、お歩きに」
「いつもの事だよ。誰も気づかない」
「わたくしは気づきました。どうぞお乗りください。お送りします」
何やら双方に含みと影がある。静観するしかないハルセを、タクティーが手で示した。
「この子を学園に送りたいんだ。癒しの魔法を使えるから」
美少女の深い緑の目が、値踏みを含んでハルセを見下ろしてくる。視線に妬みも混じっている気がして、ゲームの表現力にびっくりした。
美少女は、仕方なさそうな手つきで、房飾りの付いた扇を開く。口元を覆った。
「分かりました。お二人共お乗りになって」
ハルセが思わず会釈したら、動けた。動けたが、ウィンドウが登場する。
【※貴女は教会の預かりとなって、学園の寮に入ったよ※】
スライムに襲われた時のように、辺りが渦を巻いて変化していった。
渦が凪いで瞬いた時には、一人で寮らしき個室に居る。広さは八畳ばかりか。
もはや何度目か覚えていないウィンドウが現れ、この部屋でログインとログアウトを推奨する事や、ステータスを確認したり、衣装を変えたりできるといった解説があった。
据え付けの鏡で自分の姿を確かめたら、思ったより小柄だった。艶々の黒髪で目のぱっちりした、陽毬にちょっと雰囲気の似た可愛い女の子が映っている。ハルセの動きに合わせて、別人としか思えない鏡の中の子も動く。不思議な気分にさせられた。
(これはー、ファルセの方がしっくりきそうだなぁ)
その後すぐに、ゲームを始めてから一時間以上経っていることが判った。
体験版なんてすぐ終わってしまうと思っていたから、まだ続きを遊べそうで意外である。
取り敢えず今日はここまでにしとこう、とハルセは現実に戻ったのだった。




